第一話 始動・中編

文字数 4,599文字

 二時間と言われたが、女子の真織でもそれほどはかからなかった。森を抜けると開けた場所があり、そこに石碑が一つだけある。

「…まあ、住んでないなら荒れ放題でしょう。獣もご機嫌の様子ですね」

 畑っぽい地形だが、もはや見る影もない。雑草が隅々まで生え、真織が足を踏み入れるとイノシシが走って逃げて行った。途中で井戸を見かけたが、既に干上がっていた。
 建物はあった。だが壁には植物が生え、しかも一部崩れている。何年前のものなのだろうか。その戦争の時代を真織は住職から聞いていなかったのである。
 道は整備されておらず、デコボコ具合が靴の上からでも足でわかる。どうやらヘビを踏んだらしく、牙をむいて威嚇されるが、真織は構わずその首を掴んだ。

「あらあら! 私にそういう態度を取るんですか?」

 挑発的な発言。ヘビが黙っていないわけがない。しかし真織はヘビを放してやった。

「………見逃しましょう。すぐに沸騰しては、仏にはなれませんよね? 三度も許せるビッグな器…目指してみるのも悪くはないですが…」

 真織はせっかく孤児院を飛び出して巡礼の旅に出たと言うのに、目的がなかった。ただ、この世界をもっと見てみたいと思っていただけだ。だから寛容的な心を得るというのも悪くはない。
 だがそれが引っ掛かる。その考えは、時として足枷となる。真織は孤児院で、学校で、何度もそれを目にしてきた。この世界では、折れた方が負けという発想が存在するのだ。

「…………」

 無言だった。真織は結局、その目的を捨ててしまった。実力だけがものを言う世界で生き抜くのに、思いやりが必要かどうか? 誰かに聞くまでもない。
 そして石碑に歩み寄る。

「どれどれ…? 割と新しいように見受けられますね」

 石碑の裏には、戦争の詳しい経緯が掘られていた。が、納得できる内容ではない。一方的な視点、つまりは勝った神代側が主観になっているのだ。これでは、本当はどのような被害を生んだのか、全くわからない。石碑のどこを見ても、月見の被害者の名前が掘られていないこともそれを無駄に助長してしまっている。

「戦争から四半世紀過ぎていることはわかりましたが、それだけですね。記念碑として失格でしょう」

 真織は、何故この場所がこんなにも人気がない、というよりは寄せ付けようとしていないのかを理解した。こんなところに巡礼してくるのは、自分だけだろう。そう思って引き返そうとした時、後ろで草木の折れる音がした。

(…人?)

 誰かが背の高い雑草を踏みつける音だった。振り返ると、同じ年齢くらいの女の子が立っている。

(巡礼者、ですか。私の他にも回る物好きがこの世界にはいるのですね)

 真織は石碑から離れた。もう読んだ自分が、譲る番だ。
 しかし、その子は近づかない。

「……見たくないんですか?」

 思わず声を出した。すると反応したようで、

「はい…?」

 と返事が来た。

「ですから、この石碑をですよ! あなたも私と同じ、月見の塔に用があるのでしょう? でしたらこの石碑、外せないはず。違います?」
「つきみ…?」

 真面目にわかっていない顔だ。

「何、それ?」
「私に聞きますか…」

 返事に困った。霊能力者なら誰でも知っている戦争らしいが、真織は一ミリも知らない。説明しようにもできない。

(というか、彼女も霊能力者? なら知ってるのでは?)

