第五話 逃走・後編

文字数 4,214文字

 緊張しているのが、真織にわかる。今、頬を一滴の汗が流れた。高雄も同じ気持ちだ。足が震えている。

(風…。その気になれば、応用し放題…。相手を風で吹き飛ばすことも、自分が風に乗ることも。もしかしたら、それ以上の予想外が待っているかもしれない…!)

 だが、どんな一手が待っていようと、高雄がすべきことは何も変わらない。久美の敵意を祓ってやるのだ。そうすれば戦意をかき消せる。そのためには、手に握る札を、久美に触れさせなければいけない。

「作戦は何か、あるかい?」

 真織の耳元で高雄が呟いた。二対一はどう考えてもアドバンテージにしかならない。が、高雄はそれを活かすには真織と息を合わせないといけないと思っている。むやみに動いては、人数有利は死ぬ。

「ありませんよ」
「はい?」

 聞き直したが、返事が変わることはない。

「ないのが作戦です。全てアドリブで突破しましょう」
「何故に…?」

 その思考は理解しかねる。そういう文句を呟くと、真織が口を開いた。

「今ここでどう動くかを決めても、相手の出方によっては計画が無駄になりますよ。それに、彼女に逃げられるわけにはいきません」
「じゃあ、逃げられないように立ち回る?」
「そうしましょう。でも、どんな動きをするかは決めません。相手の出方をうかがい、それを潰す…。そうすれば自ずと、勝利が見えてくるはずです!」

 自信満々に真織は言うが、高雄はかえって心配になった。

「もう作戦会議はいいかしら?」

 久美が急かしてきた。

「いいですよ、始めますか?」

 真織が一歩、前に出た。札を手に持ち、それを久美に向ける。

(流石に風に邪魔されることはないでしょう…)

 空気の動きより、電気の方が勝っているだろう。そういう思い込みが、油断を生んだ。

「あっ!」

 いきなり吹いた小さなつむじ風に、札が切断された。

「もう来た! 真織、大丈夫か!」
「心配はいりませんよ、ですが思い違いをしていたようです…」

 それは、風を起こすのに予備動作が必要であるということ。今の久美は、体を全く動かすことなく風を起こした。一瞬だけ瞳を閉じるようなことすらしていない。

「じゃあ、あの手を握って開く動作は一体、何だったんだい?」
「それこそ、知る権利はないかもしれませんね…」

 切られた札を高雄が拾った。綺麗にスパッと切れている。これを体にくらえば、出血は免れない。最悪の場合は、大怪我だ。ゴクリ、と唾を飲む。

「次の一手を撃ち込んでくるかもしれない! 真織、早く新しい札を手に取って、雷の陣を作れ! 俺のことを気にする必要はない、いや、している暇がもったいない!」

 その間、高雄は時間稼ぎを自ら引き受けた。心地よいその決意に、真織はすまないと罪悪感を抱く。

「雑魚はどうやっても雑魚! この世から退場してもらおうかしら?」
「やってみないとわからないぞ! このヤロウ!」

 高雄の戦法は、オーソドックス。札を掲げ、それを相手に振り下ろす。一切の工夫はされていない、言わば見え見えの攻撃。

「そういう態度が雑魚って言ってるのよ! そんなこともわからないんじゃあんた、お終いね」

 睨んだだけで、鋭い風が高雄の腕を襲った。持っていた札は真っ二つに割れ、手の甲に浅い切り傷が走る。そして服の袖も切り裂かれる。

「いいや! 俺はこの一手を待っていた!」

 破けた袖から、札がチラリと見えた。そこに一枚、隠し持っていたのだ。

「無駄なあがきね、見苦しいわ」

 確かに、これは久美の言う通りだ。見えてしまっている以上、その札が久美に通じるかどうかは非常に怪しい。現に久美は、いつでもかわせると思っているのか、あまり危険視していない。驚くことすら忘れているかのようだ。

「吹き飛ばせば、関係ないのよ!」

 大きな風が吹いた。木々が揺れ、雲が足早に移動する。この風に耐えることができず、高雄の札は空の彼方に飛んで行った。

「まずはあんたをやる。雑魚が、光栄に思いなさい? 私が息の音を止めてやるんだから!」
「そんなのはごめんだね!」

 物凄い風圧の中、高雄は足を進めた。一歩一歩が重すぎる。しかし、進まねばいけない。

「何してるの? くたばる準備?」
「違うね、確認したかったんだ…。最初に風を見た時は、焦ったよ。聖霊神社の修行僧が一発で吹っ飛んで行ったからね。でも、それには条件があった。近すぎると自分も巻き込んでしまうんだろう?」
「………!」

 無言だった。それは、高雄の問いかけに『はい』と言っているようなもの。

「最初っからしたければ、一撃で吹き飛ばせる。のに、しない…。いいや、できないんだ。距離がないと大きな風に、自分の足もすくわれる。だから俺や真織に対して、小さい風の攻撃しかできない!」
「……うるさいわ! 何いい気になってんのよ! 雑魚は雑魚らしく、早くくたばりなさい!」

 怒りを露わにした。しかし、高雄を吹き飛ばすほどの風は吹かない。高雄の読み通りなのだ。この距離では、久美は自分も風に巻き込まれてしまう。

(届かせる、最後の札を! 服の中に入れておけば、俺ごと吹き飛ばされない限りは、絶対に安全。あと少しで届くんだ、どんなに強い風が起きても…)

