何もない場所にいた姫様。

文字数 2,695文字

 日曜日、僕は池袋駅から私鉄の電車に乗って多摩地域へと向かった。
 池袋から多摩地域に行った理由というのは、僕は普段JR線を使っている小学校六年生なのだが、十二歳にもなってJR線以外の電車に乗ったことが無いのは経験が乏しいと思った事、二つ目は自分が住んでいる街とは異なる街の光景を見たくなったからだ。池袋はもちろん、新宿、渋谷あたりの有名な場所はもう見終えてしまったから、すでに知っている光景から得られる刺激とはまた別の刺激が欲しかったのだ。
 僕は池袋駅から私鉄の各駅停車の列車に乗り換えて、まだ一度も足を踏み入れた事のない、東京都西部地域へと向かった。繁華街や乗り換えのハブとなる大きな駅が無いせいか、下り列車の車内は日曜日であっても乗客が少なく、普段利用する山手線とは違った開放感と長閑さが漂っていた。
 放送四十五周年を迎えたロボットアニメの制作会社があった街を抜けると、住宅街から郊外の街と呼びたくなる光景が広がり始めた。背の高いビルが遠くにあり、代わりに青空とむき出しの大地が広がる土地で生まれ育ったら、僕の性格や感性も今とは変わった物になっていたかもしれない。
 さらに電車は進み、地名に東や奥と言った文字が入る地域に近づいてきた。方角や土地の状態を表す文字が地名に入ると、それだけで自分の住む二十三区内とは違う土地に来たのだという実感がふつふつと沸いてくる。
 終点まであと二つ、という所まで電車が来ると、雑居ビルや住宅と言った人間の生活に必要な建物の数が少なくなって田畑の面積が増えて、遠くに濃い色に染まった山々のシルエットがはっきりと見えるようになった。同じ東京都であっても、僕が生まれ育った二十三区内とは全く異なる光景。もし同級生が一緒に居たなら、口をそろえて「俺たちの知っている東京都は違う」「同じ東京でもここは田舎だ」と口をそろえて言ったに違いない。
 やがて電車が終点からあと一つの駅に停まったので、僕はここで降りる事にした。電車から対面式のホームに降り立つと、屋根があるのは改札口近くの近くで、僕がやって池袋方面のホームには屋根がなく、遠くには地方を隔てる山々のシルエットが見えていた。山の向こうは僕のいる地域と天候が違うのだろうか、峯の向こう側に深い灰色の雲が見え隠れしている。
 改札を抜けて、僕は今初めて名前を知った土地に降り立つ。駅前はバスとタクシー乗り場がそれぞれ一か所と、コンビニと郵便局があるだけ。遅れているというよりは、無駄な物がないといった。印象だった。普通の人間ならそれが不便か面白くないと思うだろうが、様々な物で飽和した地域に住んでいる僕にとっては新鮮な光景だった。
 その新鮮な光景の中で、僕は駅を離れて目の前を走っている二車線の道路に沿って歩き始めたが、目の前に広がるのは美しい自然とまっすぐな道路だけだった。何か面白い物でもないだろうか、と僕が周囲を見回すと『○○城跡まで、300メートル』と書かれた錆びだらけの看板を見つけた。他に興味を引くものが無かったので、僕はその看板の指示どおりに歩いた。
 その古城後は完全に周囲の山々と同化していて、城へと続く道は木々が作り出す緑色のトンネルに覆われていた。観光客のために用意された通路は一応整備されていたが、山間の所で見かけるハイキングコースと大差なかったし、きちんと手入れされているとは言い難かった。一応、入り口から五〇メートルも歩くと古城の全体図と現在位置を示す案内板があったが、風雨に晒されたのかかなり汚れていた。
 僕は案内板を眺めて、何か面白い史跡は無いのかと思いながら見ていると、「見晴らしの丘」と名打った場所に「姫の塚」と記された塚があると表示されていた。見晴らしのいい場所に姫様が居るなんて面白いな。と思った僕は、その方向に向かって歩く事にした。
 再び木々に覆われた緑のトンネルを進むと、進行方向先に一か所だけ光が差し込む空間が見えた。まるで異世界への入り口みたいだ。と僕は思って、その方向へとさらに進んだ。
 森によって出来た緑のトンネルを抜けて、開けた場所に出る。そこは現代社会の匂いが漂ってきた駅前の空気とは異なる、この土地が持つ自然本来の空気と時間が流れているような気がした。
 何か違うぞと本能的な感想を抱くと、背後に人の気配がした。振り向くと、そこには僕と同じくらいの年齢の女の子が、着物を着て佇んでいた。
「珍しい人間が来たね。一人なの?」
 女の子は興味深げな表情で僕に訊いてきた。僕は見知らぬ同世代の人間に声を掛けられることが無かったので、ちょっと戸惑った。
「そうだよ。面白そうな物が無いかこっちに来たんだ」
 僕は完結に事実を述べた。すると女の子は急にがっかりしたような表情になり「なあんだ」と嘆きの言葉を漏らした。
「世の中が嫌になって、やけっぱちになってここに来たのかと思ったら違うのね」
「残念だった?」
 僕はおどけて見せた。「自暴自棄になってこんな何もない所に来た」と思い込んでいた女の子を皮肉ってやりたかったのだ。
「いいや、それは自由な証拠だと思うから、むしろ羨ましい」
 女の子が答えた言葉は大人びていた。年齢は僕と同じくらいだろうが、全体的に大人びている様子だった。
「そういえば、君は誰なの?」
 僕は思い出したように女の子に質問した。すると女の子は疲れたような表情になって、入り口近くの石でできた塚を首で差した。
「あそこの塚に刻まれている姫様。何百年も前にこの土地に会った城で殺されて、ここから出られずにいるの」
「極楽にも地獄にも行けないの?」
 僕が質問すると、姫様と名乗った女の子は僕を一瞥したあと、やつれた様子でこう続けた。
「そう、誰かが助けてくれるのかと思ったけれど。私はこの世の存在ではないから、ここから出る事は出来ないの」
「なんで?」
「ここは私に与えられた唯一の居場所だから。誰かが訪れるのを待つだけ」
 彼女の言葉に僕は何も答えられなくなった。
「ここは何もない所だから、訪れる人も少ないの」
 姫様は急に物悲しくなった様子で、切なげに答えた。
「何も無いけれど、君がいるじゃないか」
 僕はほぼ反射的にそんな言葉を口にした。その返事が彼女には意外だったのか、くすんでいた表情が少しだけ笑顔になった。
「ありがとう」
「ここで君と出会えたことは忘れないよ。何もないと思っていた場所で誰かと出会えたんだから」
 僕が答えると、姫様は照れ臭そうに俯いた。
 それから僕は姫様と少し会話をした後、何もない場所を後にした。何もないところで小さな体験が出来た事は、大きな収穫だった。

(了)
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