 真織がそう考えるのも、無理がなかった。霊能力者でないなら、こんな場所に用事などないだろう。ここに何があるか、知っててやって来たと考えるのが自然だ。
 しかし、その少女は不自然なことに、何を言っても頷かない。ここまで来るとからかっているのか、それとも真面目に知らないのかの二択。

「…あなた、名前は?」

 真織は霊能力者ネットワークの紙を広げて聞いた。

「妲姫」
「苗字もお願いできますかね?」
原崎(はらさき)妲姫(だっき)

 は行に目を走らせると、名前を発見できた。自分と同い年であるその少女、しかし、ワケありだ。

「妲姫、さん。あなた、名前年齢はこのように記載がありますが、その他の欄に記入がありませんね。住所もなければ、連絡先もない。実績もない。でも名前はある……」

 頭の中がこんがらがりそうになった。

(この子は一体…? 本当に本人でしょうかね…名前を騙っている可能性も拒否できませんね、こうなると)

 身分証の類も持っていないその少女は、真織に近づくと、

「君は?」
「私ですか?」

 答えるべきかどうか悩んだが、善良心がそうさせた。軽く自己紹介をすると同時に、真織は自分ではこの石碑の解説はできないことを伝えた。

「戦争? いつあったの?」
「これはこれは、重症ですね…」

 こうなると、放っておけない。この子が家にちゃんと帰れるかどうかも怪しいぐらいだ。後日遺体となって発見された…ではとても面倒だし困る。

「仕方ありません。この辺りにはカフェとかないようですし、少し町の方まで行きましょう。そこで軽く話でも…」

 と言った瞬間、

「君は?」
「はい?」
「君はどうするの?」
「それ、今言ったじゃないですか! あなたと一緒に町に行って、って」
「町…? 近くにあるの?」
「そこからですか、もしかして?」

 真織の頭の中に、記憶という二文字が浮かんだ瞬間、弾け飛んだ。

(間違いありませんね。この子、記憶喪失状態…)

 話すのに不都合なレベルではないが、逆に不要な知識は全てどこかに捨ててきたらしい。名前を憶えているのが不思議なぐらいだ。

「ねえ、ここはどこなの?」
「だから! 私には説明できませんって! ここは月見の塔。それだけ! 私は巡礼者で、あなたのことは知りませんよ?」
「何で知らないの?」

 真織は、怒鳴りたい思いだった。だがそうすると、最悪泣き出される可能性があるので何とか衝動を抑えた。

「それは、あなたがご自分で無くしたからでしょう? 初対面の私が持っているとお思いですか?」
「うん」

 頷いた少女。真織は、自分が泣きたい思いだった。

「ではでは、ですよ? 一まず町に行って落ち着いてから話を始めま…」

 その時、真織は何者かの接近に気が付いた。

「…!」

 こちらが気が付いたのを察したのか、その者は物陰に身を潜めた。

「ちょっとお待ちを」
「わかった」

 少女=妲姫はそう答えると、その場にしゃがんだ。一方の真織は物陰に迫る。

(人ですね、この雰囲気は。私の接近に気が付いている。あえてその陰から出ようとしない。その動き、野生動物には不可能! まあ、こちらの世界にも例外がいればの話でしょうが!)

 真織は霊能力者。体を駆け巡る霊気を、一気に解放する。そして物陰ごと、その者を吹っ飛ばす。

「ひえええぇ!」

 情けない声を上げて、男子の姿が飛んだのが見えた。

「ネズミはあなたですか…! ストーカーって言葉ご存知です? 現場を押さえたからには裁判など不要。弁護士不介入ですぐに実刑判決、そして執行…厳罰!」

 真織は溢れ出る霊力で、自分を奮い立たせた。相手には真織が、実際よりも大きく見えただろう。だが相手もただのチキンではない。立ち上がると、

「待て! 俺はお前に用はない!」
「言われて待つ馬鹿に私が見えますか…いいえ、見えないでしょう?」

 懐から、折りたたまれた一枚の札を取り出した。そしてそれを地面に置くと、独りでに開く。完全に広がると、そこから稲妻が出現した。

「何だこの霊能力は? 聞いたことがないぞ!」

 真織の霊能力は、とても珍しいものだった。学問のように霊能力も、様々だ。人によって得意分野に差があるだろう。だがこれは、前例がない。
 出現した稲妻は、四方八方に走る。この時の相手、磐井(いわい)高雄(たかお)にはそれが、真織がコントロールしているように見えた。

