第二話 疑惑・終編

文字数 5,183文字

「ふああ~」

 あくびをしながら道なりに進み、森を抜けようと足を動かす巌。彼は親に言い訳を考えていた。

「まあ、普通に。閲覧拒否されたって言えばいいか。母さんもそこまで責めたりしてこないだろうし」

 ふと、その足を止める。そして声のボリュームを大きくして、口を開く。

「誰だ? 人の後ろを歩く輩は? バレてないと思っているなら、僕に対する侮辱だよ」

 すると、後方の木の影から人が現れる。

「ほう。この世界の霊能力者は顔の後ろに目があるのかい? 鋭いな、旦那!」

 巌が振り返ると、男が一人、そこにいる。

「お前、さっき狂霊寺にいたろ? 遠くから見てたんだぜ。ターゲットもいた」
「ターゲット? チョコでも渡すのかい?」
「おいおい、ここでとぼけるかよ旦那? 原崎妲姫。お前もアイツが目当てだろう?」

 話が見えない。巌は困惑した。

「誰だよそれ?」

 思い当たるのは、真織と一緒にいた人物。男女がいて、その片方がその妲姫だろうか? 自己紹介をしてないので記憶になくても不自然じゃない。

「知らねえの? じゃあ、何しに行ったんだ?」
「何って? 一つしかないだろ? 狂霊寺に他に、何があると言う? 言ってみろよ」

 無言の相手。これに違和感を覚えた巌は、札を構えた。

「怪しいな、お前! 僕が不審者認定してやる」
「おいおい、俺とやろってのか?」

 自信満々のこの男…陣牙はその挑発に乗った。

「いいだろう。旦那、お前に地獄を見せてやるよ! そんでお前を片付けたら、妲姫は俺が捕まえる!」
「そうかな? お前の行き着く先こそ、地獄だぜ…!」

 巌と陣牙は向き合った。どちらかが動いたら、それが勝負の合図。この時、陣牙はあることを考えていた。

(旦那の戦法はさっき、見せてもらった。戦ってたあの女が誰かは知らねえが、わかる。コイツの方は俺よりも格下だ。負け犬が勝利にたどり着くことはねえのさ! 世界共通の理、俺が気付かせてやるぜ!)

 一方の巌は、ある違和感を抱いていた。

――コイツから感じる、この異様さ。まるで死者、霊魂のような……この世にいるべきじゃない気配。だが、どう見ても相手は生身の人間。文句なしに生きている。呼吸もしてるし、心臓も唸っている。この違和感、合わない辻褄……。おかしい。それ以外に言葉が見つからない。

 そう。彼は気配だけで、陣牙がこの、本家世界の人間ではないと見抜いていた。だが、隣接世界という発想は頭には無い。故に説明のつかない矛盾に、疑問が払拭できないのだ。

――ならば勝って、聞き出すまでだ。妲姫とかいう子に、何の用があるのか。そしてコイツは何者なのか!

 二人の間を、湿った風が通った。瞬間、陣牙の方から動き出した。

「遅いぜ、旦那!」

 確かに巌を馬鹿にできるほど、陣牙の動きは俊敏だった。まるで獲物を見つけたイヌワシ。しかし、速ければ勝利に直結するということでもない。出遅れた巌は、瞬時に取るべき行動を思いつき、実践する。札をばら撒いた。

「旦那ぁ、それはもう見切ってんだよ!」

 宙を舞う、札と札の隙間。陣牙はそこに、道を見出した。札に邪魔されずに、巌に一撃を加えられる道。安全地帯をつなぎ合わせたスペース。

「…ん?」

 巌は、自分の手の甲に小さな針が一本刺さっていることに気が付いた。痛みがそれほど大きくなかったために、発見に遅れた。
 その針には、糸が通っている。目で辿ると、宙を曲がりに曲がって、安全地帯を通っているのがわかった。

「これがお前の、霊能力の一部?」

 自分で発言しておいて、あまり自信がない。それもそのはず、こんな霊能力は見たことがない。霊気で物を動かすのは聞いたことがあっても、糸を自由自在に動かすのは、前代未聞だった。巌の札は空しく地面に落ちた。
 糸は勝手に動く。巌の手の回りをグルグルと回り始め、縛り上げた。

「捉えた!」
「ぎ?」

 巌の体に、何かが走る。電気でもなければ、火でもない。もちろん水でも。でも何か、だ。

「なるほど、糸使いか。そんなヤツおるんかいな!」
「へっ! こっちの世界は大したことねえなあ? これぐらいでビビるなんてよ!」
「ビックリ? まさか僕が? 違うね、これはハンデさ。お前だって花ぐらい、少しは咲かせたいだろう?」
「強がってんじゃねえぞ!」

 いいや、陣牙の台詞は外れている。巌の表情は、取り繕われた仮面ではない。

「僕には、そういう超常現象的なことを起す力はないさ。でも、受け継いだ力はある!」

 それは、生きるということ。その決意。生きることを考えれば、心の底から力が湧いてくるのだ。

――勇気だ。今、僕の心に生まれているこの感情は! 前に進む勇気! 試してみる勇気! 決して折れない心の大黒柱!

