第八話 昨日

文字数 6,446文字

 それは一日前のことである。
「ここが深緑温泉街か。普通の客もいるな。健康スポットなのか、ここは?」
 久間(くま)壱高(いちたか)はこの時、まだ健在だった。
「疲れを癒しに来るんでしょ? わざわざ遠くから労力を消費して。馬鹿馬鹿しい」
 もちろん足長(あしなが)奏楽(そら)も。愚痴を言う余裕があるほどだ。一ミリも怒ってはいない。
「作戦を確認しようぜ」
「いいよ」
 二人は、歩きながら会話をした。
「まず、みつきがここに来る! 合流するんだ。そして三人で、妲姫を捕まえる。他に高雄と真織とか言ったっけ? そんなヤツがいるらしいが、みつきの敵ではないだろうからな。俺たちは妲姫の確保を優先する!」
「オーケー! なら僕と壱高でも楽勝じゃん! 余裕余裕!」
「その通り。だが、みつきを振り切って高雄か真織のどちらかが俺たちに追いつくかもしれない。そこで俺は、隠れることのできる場所を探すべきと思う!」
「妲姫を捕まえたら、そこで隠れてみつきが二人を殲滅するまで待って、それから移動ってことだね!」
「ベストアンサー! わかっているじゃないか!」
「あったりまえじゃん! 何年コンビ組んでると思ってるのさぁ!」
 一般客には二人が、とても仲の良い兄弟に見えただろう。二人の距離はそれぐらい近かった。
「では、ここで別行動だ」
「ええ~別れて作業するの? 一緒に行こうよ?」
「そうしたいのは山々だが、妲姫がいつ頃こちらに来るのかがわからない。明日かもしれないんだぞ? この土地を利用するなら、二人で分散し、使える面積を広げておいた方がいい。それに今は、俺たちの行動は絶対に邪魔されないんだ!」
 壱高がそう熱弁すると、仕方なく奏楽もそれに従う。
「じゃあ、僕はあっちの方を見てみるね」
「ようし! 俺は向こうだ!」
 二人は別れると、それぞれの担当地区を調べた。
 深緑温泉街は名前の通りの街だ。宿屋や土産屋が沢山ある。ということは人の目はあちらこちらにあるということ。
(もし隠れるのなら、きっと妲姫は暴れるだろうから、人目のない死角…。そこがいい! 簡単には見つからず、人を一人押さえられそうな場所がベスト!)
 壱高は、宿屋の中はどうかと思った。他にもホテルは乱立している。その一室に身を隠してしまえば、探し出すとなると、日が暮れても無理だ。
「だが、その作戦は…! 宿泊費が最大の敵だな…」
 そんな呑気なことを考えていると、
「おい」
 背後から声が聞こえた。
(誰だ…? 俺の背後に、いつの間に…!)
 声を聞いた途端に、首筋に嫌な汗が流れた。
「振り向くな。そのままの姿勢で俺の質問に答えろ」
(な、なんだ…?)
「さっきお前は、仲間と一緒に話をしていたな? 登場人物は順番に妲姫、高雄、真織…。俺の知っている人物と合致する。これを偶然で片付けるか? お前は蜂の巣だろう?」
 壱高は、ドキッとした。まさかさっきの話を盗み聞きしている者がいたとは夢にも思っていなかった。
(答えるか……。だがコイツは何者だ?)
 声の主は、無言の壱高に問いかける。
「沈黙は、『はい』と取るぞ? 否定したいのなら、首を横に振ればいい。それだけのことが、どうしてできない?」
 背筋が凍りそうになった。ちょうど今、壱高は首なら振れると思っていたのだ。
(コイツはヤバそうだ…。早急に手を打たなければ!)
 本能で察した。そして胸ポケットに手を入れようとした。が、
「おい。その手を動かすな。何かを取り出そうという類の行為は禁ずる」
「…わ、わかった……」
 やっと口が開けれた。そして、手を戻す。
「では、本題に入る。さっきの三人の情報は正直、どうでもいい。俺が知りたいのは、妲姫を追い求める人物の親玉だ。お前はその人物を知っているだろう? 答えろ、温情で五秒やる」
 しかし、壱高はこの質問には答えられない。
(誰が言うものか! 増幸様の思惑を表にはできない! たとえ口が裂けてもな!)
