小説から生まれたミサキ

文字数 1,895文字

 その女は僕の机の前にいた。
 応募していた小説賞に落ちて、軽く傷心した自分を癒すために池袋に出て、東口のパルコ近くにあるチェーン居酒屋でサワーとビールを飲んで帰宅すると、何時も小説を書く時に使うノートパソコンを置いた机の前に、一人の女が裸で俯せになっていたのだ。僕はその女を起こして、お前は誰だと声を掛けた。
「私はミサキと言います。あなたの小説から生まれてきました」
 ミサキと名乗った女は抑揚のない声と死んだ魚のような眼差しでそう答えた。ミサキと言う名前は僕の小説によく登場する女性の名前だ。だがそれは少女であったり、あるいは普通の女性会社員だったりと、年齢も容姿もバラバラの女性だ。その女性が目の前に人として現れるのは、想像していなかった。
 お前はなんで自分の目の前に現れたのだと質問すると、目の前のミサキはこう答えた。
「あなたの小説を現実にする為に表れました」
 ミサキは感情の無い口調で答えた。僕は悪夢を見ているのだと自分で思って夢よ覚めろと念じたが、意識が変わる事も、目の前のミサキが消える事もなかった。
「消えてなくなれと思っても駄目です。あなたから生まれた私は確かにこの世に存在しています」
 哲学書の一文のような言葉をミサキは口にして、僕の思考を遮った。僕は自分の力ではどうにもできない不可思議な現実に打ちのめされて、狂乱して叫びたくなった。
「叫びたくなっても駄目です。私はあなたの前から消えません。私の思考はあなたの思考と一致しています」
 ミサキがそう言うと、僕は身体中から自分の力が抜けて行くのを感じた。僕は何もかもするべき事を放棄して、そのまま消えてなくなりたい気分になった。
 放心状態で僕は震えていると、ミサキは僕に向かってこう言った。
「私はあなたの中から生まれました。ですからシナリオさえ考えてくれれば思い通りに動きます。ですから私はあなたの全てに従います」
 本当なのか。僕は何も考えずに反射的にそう答えた。
「はい。何でもします」
 ミサキの言葉を耳にすると、僕の腹の中に甘く温かくて低欲な物が生まれて広がって行くのを感じた。


 それから僕はミサキを支配する為に、様々な事を考えた。彼女は僕の書いたシナリオを完ぺきにこなし、何でも思うがままになった。料理と掃除が上手な専業主婦として描けばその通りになり、酒の強い女になればいくらでも酒を飲み干し、床上手な女になれば、寝床でいくらでも僕を快楽の果てへと送ってくれた。容姿も自由自在に変化し、髪の長さや肌の色を変えたりする以外にも、乳房大きくさせて母乳を出させたり、年端も行かぬ娘に変化させる事も出来た。僕は自分専用の人間を作り出せた喜びを覚えて、それ以外に何も求めなくなった。
 そんな風にミサキを自由自在にしていたある日、彼女は僕にこう言った。
「そろそろ新しい小説を生み出してください。私は小説から生まれた存在ですから小説が必要です。ストーリーが無いと私は存在できません」
 僕はミサキに促されるまま、新しい小説の執筆にとりかかった。ミサキと言う自分専用の登場人物とモデルを生み出すことが出来た僕は、自分でも信じられない程に早く、大量の小説を書く事が出来た。
「書いた小説を一つにしてください。私は長く生きられます」
 ミサキに言われるがまま、僕は書いた小説を一本の長篇小説にした。その小説は僕の創作人生で最も良く出来た作品だったので、また新たな新人賞に応募した。僕は自分がすべてを支配したような気分になって、様々な事を書いてミサキに実行させ新人賞の結果発表を待った。
 それから二か月程して、応募した新人賞の発表があった。結果は落選。一言コメントさえもらえなかった僕はがっくりとうなだれて、何もする気が起こらなくなった。
 僕は自分を慰めるために、再びミサキを寝床に呼んだ。だが新人賞に落ちた事の衝撃が強すぎて、僕はいい気分にならなかった。こんな事が続くなら自分の生きている意味が無い。死んでしまいたいと言う思いが常に頭の中にあったのだ。
「自分の生きている意味が無い、死んでしまいたいと思いましたね」
 ミサキは僕に向かって突然そう言った。僕は確かにそう思ったと答えた。
「私もあなたが居ないと生きている意味がありません。ですから一緒に消えてください。あなたの求めた結末にします」
 ミサキはそう答えると。両手を使って僕の首を絞めた。ものすごい力で首を絞められた僕はあっという間に意識を失って、そのまま息絶えた。そしてミサキと共に僕はこの世界から居なくなったのだった。


                                  (了)
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