 急に風が止んだ。抵抗がなくなったので高雄は勢い余って前に駆け出す。だが、久美は小さな竜巻を生むと、それに乗って高雄を飛び越えた。

「しまった?」

 止まることができず、自分の足に躓いて高雄は転んだ。その無様な姿を見て久美は、クスクスと笑う。

「雑魚って本当に馬鹿よね? どうなるのか、自分の都合のいいようにしか考えられないんだもの。あんたの脳みそ、誰が作ったのか是非とも知りたいわ」
「それはこっちのセリフですよ? あなたの負けは今、確定しました!」

 真織が叫んだ。

「何言ってるの、末梢神経ある?」
「これは、私一人の力じゃありません。高雄の行為があってこそ実現できて…しかもそれは、あなたの墓穴! ここからあなたが勝つことができますか? いいえ、できませんね!」

 真織の手には、さっき切られた札が握られている。切り口から電気が零れ落ちるその札が切り札とは思えず久美は、

「強がってんの、バレバレよ? 恥ずかしいったらありゃしない!」

 そう思うのも無理がない。真織は雷の陣を作っていない。札を地面に当ててすらいないのだ。だが、別の作戦を思いつけた。

「まだ気がつかないんですか……。人を見下す暇があったら、人の様子を観察しましょうね…。じゃないと気がつけないんですよ!」

 今、高雄と真織の間に久美は立っている。この位置関係がいいのだ。

(高雄には、後でちゃんと謝ります。でも今は、勝利を優先させてください! 妲姫の記憶と、私たちの安全のために!)

 瞬間、稲妻が瞬いた。それは久美を見事に撃ち抜いた。

「うぐはっ!」

 威力の加減は絶妙で、動けないが、重症ではない。

「え? え? え?」

 何が起きたのか、久美にはまるでわからない。後ろから…高雄の方向から閃光が襲ってきた気がするのだが、高雄は電気使いではないはず。

「これですよ、あなたの敗因は」

 切れた札を見せつける。久美はそれでやっとわかった。

「ま、まさか…!」

 後ろを振り向いた。高雄にも電流が走ったのか、痺れている。

「切られた札の方は、高雄が持っていました。まだ私の霊気の残った札です、いつ放電させるかは自由でしたよ。でも、方向だけは私向きじゃないと駄目でした。これができたのは高雄のおかげなんです。札を持っていてくれたし、自分のことは気にするなと言ってくれました」

(そんな偶然が、ありえない!)

「いいえ偶然ではない、必然です。信頼できる仲間がいるかどうかの差です。私は高雄のことを信じていますし、逆に彼もそう。でもあなたは周りを見下すだけ……」

(に、に、逃げなきゃ…ヤバい!)

「できませんよ、立ち上がることは。今の一撃で、運動神経のみ麻痺しました。故にあなたは肉体を動かせません」

 勝負あり。真織と高雄に軍配が上がった。


 真織は、痺れている高雄に駆け寄った。

「大丈夫ですか…とは言っても、なわけないですよね…。勝手な行動、謝らせて下さい。さあ、肩を」
「ま、まあね。でも痺れるのは慣れてるよ…。真織じゃなければこんなこと、期待できな…」

 高雄が言葉を失った。不思議に思った真織は、彼と同じ方向を向いた。

「そんな馬鹿な!」

 久美が立っているのだ。同じ電気で痺れた高雄は、膝すら動かせないというのに、である。

「高雄…だっけ? 雑魚の癖に利用価値があったわ」

 久美が、札を一枚持っている。しかし彼女は、札使いではなかったはずだ。

「体に張り付けただけで、痺れが取れたわ!」
「な、何で持っている?」

 高雄は腹に手をやった。確かに最後の一枚はそこにある。

(じゃあ、アイツが持っている札はどこで…?)

 答えは簡単だった。久美が吹き飛ばしてやった高雄の札を、風を絶妙にコントロールして、自分の手元に来るように吹雪かせたのだ。戻って来た札は、真織の繰り出す電気の特殊な痺れを瞬く間に癒した。

「フン! 私は認めないわ、雑魚に屈したなんて! 私の方が絶対に上! でも今は、それを証明する時じゃない!」

 と捨て台詞を吐くと、久美は竜巻に乗って空に消えて行った。

「うげっ! 逃げられた?」

 真織が駆け付けた時には、風は止んでいた。目を離した、一瞬の出来事だった。

「まさか…。やりますね、さっきのアイツ! ここで私たちにいっぱい食わせるとは…」

 この勝利、喜べないものとなった。


 少し休憩すると、真織たちは出発の準備をした。

「本当に今行くのか?」

 禮導が止めようとしても、決意は揺るがない。

「駄目ですね。明日にでもアイツの仲間…蜂の巣でしたっけ? それがここに来ます。ここにいては、ぶつかってしまう。今すぐ、出て行きますよ…」

 真織たちもまた、逃げなければいけないのだ。
 正体不明の霊能力者集団、蜂の巣。それが妲姫を狙っている。卑怯な相手だったら、寝込みを襲ってくるだろう。グズグズはしてられない。他に安全な場所を探すのだ。

「行くなら、海神寺がいい。そこに行け」

 禮導が言った。

「どこです?」
「確か、広島の呉にあるんじゃなかったかな? そうだよね、禮導?」
「ああ。そこには信頼できる霊能力者がいる。匿ってもらうのだ」

 既に日が暮れ始めている。夜間の移動はできるだけ避けたい。真織たちは他に行く当てがないので、海神寺を目指すことにした。
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