 巌は大胆にも、地面にしゃがみ込んだ。

「何してんだ、旦那? しゃがめば逃げられると思っているのか? 逆だ! 俊敏な動きは一切取れない。自分で自分を詰ませてどうするんだよ!」

 陣牙は、糸を大量に空中に広げる。ここで一気に仕留めるつもりだ。何せ、相手は動こうとしないのだから。負ける要素が見つからない。
 これが、巌の作戦。

――間抜けはお前さ。お前は僕しか見てない。ということは見えてない。札が、どうなったのか!

 陣牙がジャンプした。上からの攻撃で、巌を倒すつもりなのだ。
 だが、その飛躍が命取り。宙に舞っている状態では、態勢を変えるのは難しい。それに今の陣牙には、そう考えることすら不可能だろう。彼は忘れていた。巌がばら撒いた札は、地面に落ちたことを。散らばっている札は用済みと判断していて、目に移っていても注意が向かないのだ。

「ポルターガイスト!」

 巌がそう叫ぶと、札が一斉に、地面から跳ねた。

「何!」

 それは全て、吸い込まれるかのように陣牙の体目がけて飛ぶ。攻撃することしか考えずに飛んだ陣牙には、避けることも守ることも無理。

「やがあああああ!」

 悲鳴を上げて、陣牙の体が吹っ飛んだ。地面に落ちると、糸も力を失って、弱々しく崩れ落ちていく。

「く、くそが! このクソ旦那!」
「まだ悪口言えるほど、感情が残っているのか? 増々お前が何者なのか興味が湧く! でもここまでだ!」

 懐から新しい札を取り出した。それは、赤い文字で『殺意抹消』と書かれている。倒れ込んでいる陣牙の額にそれを押し付けることは、赤ん坊の相手をするより簡単だった。

「ぐわあああああああああああああああああああうううううううううう、お!」

 陣牙の大きな断末魔が、巌の鼓膜を揺さぶる。だがそれでも巌は、止めない。心にある敵意を、残さず全て吸収する。
 そして、陣牙の声は途絶えた。

――終わったな。

 そう判断すると巌は、誰もいない方を向いて一礼をした。

「ありがとうね、協力してくれて」

 そこには、幽霊がいるのだ。巌の叫んだタイミングで、物体浮遊現象を起してくれた、言わば味方の霊。通りすがりの浮遊霊だ。

「今、成仏させてあげるよ。天国に逝かせてやる」

 軽くお経を唱えただけで、その霊は天に召された。すると巌は陣牙に目を落とした。

――コイツも僕と同じ霊能力者なら、見えていてもおかしくないはず。でも、気付いてなかった…。まさか、見えないのか? でもそうだとしたら、霊能力者じゃないじゃあないか! やはり何かあるな、コイツ…。

「…なんだあ旦那…。やるじゃないか」

 陣牙が口を開いた。その声には、力がこもっていない。闘争心がないのは、聞いている巌が一番よくわかっている。

「話してもらおう。お前は何者だ? 何が目的だ? 言っておくけどね、教えてくれるまで逃がさないよ?」
「……じゃあ仕方ないぜ。それがこの世界のルールか。従わないといけねえぜ」

 ここで巌、あるフレーズに反応する。

「さっきも言っていたね? 『この世界』って。どういう意味だ? それをまず教えてくれ」
「その前によ、一つ条件をつけさせてもらうぜ、旦那…。負けた俺が言えることじゃねえんだが、安心のためだ。これ以上、攻撃はしないでくれ」

 わかった、と巌は首を縦に振る。彼からすれば、何故そんなことを言うのか疑問だが、追い打ちをするつもりはない。

「俺はな、この世界の住民じゃあないのさ」
「あ?」

 反射的に、声が出た。

「ちょっと待て! 何を言い出す?」

 しかし、嘘は言っていない表情だ。
 それに巌には、思い当たる節がある。

「…いや! 話を続けろ。深く教えるんだ」
「ああ、いいぜ。旦那にとって世界はこの一つだけかもしれねえ。が、そうじゃねえ。世界は隣にいくつも存在してる。その内の一つから俺は、やって来た」
「パラレルワールドってやつか?」

