夢を見る枕

文字数 1,291文字

 最近の感染症の流行も相まって、人々は家に引きこもり好きな事をして過ごす事が多くなった。何か生産的な事をして過ごす人も居れば、そうしない人間も多く居た。生産的な行為が出来ない人間は無駄な事をするか、夢想するかのどちらかだった。
 ある日の午後、一人の男が街を歩いていると、『好きな夢が見れる枕』と宣伝している露天を見つけた。近づいてみると、羽毛やそば殻などで作られた、紫色の枕が販売されているのを見つけた。値段は一つ五〇〇円ほどで、つくりや素材の割にはリーズナブルだと男は思った。
「手作りですよ」
 売り子の女が小さく男に声を掛ける。驚いた男は思わず会釈した。
「この枕で眠ると自分の好きな夢が見れますよ。おひとついかがですか」
 女が勧めて来たので、男は購入を一瞬躊躇したが、五〇〇円ならば大した損失では無いし、駄目なら捨ててしまえばいいと思い、そば殻で作られた枕を一つ購入した。
「夢が見れますよ」
 代金を支払う時、女は笑みを浮かべて枕を手渡した。男は気味の悪さとも恥ずかしさとも言えぬ気分を味わったが、枕を受け取るとその気持ちも消え失せた。

 帰宅し夜になると、男は購入した枕を使って眠りにつく事にした。どんな夢を見ようかと男は考えたが、思いつく事は無かった。あえて浮かんだ事と言えば、贔屓にしている大相撲の力士が西の関脇の地位にとどまった事だ。先場所の優勝は、関脇の高校の後輩だった東の前頭四枚目が持って行ってしまった。東前頭四枚目と対戦した際、彼に敗れてしまったのが響いた場所だった。あの一番で勝って欲しかったと思いながら、彼は眠りについた。

 気が付くと、男は両国の駅を降りて国技館に向かう道を歩いていた。早い時間に来たせいか、観客の姿はまばらだった。入口に向かい、チケット係をしている親方にチケットを切ってもらい、中に入り予約していた事を相撲茶屋の人に告げる。二階の正面椅子席に座ると、目下の土俵上ではまだ関取でない序の口力士たちの取り組みが行われていた。席に着くとあっという間に時間が過ぎて、幕の内土俵入りが始まった。そして彼の贔屓にしている関脇と、前頭四枚目の力士の名前が呼び出しによって呼ばれた。そして土俵に上がり、仕切りの後に制限時間一杯になって腰を落とした。席の男は固唾をのんで土俵を見つめたが、立ち合いの前にすべてが消えて無くなってしまった。

 気が付くと、次の日の朝になっていた。男は布団の中で何があったのかを思い返して、この朝を迎えた経緯を思い返した。男は良い買い物をしたと確信した。
 その日の夜に見た夢は、中学時代の初恋の人を思い出す夢だ。どうしても伝えられなかった気持ちを伝えたいのと、その次の事をしたかったからだ。男は初恋の相手を捕まえて、押し倒して犯した。相手を征服した時点で、男の夢は消えた。男は続きが見たくて、次の日の勤務を欠勤した。
 やがて彼の生活は起きる事よりも眠る事に軸足を移して、起きているのが非現実であり、眠って夢を見るのが現実になった。彼の中で夢は現実のものになったのだった。

                               (了)
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