 逆だ、答える気はない。今、彼の心は、恐怖による支配が終わった。鉄壁の決意を思うと、逆に勇気が湧いて来る。
「誰が教えるか?」
 五秒待っても良かったのだが、それだと相手に屈した感じになるので、壱高の方から切り出した。
「ほう。言う気はないと?」
「ああ! 知りたいのなら、俺を倒してみな!」
 調子に乗って、そんなことを言った。
 それが、命取りであった。
「そうか。では実力行使刺せてもらおう」
「くらえっ!」
 振り向きざまに、拳を一発。真後ろに相手がいるのなら、避けられない間合い。だが、手応えがなかった。
「かわせると…? ち、ちょっと待て! おい、今のはどこのヤロウだ!」
 それどころか、壱高の後方に人がいない。周りは旅行客で溢れているが、誰一人として壱高を見ている者はいない。
「おかしい…? さっきのは真後ろで喋っている感じだったのに…。ん、なんだ?」
 地面にトランシーバーが落ちている。
「これで、俺に語り掛けていたのか?」
 そうなると、増々不思議だ。これを持って後ろに立っていた? 違う、このトランシーバーのみが自分の後ろにあった。普通ならそういう考えに生きつくだろうが、そうだとトランシーバーが宙に浮いていたことになり、不自然過ぎるのだ。
「誰か、がいる! ここは奏楽を呼び戻して…」
 通信機器を取り出した。しかしボタンを押しても、反応がない。充電は心配いらないはずなのに、である。まるで、その機械が意思を持って、壱高の行動を拒否しているかのようだ。
「く、くそっ!」
 その場に留まっていることができず、壱高は裏路地に逃げ込んだ。
「誰だ今のは? 何で俺らの動きに合わせてここに来ている?」
 走りながら後ろを振り返る。誰もついてきてはいない。安心して前に向き直ると、
「ぬわっ!」
 誰かの拳が、額に命中した。
「何故逃げる? お前から勝負を吹っ掛けて来たというのに。さあ、宣言通り俺と戦ってもらおうか。そして教えろ、誰が黒幕なのかを!」
 禮導だ。彼は蜂の巣がここに来るのではないかと思い、先回りしていたのだ。そして偶然にも、壱高と奏楽を目撃した。
「お前らのこの世ならざる雰囲気は、隠しようがない。遠目でもわかったぐらいだ」
「俺と、本気でやるってのか!」
「そうだ」
 壱高は、周りを確認した。
(人はいない。裏路地なら、目撃者はまずいない。いけるぜ…!)
 そして、さっきはできなかった行為を行う。懐に手を入れると、ある物を取り出した。
「ジャジャーン! どうだ、ビビったか!」
 それは、一丁の拳銃。オートマチック式だ。
「そんなものを持っているか…」
「ああよ。こっちのお庭じゃ違法だろうけど、俺の地元じゃ当たり前。合法なんだよ!」
 そう。壱高の元いた隣接世界は、まるで本家世界のアメリカのように、銃の所持が許されているのだ。
「…面白い」
 禮導がそう言ったのを、壱高は聞き逃さなかった。
「ブラフか? この状況で、何を呑気な!」
 銃を構えた。
(この距離、絶対に外れねえ。いいや、外さねえさ! 俺は銃に関しては蜂の巣の中で誰よりも扱いに慣れている……狙った的は必ず撃ち抜く! それが俺の腕!)
