第177話 瞑想その後

文字数 1,278文字

 べつに精神論者でもないし霊的なものを信じているわけでもない。スピリチュアルなものにも疑念を抱いている。ホントウに信じることができればラクになるのになぁと思うが、これが自分にとってのラクなんだ。つまり中途半端。
 掃除も中途半端、メシづくりもこんな文章をたらたら書いてることも、ぜんぶ半端。完全完璧にはなれない、中途半端にしかなれない、これを知れたことは僥倖と言っていい。要するに今がベストなのだ。どんな文句、不平、不満を抱こうが、今が。いつも、いつだって今がベストだったんだ。

 瞑想は変わらず続けている。何年目だ? 新しい気づきを記しておこう。
 部屋にはクーラーがない。居間と二階にはあるが、私の部屋には。午後など、そうとうな暑さになる。早朝も、蒸し暑い時は蒸し暑い。5時半に自然に目覚め、瞑想を始め… れいによってモーツァルトを聴きながら。
 30分は余裕をもって出来るようになった、半結跏趺坐で。1時間も調子が良ければ可能。以前は右足を上に置いていたが、今は左足を上に置いた方がしっくり来る。腰に、何らかの変化が生じた模様。
 で気づいたのは…「風」のこと。
 パソコンを打っていたり見ていたり、何かしている時は全く気づかなかった。
 いや感じてはいたが、たいして感じなかった、小さな小さな風、空気の流れが、身体をかすめていることに。

 アッチイなぁ、と思いつつ瞑想をはじめ、しばらくするとどこからか(たぶん部屋のすぐ向こう、洗濯機置き場と風呂場の窓から)小さな風が。ほんとに空気の流れのようだ。
 この流れ、常時あるわけでない。ふっと、流れてくる時があって… それがとても心地よい。
 まさに清涼。部屋の中はもちろん蒸し暑い、でもこのささやかな、ささやかすぎる風が。
 ありがたいなぁ、と。
 エアコンは欲しいけど、エアコンに慣れてしまったらこの風をこんなありがたく感じることもなかったろうなぁ、と。
 こころしずめて、じっと何もしない、瞑想めいたことをしていて気づいたこと。今年の夏はこの小さな風が、なんともなんともいとおしい、かけがえのないものに感じられて。

 ところで昨日、また地震が。宮崎の方で、南海トラフの活断層が。
 市のスピーカーからも「大地震注意」の放送が。
 近所のお店、水を買い求める人が多く、在庫がないとか? 買い占める人、ほかの人のこと考えてんのかな。
 そりゃ来るよ、いつかは大地震… それが近くなったということだ。想定される震度、津波の図を見れば、こりゃもうムリだ。そしてまた原発だ。
 こんな世になりゃ、天も地もお怒りになるだろうよと、ちょっとこじつけてみる。
 〈私〉は〈私〉の流れで生きてきて、この身体がある。この身体に精神や心、この世での生命が宿っていることがわかる。魂というのは、またべつにあることもわかる。わかるというより感じるもので…
 それと同様に、大きな流れというものがあって。その中で、〈私〉がいる、いた、というのもわかる。
 ありがたいじゃないか、地球も動いて。生きてんだ、自分を自分とする、私を私とする、けったいな分け隔てなんかなく。
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