左腕

文字数 1,239文字

 僕の左腕は、最近様子がおかしい。
 異変に気付いたのは、先週の火曜日の夜。仕事が終わってシャワーを浴び、部屋でくつろいでいると左腕が小刻みに震えていたのだ。最初は何か重い物を持ったか、あるいは変な負荷をかけてしまったのかと思ったが、明日になれば収まるだろうと思って気にしなかった。
 だが次の日の昼になっても震えは収まらなかった。いずれ収まるだろうと思って何もしなかったが、二時間もすると震えが大きくなり、傍目から見れば不自然さが目立つようになってしまった。僕は何か変だと思い湿布を張ってみたが、肌が冷たくなるだけであまり効果は無かった。そして部屋に戻る時にはさらに震えが激しくなり、肘の間接辺りまでが動くようになってしまったので、僕は家にあった調理用のトングを添え木にして震えを抑え、不安になり病院を予約した。
 予約した病院に行き、名前を呼ばれて診察室に入る。医者は四十前後の小太りの男で、不安を抱えた人間の気持ちを楽にしてくれる安心感が漂っていた。
「どうされました?」
「一昨日から左腕が震えて収まらないのです」
 医者の質問に僕は間を置かずに答えた。袖をまくり添え木のトングと包帯を外し、別の生き物の様に震える左腕を見せた。医者はそれまでの柔和な雰囲気を消し去って、難病に立ち向かう医者の顔つきになり僕の腕を手に取った。
「しびれや痛みはありますか?」
「ありません。自分の腕が別の意志を持っているような感覚です」
 僕の返事に医者は訝し気な表情になった。自分の記憶と経験から思い当たる症例や原因を探り当てているのだろうか。
「怪我をされたとか、何か思い病気を患った経験は?」
「ありません」
「普段から服用されている薬などはありますか?後は強いストレスを感じているとか」
「そういうのもありません。左腕が言う事を聞かなくなっているようなのです」
 医者は訝し気な表情で震える僕の左腕を見ながら、理解できなそうに唸った。医者にも治せないのかと思うと、僕は残念な気分になった。結局、その日は何も出来ずに終わってしまった。
 後日、僕は大学病院で脳の検査や腕に電極を張り付けて原因を探る診察を受けたが、なぜ勝手に震えだすのかは不明だった。
 高い診察代を支払った僕はがっかりして大学病院を後にし、部屋に戻った。左腕はまるで僕とは別の意志を持った生命体の様に震え、肘の関節はもちろん指先まで制御不能になりつつあった。僕が動くなと念を送ると少しは静かになるのだが、しばらくするとまた動き出してしまう。もしかしたら、僕の左腕は僕とは別の存在なのかもしれない。

 やがて症状がエスカレートすれば、左腕は胴体である僕に牙を剥き襲い掛かって来るかもしれない。あるいは僕から分離して、僕とは別の生命体になってしまうかもしれない。今の時点ではそのどちらの現象も起きていないが、不安とともに僕と左腕がどうなるのかという興味も少ないながらある。

                                     (了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み