 そして引き金をゆっくりと強く、引く。
 バン、と大きな音が鳴った。
「な、何…?」
 禮導は、銃口から放たれる弾丸よりも速く動いた。目で追えない動きだった。カッターを手に持っている。そして弾丸は、禮導の足元の地面に着弾した。
「狙いは正確、心臓部分だったなやはり。だが俺が恐れるには程遠い…」
「まさか! そんな安物のカッターで弾丸をさばいたってのか! ありえねえ!」
 しかし、事実そうとしか考えられない。
「………ありえねえんだよ、そんなこと!」
 現実を否定するかのように、壱高は二発目、三発目と撃つ。が、どちらも禮導の体に当たることはなかった。やはりカッターの刃で弾かれるのだ。
「……………!」
 言葉を失った壱高は、顔に大量の汗を流しながら、禮導が落ちている弾丸を拾うのを見ていた。
「確かな殺傷能力を持っているのであろう? だがな、当てさせなければ意味はない。しかし、不思議に思わんか? 人間は、体の何十分の一のこんな小さな金属の弾一つで死に至る。拳銃は、日本刀よりも人の命を奪っているかもしれんな」
 禮導の余裕の表情とは真逆に、壱高は青ざめている。
「う、動くな! 撃つぞ、このヤロウ!」
 気張って銃口を禮導に向けて叫ぶが、脅しになっていない。逆に怯えているのは壱高の方なのだ。
「こ、この!」
 震える手で何とか照準を合わせ、もう一度引き金を引いた。解き放たれた弾丸は、なんと禮導が指で弾いて撃ち出した弾に負け、撃ち落とされた。
「いてっ!」
 今の一撃は、弾丸を弾いて終わりではなかった。壱高の手から、拳銃を撃ち落とした。地面に落ちた拳銃は、衝撃で禮導の方に転がっていく。
「ひ、拾うんじゃねえ!」
「ああ、拾わん」
 禮導は、銃口の先っちょを爪で突いた。それだけで、拳銃に魂を与えられる。拳銃が、銃口を壱高に向けながら宙に浮いた。
「こうすれば、仮にお前が死んだとしても俺には容疑はかからんな。指紋はつかんし、握らなければ硝煙反応も出まい。形勢逆転か? いいや最初から、お前に分があったとは思えんな」
「お、俺を殺すってのか!」
「それはお前の返答次第だな」
 禮導には特に、壱高を殺す動機はない。だが蜂の巣の者であるなら、聞きたいことがある。
「では、聞こう! お前の親玉は誰だ? 誰の命令を受けている?」
「誰が答えるか…」
 そう言った瞬間、引き金がひとりでに動いた。弾は壱高の右膝に直撃。
「うっがああああぁ!」
 立ってはいられず、壱高はその場に崩れた。
「誰だ? 答えろ」
 まるで拷問だ。答えないのなら、殺してしまっても構わないとでも言いたげに、禮導は奪った銃で壱高を脅す。
「言っておくが、次も外さんぞ? ここで我慢するのは男としては合格だが、賢い選択とは思えんな」
「う、う…」
 壱高はこの状況を打開する策を、一生懸命考える。何か手があるはずだ、と。
「うーうーなんて名前ではないだろう?」
 答えるのは簡単だ。だが、それをしたら………。
 増幸は蜂の巣の者に、どんな状況に陥っても自分の名前は出すなと言っている。話す相手が霊能力者でなくても、漏らした情報がいずれ神代に伝わるかもしれないからだ。もし神代に伝わったら、今まで増幸がしてきたことを罰せられるだろう。命の一つや二つでは、償うには足りなすぎる。
(い、言えねえ…。増幸様にご迷惑がかかる、そんなことはできねえ……)
 では、もし話した場合蜂の巣はどんな罰を増幸から受けるのか。
 それは簡単で、その場で命を取られる。何かしらの呪術の生け贄に捧げられるのだ。隣接世界の存在である蜂の巣は、死んだら最後、魂すら残らない。ならば、増幸に捕まる前に自分の隣接世界に戻ればいいと思うかもしれない。しかし、それは不可能。隣接世界への生き方は、増幸だけが知っているからだ。
 言えば、増幸に責任を取らされる。言わなければ、禮導に撃たれる。壱高の覚悟は本物ではあったものの、そのせいで詰みの状況を作り出してしまった。
「……」
 無言で禮導は、二発目を壱高の左膝に撃ち込んだ。
「ぎゃああああああ!」
