第25幕・論文

文字数 1,278文字

 杏は参道を歩きながら,隣の漣に「ナビエ・ストークス方程式の研究はどんな感じなの?」と問いかけた。

 いつもの漣なら「別に」と素っ気なく答える漣のはずだが,新年を迎える高揚感もあってか,珍しく饒舌に
「ある程度,解けたと思う。
 ちょっと,専門的になるけど,解の存在が知られている幾つかの境界条件に対して,初期速度に観測誤差を加えて,ナビエ・ストークス方程式を解いてみたんだ。
 その結果は,境界条件に関わらず,ナビエ・ストークス方程式の解にあたる速度ベクトル場と圧力のスカラー場は定式化できたが,時間を∞にすると速度ベクトル場と圧力のスカラー場の範囲も∞,不確定になったんだ。
 つまり,境界条件を一般化した場合でも,初期速度に観測誤差を加えた場合,ナビエ・ストークス方程式の解は不確定になることまでは証明できたと思う。」と答えた。

 そんな漣に対して,杏は少し驚きながら,
「じゃぁ,仮に,ナビエ・ストークス方程式の一般解が存在したとしても,それは,極めて不安定ものであり,実用的には,ナビエ・ストークス方程式の解が存在したとしても,それは全く意味をなさないものであるとも言えるの?」と問いかけた。

 漣は「そうだと思うと」と応じた。

 すると,杏は,「凄いじゃない!今すぐにでも,論文を発表すべきよ!!」と漣をまっすぐに見つめて言った。

 漣は少し照れながら,「でも,ミレニアム懸賞問題では,「3次元空間と時間の中で,初期速度を与えると」としているため,観測誤差はない=神の視点があることを前提としているんだ。ミレニアム懸賞問題に対する回答としては不完全だよ。」と答えた。

 それに対して,杏は,
「何を言っているのよ!
 ミレニアム懸賞なんて関係ないじゃない!
 漣は,実用的には,ナビエ・ストークス方程式の解が存在したとしても,それは全く意味をなさないことを証明したのよ!!
 何をグズグズしているよ!!
 今,論文を発表しないで何時やるの?今でしょう?
 よし,明日から,早速,論文を纏めるわよ!!私も手伝うから!!」と勝手に話を進めてきた。

 漣は杏の迫力に気圧されながらも「杏が手伝うって,何を?」と応じた。

 すると,杏は,漣の鼻先に人差し指の先を近づけながら,得意げに「漣くん,君一人で英語に論文を翻訳できるのかなぁ?英語だけは杏ちゃんに敵わない君に?」と問いかけた。
 そして,「君の目の前には,英語が得意な幼馴染の可愛い女の子にいるんじゃないかなぁ?そんな可愛い女の子に対して,君が取るべき態度は?」と,目を細めながら小姑のように畳みかけた。

 そう,漣は,英語だけは杏に敵わなかった。それを自覚しているだけに,ぐうの音も出なかった。

 漣は,ブツブツと小声で杏に対する文句をひとしきり言った後,「杏さん,論文の英訳をお願いしたいと思っています。ついては,出店のお金は俺が持ちますから,お願いします。」と,杏に首を垂れた。

 それを見た杏は,「うむ,その方の望みを叶えてやろう」とさしずめ将軍様の様に応じた。
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