曇った祝日

文字数 2,721文字

 眠りから目覚めて、窓から見上げた祝日の朝は曇り空だった。
 活動を妨げ、人間の気持ちを憂鬱にさせる事は無いのだが、薄灰色の雲がライスペーパーの様に広がり、自分の上にあるというのは晴れやかな物ではない。祝日と言う法律で定められた休日であっても、カレンダー上は平日で本来なら働かなければならない。と言う事を暗喩しているのだろう。子どもの頃や十代の頃は無知だったから、祝日になれば浮かれた気分になったものだが、酒や煙草、肌を重ねた女の肉体の様に、何度も味わってしまえば特別な物ではなくなってしまうのだ。
「起きたの」
 背後のベッドで寝転がっていた汐里が呟く。昨日の夜は明日が休みだからと言って、ウィスキーを軽く飲んでお互いの肌を重ねたが、酒の味と同じようにもうすっかり自分の身体と頭脳がその感触を覚えてしまい、新しい発見や喜びとは違う印象を僕に与えつつある。
「ああ、おはよう」
 僕は小さく答えた、
「今日はあたし、午後から仕事だから。普段出てくれる人が出勤できなくなったから」
「了解。頑張ってね」
 また小さな言葉で僕は答えた。後二時間もすれば僕の部屋を出て、制服に身を包んで販売の仕事に携わるのだろう。今日は祝日だから、百貨店の仕事は忙しい筈だ。
 僕は自分の部屋に戻る汐里の為に、近くのコンビニでおにぎりを買ってきてあげた。買ってきたのは、汐里が好きな昆布と五目チャーハンのおにぎり。僕はツナマヨと赤飯のおにぎりだった。ポットでティーバッグのほうじ茶を入れると、汐里は嬉しそうにおにぎりとほうじ茶を味わってくれた。
「ありがとう」
 汐里の言葉を聞いて、僕は薄っすらと曇りに覆われた祝日の空に、小さな光が差し込んだような気分を味わった。

 汐里が部屋を後にすると、残った僕は再び手持ち無沙汰な気分になった。誰かと共有することの無い、空虚で主体性の無い時間。この時間に慣れてしまったら、おそらく人間は自分らしさと、それを支える知性や向上心すら失ってしまうだろう。そうなってしまえば朝方の空と同じように、輪郭線が曖昧で中途半端な明るさしかもたらさない存在になるだろう。
 そんな手持ち無沙汰な祝日をどうやって有意義に過ごそうか。と思案しようとしていると、テーブルに置いたスマートフォンに、インスタクラムのメッセージが届いているという通知が表示されていた。僕はスマートフォンを手に取り届いたメッセージを確認する。メッセージの送り主は小中の同級生で、その後底辺高校に進学した男子生徒の四条だった。
 祝日に連絡をよこすとはどんな風の吹き回しだろうと思い、僕はメッセージを開いた。
「久しぶり。何してた?」
 彼と連絡を取るのは約二年ぶりだったが、その割には色気のない言葉だった。
「久しぶり、朝食を食べ終えた所」
 僕も色気のない事実を言葉にして返信した。汐里の事を言及しても何のメリットも無かった。
「俺も朝起きてのんびりしていたよ。今日はヒマかい?」
 脈絡もなく四条は僕を誘ってきた。不意に僕を誘うという事は、酒や女、あるいは金の絡む美味しい話を僕に持ち込もうとしているのだろうか。
「何か俺に用事でもあるの?」
 僕は隙を見せずに質問を返した。脈絡もなく自分の都合を聞かれたのだから、友人であっても多少は身構えてしまう。
「実は、一緒に来て欲しい場所がるんだ。国立の方にあるんだけれどさ」
 返って来たメッセージの文を僕は注意深く読んだ。東京二十三区内の繁華街ではなく国立の方に用事があるという事は、如何わしい類の行動ではないのかもしれない。
「墓参りに一緒に来て欲しいんだ」
 僕が四条からのメッセージを読み込んで意図を探ろうとしていると、新しいメッセージがすぐに飛び込んで来た。
「誰のお墓参り?」
「会ってから話す」
 僕の送ったメッセージに、四条は間髪を入れずに返信してきた。



 四条との待ち合わせには、地元の駅ビルにあるチェーン店のコーヒーショップを使った。店内は平日の同じ時間帯よりも人が多く、与えられた祝日を特別な物にしなければならないという焦りと共にやって来たような客が多いような気がした。
 僕はレジで一番安いアメリカンコーヒーを注文し、空いている席に座った。スマートフォンを取り出して時間を確認すると、あと一分で四条と待ち合わせた時間になる。久々に会う四条はどんな感じだろうかと思っていると、黒いパーカーに身を包んだ四条が店に入って来た。
「やあ」
 四条は小さく挨拶して右手を軽く上げた。彼はレジでオレンジジュースを注文し、手に持って僕の席までやって来た。成人したら酒を飲み交わすのが当然だと思っていたが、コーヒーとオレンジジュースと言う非アルコール飲料は、大人を子どもに戻す効果があるなと僕は思った。
「よう、悪いな」
 四条は席に着きながら小さく謝った。高校を卒業した後、自動車整備士の資格を取り中古車屋か整備工場に就職したと聞いていた。
「調子はどうだい」
 僕は当たり障りのない言葉を四条に掛けた。彼と再会して何を話そうかと言うのを全く考えていなかったのだ。
「俺の方は普通だよ。お前は」
「俺も普通」
 口数の少ない高校生同士の会話みたいだと僕は思った。
「それで、俺を呼び出して八王子まで付き合わせたい墓参りは、誰の墓参りなんだ」
 単刀直入に僕は切り出した。無駄な話を少し続けてから本題に入るよりも、問題が早く進行しそうだからだ。
「墓に眠っているのは俺の奥さんと子どもだ」
 四条の言葉があまりにも唐突だったので、僕は言葉を失った。彼が結婚して居た事、そして失ってしまった事を一辺に知ってしまったのだ。
 暫くの沈黙の後、僕は絞り出すように声をだした。
「俺は墓前に行って、手を合わせればいいのか?」
「ああ、それともう一つ頼まれて欲しい事があるんだが」
「もしそれを断ったら?」
 僕は間を置かずに訊いた。驚きの感情のあとこの場所から逃げ出したいという気持ちが強くなっていたのだ。
「構わないけれど、もう俺とは会えなくなるぞ」
 僕は黙った。過去の交友よりも、今の自分を守りたいという自分の気持ちが強かった。
「悪いけれど、受け入れられない」
「そうか、わかった」
 四条は言葉の後に諦めのため息を漏らして、店を後にする。一人残った僕は得体の知れない重圧に震えながら、カップの中のコーヒーを眺めていた。



 祝日が終ると普段通りの生活が始まり、僕も仕事に戻って四条との出来事を忘れようとした。そして再び休日が訪れると、別の同級生から四条が死んだ事を伝えられた。何でも国立の藪の中にある家族の墓の前で自殺したという話だったが、もう彼とは会えないという事を受け入れたので、通夜と告別式には出ないと伝えた。

(了)
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