闇の商人

文字数 3,563文字

 彼の仕事は、闇の商人。
 彼が売りさばく商品は様々で、麻薬に武器、流出した他人の個人情報に人間の臓器、あるいは人間そのものや偽札に核物質など。お客は大富豪に有名人、国連制裁で資産を凍結された独裁者とその統治下にある国の出先機関。大金を扱う仕事ゆえに出入りの金額は激しく、スイスやケイマン諸島などに隠した預金金額は、USドル換算で三億は超える。しかしハイリスクすぎる仕事内容の為に、そのお金を気前よく使う事は無かったし、何かに使いたいという意欲も無かった。一歩間違えれば、自分の命を含めてすべてが消えてしまう環境で、契約と取引をまとめるという、仕事上の達成感に彼は仕事の真価と生きる意味を見出していた。

 現在彼が居るのは、アジア某国の首都にある高級ホテル。中部アフリカの独裁政権に武器を売った見返りに、ダイヤモンド鉱山の開発権と、紛争終結後に地域一帯に大規模なインフラ開発をイギリスとロシアの企業に結ばせる契約をした後、ドバイ、シンガポール、上海を経由してこの国に来ていた。理由はこの国が国連制裁の抜け目を使って輸出している武器と覚せい剤を欲しがっている顧客が、北アフリカと中東に居るのを教える為だった。
 彼は春になったが雪がまだ残る首都の街並みを、ホテル最上階のスーパースイートから見下ろしていた。長く続いた経済制裁と、大量破壊兵器の保有疑惑を受けて国連安保理の経済制裁が発動した結果、国内経済が停滞し人々は貧しくなり、長い冬がもたらす雪と氷によって動きが鈍くなり街行く人々の表情は重い。彼が宿泊するスーパースイートも、長引く経済制裁によって設備投資が行われず、室内の調度品が二十年前の日本の地方ホテルのレベルで止まっている。不便は無いが、モナコやドバイ、シンガポールのホテルにいつも宿泊する人間から見れば石器時代に迷い込んだような気分だった。
 彼は窓から離れ、ベッドに腰掛けた。シンガポールから持ち込んだ十八年物のスコッチを開けようか悩んだが、時刻はまだ昼の十二時三十七分。少し時間が早かった。
 昼食を取りにホテルのレストランへ行こうか考えたが、ここの西洋料理は味が薄く彼の口には合わないのを思い出した。中華レストランの料理か、サンドイッチとフライドチキン・ポテトのルームサービスで間に合わせようかと思っていると、ベッドの枕元にある電話が鳴った。
 彼は仕事関係の連絡だと思い、受話器を手に取った。
「はい。スミスです」
 彼はスミスと名乗った。この名前は仕事で使う英語風の名前の内の一つで、本名とは別にあった。
「こんにちは、ミスタースミス。国務省総務課のジーです」
 受話器の向こうで答えた相手は、この国に居る際、彼の担当者を務めるジーと言う男だった。流暢な英語の他にもロシア語が話せる男で、一応は国務省の総務課の人間と名乗っているものの、実際は情報機関のヒューミント担当部門の人間だ。名前も偽名で彼はその事に気付いていたが口にする事は無かった。何かの契約を取りまとめる時は、外務省の貿易担当官と名乗る人間が付く。
「こんにちは。何かな」
 彼は英語で答えた。この回線は常に盗聴されているから、言葉遣いに気を遣う必要があった。
「実は、ミスタースミスにご案内したい場所がありまして、よろしければそこへご案内したいのですが」
 流暢な英語を話すジーの言葉を聞くと、彼は今後、この国の政府と何か交わすような約束事があるか考えた。スイスにあるこの国の隠し口座には契約で決められた額の金を送り込んでいるから、何かの問題が起きた様子でもないようだ。
「案内したいというのは、ビジネス関係の事かな?」
「はい。詳しい説明は現地で行います。それと、ブリーフケースを一つお持ちください」
「わかった。準備しよう。ニ十分後にホテル一階のエントランスに」
 彼はそう英語で答えて、電話を切った。