「うずぅっ?」

 かすっただけで、腕が痺れて動かなくなる。ものすごい電気だ。たまらず距離を取る高雄。

「逃げるんですか?」

 真織は追いかけようとしなかった。相手の感情を逆なですることで、逃げられない雰囲気にするつもりだ。
 だが、高雄はその策には乗らなかった。

「命令さえ守れれば、あんな奴は無視しても…」

 その思いが、彼を動かした。大胆にも真織に背を向けると、走り出す。

「あっ!」

 反応に一瞬遅れた真織は、高雄の逃亡を許した。真織としては、そのまま放っておいてもよかったが、高雄が妲姫に近づいたのを見ると、黙ってはいられなかった。

「何をする気です?」
「何も。この子に用があるだけだ」

 高雄は彼女の腕を掴むと、

「さあ、行こうか」

 と言って、妲姫を連れ出そうとした。妲姫も、

「わかりました」

 と言う。

「ストーカーに加えて誘拐ですか。もう、許せませんね!」

 真織の怒りのボルテージが高まっていく。また札を取り出すと、既に霊的な力で帯電している。電流が走る札を見ると高雄は、

「俺の話を聞いてくれれば…」

 何か、事情がある様子であった。しかし、それは真織には言い訳にしか聞こえない。

「問答無用です!」

 瞬間、真織が駆けた。すれ違いざまに札で高雄の体に切りかかる。

「くらった…?」

 だが、不思議と痛みは感じない。札が当たった部分から血も流れていない。

「もう、こうなったら…」

 高雄は反転しようとした。が、体が言うことを聞かないのだ。

「何だ? どうなっている?」
「これぞ私の十八番! あなたの体は、ちょっと痺れてるんですよ」
「で、でも、何も感じないぞ?」
「そこが肝なんです! この電気、運動神経にのみ効果がある。と、いうことは?」
「そうか…!」

 高雄はそれで、今自分の体に何が起こっているのかを理解した。

「感覚神経が刺激されなければ、痺れは感じません。運動神経にはその機能はないですからね。とは言っても、すっと動きを封じることはできませんが…」
「どうやら、そうみたいだな」

 高雄は足を動かせた。時間にして数秒、だが接近戦で動きを封じるのは有効な一手である。そのことを考えると高雄の足は、自然と真織から距離を取るように動いた。
 だが、相手が離れようとするのは真織も想定内だ。札を彼に向け、放電する。鋭い光が高雄の体目がけて宙を走り、高雄の体を弾いた。

「ぐわっ……?」

 また、である。痛みは転んだ時に感じたが、立ち上がれない。足と腕の筋肉が言うことを聞かない。

(ヤバい! このままだと…ドツボにはまる! 麻痺させてから攻撃、の繰り返しはまずすぎる!)

 やられる。そう直感する。
 しかし、高雄は無事だった。予想外にも真織は、妲姫の方に歩み寄っていた。

「無視された…?」

 高雄としては、真織の後ろを取るチャンス。だが、真織の意図がわからない。

「……何で、止めた?」
「当然でしょう? さっきあなたが口走った、命令とやらが気になるんですよ。妲姫の安全を確保してからじっくり聞こうと思いましてね。まさか、あれだけくらっても私に勝てるとお思いでしょうか…?」

 高雄は首を横に振った。もう自分では、敵わないことは嫌でもわかる。

「さて…。まずは聞きましょう。何故この子を狙うんです?」
「簡単だ。連れて来いって命令されたんだよ」
「それは誰が?」
「誰か、までは知らない。けど、神代の人に、だ」
「ほほ~ん…」

 怪しい目で高雄を見る真織。嘘を吐いている気がしてならないのだ。

「本当だって! それ以上は知らない!」

 だが、本心である気も同時にする。

「信じるかどうかは、保留にでもしましょうか…」

 真織は一まず、ここから離れることにした。
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