 禮導も聞きたくて悲鳴を上げさせているのではない。脅している以上、話さないのなら撃つしかないのだ。もしここで見逃せば、蜂の巣の者はこう考えるだろう。最後まで諦めないで黙っていれば禮導の方が折れる、と。そう思わせないために、引き金を引くのだ。話さないのなら、何が起こるか。身をもって知らせる。
「あ、あ、あ…。助けて、くれ…」
「ああ、助けてやろう。お前が名前を言えば、いくらでも。言わないのなら、もう諦めるしかあるまい?」
「い、いやだ…!」
「そうか…」
 仕方がない、と禮導は言ったのだが、銃声にかき消された。今度は右肘。
「うわああああおああああああ!」
「叫ぶな。お前が話したくないと言ったんだぞ? だから撃たれる。全部覚悟の上だろう?」
「この、鬼め…!」
「心外だ…」
 禮導は悟った。これ以上壱高を脅しても、何も情報を得られないと。ではどうするか? 簡単なことである。
「もう一人に聞くか。お前はここであの世への秒読みでもしていろ」
「まさか、奏楽に手を出すのか…!」
「そうなるな」
 その一言に、壱高は切れた。
「ふざけんな! 奏楽に何かしてみろ、タダじゃ済まさねえぞ! どこの誰だか知らねえが、絶対に許さん! 必ず、こ、殺す………」
 最後の力を今ので使ってしまったのか、壱高はぐったりとした。
「此奴め、役に立たんな。この調子では、もう一人…奏楽とかいう奴、この状況を見たら、血相を変えて俺に飛びかかって来るな。話は絶対に聞き入れんだろう。戦っても無駄、俺がここにいると蜂の巣にわざわざ報告するようなもの…」
 禮導は壱高のポケットに手を突っ込んで通信機器を探り当てると、奏楽に電話をかけた。そしてそのまま、銃を捨てて裏路地から出て行った。

 奏楽はすぐに壱高の元に駆け付けた。
「おい壱高、壱高! どうしたんだ? 誰にやられたんだ!」
 返事はない。だが、息はある。辛うじて生きながらえている。
「今、救急車を呼ぶ!」
 見つかってはマズい拳銃を隠すと、すぐに一一九番に通報。救急車によって近くの病院に壱高は搬送された。
「誰だ、こんなことをしたのは! どこのヤツだ、絶対に許さない!」
 その時、奏楽は怒りに支配された。冷静さはどこかに飛んで行ってしまい、復讐のことだけを考えるようになった。
 しかし、壱高を襲った相手が不明だ。緊急手術で一命こそ取り留めたものの、前のような体に戻れるかは不明。かなり難しいらしい。そのことがさらに奏楽の怒りにガソリンを注いだ。
「誰だ、絶対に殺す!」
 そして、冷静な判断ができない奏楽は、普通ではありえない発想をしてしまう。
「わかったぞ! 妲姫の仲間だ! 俺たちが先回りするのを見越して、さらに先回りしていたんだ! ヤツら、俺を本気で怒らせたことを後悔させてやる! 死をもって償わせてやる!」
 この時点で、蜂の巣と敵対している勢力は真織たちしかいない。故の短絡的な想像。もっと深く考えれば、出発前に海神寺にいた真織たちがここに、自分たちよりも先に来ることなどできるはずがないことに気づけるだろう。怒りとは恐ろしいものだ。
 ここで、増幸の計算に歪が生じてしまったのだ。禮導に隣接世界のことを教えるまでは、宮子がやってくれたので良かった。増幸の計算では、その後禮導は妲姫を追う立場となり、彼女の動向を疑うはずだった。つまり妲姫を追う、蜂の巣と同じ立ち位置になるはず。しかし、禮導は思った通りには動かなかった。彼は蜂の巣の黒幕を暴こうとしている。目論見とは、立ち位置が逆。妲姫を追い詰めるための作戦が、裏目に出てしまった。
 奏楽は、急いで病院を飛び出し、海神寺に向かった。その様子を禮導は、壱高の病室で見ていた。
「死なずに済んだようだな、運のいい野郎だ」
 その威勢の良いセリフとは裏腹に、実は禮導はかなりホッとしている。元々他人に容赦のない性格だが、今回ばかりはやり過ぎたと自覚していた。たとえ本家世界の住民でなくても、命を殺めたとなると重たすぎる十字架を背負うことになる。いくら神代のためとは言え、限度と言うものがあるのだ。
「どこかに行くな、あの小僧。ここにはもう用がないのか。では、俺も場所を移るとしよう。もう西日本に蜂の巣が来る可能性は低い。霊的な場所がないからな。となると次は…」
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