 二十分後、身支度を整え、ブリーフケースを片手に彼がホテル一階のエントランスに向かうと、スーツ姿のジーが彼を出迎えた。彼はジーの案内で、車寄せに停車していた十数年前の黒いBMWのセダンに乗り込んだ。西側先進国ならば中古で二千USドル程度で購入できる車だったが、この国では最高級車だった。
 ジーと共に後部座席に座ると、運転手が車を出した。車は墓石のように色の無いビルが立ち並ぶ中心部を離れて、より一層雪と氷に覆われた郊外へと向かってゆく。
「郊外に向かっているという事は、何か大掛かりな事なのかな?」
 彼は英語で小さく漏らした。
「いずれ判ります」
 ジーは英語で小さく答えた。前に座る運転手は英語が判るのか判らないのか不明だが、鋭い眼差しのまま何も答えなかった。
 橋を二つ越えて、雪に覆われた田園地帯に出る。白く光り輝く熱の無い大地と、気味が悪い位に単色青空。生と死が紙一重で同居する空間に居ると彼は思った。
 車はやがて、経済制裁下の国には似つかわしい家々が立ち並ぶ場所に来た。彼が窓から外の様子を伺うと、若い女が数人、家の前に立っているのが見えた。肌や顔立ち、血色の良さからこの国の人間では無い。外国から来た要人をもてなす為の娼館だろうか。彼も何回かそういった施設に通された事があったが、この場所ではなかった。
 車は立ち並ぶ家々の中で、最も小さな建物の前に停まった。彼はブリーフケースを持ったままジーと共に車を降りて、建物の中に通された。
「ここにはどんな人間がいるんだ?」
 彼はジーに質問する。
「人間は人間ですが、少し変わっています」
 ジーはこの国を覆いつくす冬の雪と氷のように冷たい口調で答えた。彼はちいさな恐怖を覚えたが、今更後には引けなかった。
「奥の部屋に問題の人間が居ます。どうぞ」
 ジーは英語で彼を部屋に入るように促した。彼が言われるまま部屋に入ると、ジーは一人で扉を閉めてしまった。
 薄暗い部屋に残された彼は、仕事上なにかやましい事をこの国にしてしまっただろうか、と悩んだ。すると、部屋の中に誰かが居る事に気付いた。
 目を凝らすと、そこには十代半ばの少女が居た。肌は白く、長い黒髪が表情を覆い隠して、人ではない何かを思わせた。想像していなかったタイプの人間の登場に、彼は喉の奥が凍り付く感覚を覚えた。
「あんた、何でも売る闇の商人なんだって?」
 少女の言葉が彼の頭の中に英語で響いてくる。耳に聞こえたのではなく、テレパシーのような形で伝わってくる。
「私はこの世界に数人いる不老不死の女の一人。男に抱かれて命を吸う代わりに、新しい命をばらまく」
 不老不死とテレパシーで伝えて来た彼女は、無言で僕の方を見た。黒髪の向こうにある瞳は紛れもない少女のそれで奇妙なアンバランスさがあった。
 彼は何が起こっているのか判らないまま、金縛りに似合ったように身体が動かない事に気付いた。闇の商人として様々な修羅場は幾つか超えて来たが、明らかに人ならざる存在と対峙して、言葉を聞くのは初めての経験だった。
 少女のような存在は、自分の股の中から何かを取り出した。股の中から出て来たものはブヨブヨとした脂肪の塊の用であったが、金塊のように光り輝いているのが不思議だった。
「それを、俺にどうしろと言うんだ?換金してこの国の国庫に入れるのか?それとも経済制裁解除の切り札にするのか?」
 彼は母国語で尋ねた。何年も使っていなかった、懐かしい祖国の言葉だった。
「これをどこかにばらまいて。あなたはお金や名誉よりも、自分が何をするのかというのに生きる目的を見出している。あなたのせいで不幸になった人間は多く居るけれど、あなた自身は不幸じゃない」
「俺に罪を滅ぼせと?」
「そうじゃない。あなたは儲けではなく気持ちで生きている。それを信用したの」
 少女のような存在はそう語りかけた。自分の仕事が金銭的利益ではなく本質的な理解の上で認められたような、奇妙な心地良さを彼は覚えた。
「これを世界の何処かにばらまいて。もし、自分がやましい人間になってしまったら、ここに戻ってきて抱いて。あんたの命を吸ってこれに作り替えるから」
 少女のような存在はそう言ってブヨブヨした黄金の塊を受け取った。塊には熱も重さも無く、ただ柔らかい感触がある不思議な物体だった。
 やがて目の前に居た少女のような存在は消えてしまった。彼は受け取った塊をブリーフケースにしまって部屋を出た。部屋を出ると、ジーが彼の帰りを待っていた。
「受け取ったのですね。命の塊を」
 ジーは英語で彼に訊いた。
「これは何処に持って行けばいいんだ?」
 彼はジーに訊き返したが、ジーはこう答えた。
「我が国は経済制裁下で、外国を相手に商売が出来ません。ですから、あなたにお願いしたいのです」

                                    (了)
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