 陣牙は首を横に動かした。

「それは聞きなれねえな、多分違う。俺のいた世界は、こっちとは随分と歴史が違う。日本は第二次世界大戦に参加すらしてねえ。でも帝国主義は捨てている平和国家だ」
「そんな世界が あると言うのか!」
「ああ。隣接世界って言う。まるで隣の家のように、余所とは関係ない事情や時間が流れてるんだ。そして、俺に該当する人物もこっちの世界にはいない?」
「じゃあ、お前の元いた世界にも…僕のそっくりさんとかはいないのか? 名前や顔が似た人物も?」
「そうなるな。隣の家に自分がいないようなもんだぜ」

 陣牙の台詞は、巌からすれば信じがたい話である。だがどこか、耳を傾けると違和感が消えていくのだ。他にも色々と、隣接世界のことを聞いた。

「世界が違うからなのかよ、俺はこっちの世界に来てから、幽霊を目撃してない。いないんじゃないはずだ、見れないんだと思うぜ」

 そう言われると、さっきの一撃が通ったのにも説明がつく。

「やはり、見えてなかったのか。でも霊力は健在だろ?」
「察しが良くて助かる。霊力は据え置きなんだが、困ったことがあってな」
「何だ?」

 心して、陣牙の発言に耳を傾ける。

「魂……。残らねえんだ、こっちで死ぬと」
「ええぇっ!」

 衝撃が、巌の全身を駆け巡る。

「きっと幽霊が見えないのと関係があるんだろうぜ。魂と魂の繋がりってやつか? こっちの世界の幽霊とは繋がれない。何故なら死後、魂を残せないから。俺の世界はここじゃないからだ」
「だからさっき、これ以上攻撃するなって言ったのか!」

 今度は陣牙が無言で頷く。もし巌がトドメを刺していたら、陣牙の魂は消滅し、幽霊にはなれなかった。肉体だけ、この本家世界に残るのだ。

「そんなリスクを背負って、こっちの世界に何しに来たんだ?」

 一番知りたいところだ。だが、

「悪いが、それは負けても漏らせねえ」

 巌は、追求を避けた。

――極秘! バラせば殺される…ほどに危険な相手が陣牙の後ろにいるのか? それとも、何も知らされていないのか!

 どちらかは、不明だ。巌が質問しなければ、陣牙もわざわざ教えない。

「………さっき、妲姫がどうのこうのって言ってたが、それは無関係なのか? そもそも彼女に何の用事が?」
「それも言えねえな。でもよ、考えてみろよ? 隣接世界の俺が追い求める存在なんだぜ妲姫ってのは? あの女は普通の存在か?」

 巌の中で、新たな疑問が生じる。

――違うのか! まさか妲姫も、隣接世界の住民………こちらの世界の人ではない?

 少し、後悔する。こうなるのなら、もうちょっとぐらい話でもしておけば良かったと。そうすれば手がかりがもっとあったかもしれないと。

「旦那…。真実を知りたいんなら、妲姫を逃すな…!」

 その言葉が、巌の心を貫いた。

「……わかった。最後に一つ、聞いてもいいか?」
「いいぜ、何だ?」
「お前が元いた世界に帰る方法は?」
「何だ、俺の世界に来たいのか?」
「違う。このままお前を放っておけるか? 安全な場所は、元々の世界しかないだろう?」

 すると陣牙はため息を吐いて、

「甘ちゃん過ぎて虫歯ができるぜ、旦那はよ…。心配はいらねえんだ。既に俺の敗北は、仲間に知れ渡っている。俺と同じ世界出身のヤツもいる」

 何もしてやれない。だが、相手の命も絶望的ではない。それがわかると巌は、その場を後にした。

――今狂霊寺に戻っても、麗さんに追い返される。日を改めて訪ねよう。今日の所は適当に宿取って、まずは話を整理するんだ。

 それと同時に、ある発想も頭の中で生まれる。

――妲姫。この世界の存在ではないのかもしれない。そんな人が、この世にいるのか。隣接世界だって? あり得ない気がする。

 だが、その思考は複雑になると、一気に加速し疑惑となる。

――もし隣接世界からやって来たのなら、妲姫にも何か、目的があるのでは? それこそ、今のヤツが追うほどの大きな理由が!

 もし狂霊寺で巌が、妲姫と話していたら、疑惑は確信に変わっていただろう。この時巌は、妲姫が記憶喪失状態であることを知らない。隣接世界、記憶喪失。その二つが絡み合っていたのなら、こう思うのだ。

 本家世界に来る過程で、記憶が無くなってしまった、と。
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