第十話 懐柔・前編

文字数 5,132文字

 この物語には、四組の人物が存在している。一つは増幸とその配下、蜂の巣。もう一つはそれに追いかけられる真織たち。三つめは、独自に蜂の巣を追う禮導。
 そして、四組目。自分たちなりに真実を追い求める巌と麗。二人は昨日聖霊神社に着いたが、この時既に禮導はいない。他の修行僧がいるだけだ。もっとも彼らは、禮導には用がない。
 ことが動いたのは、次の日…奏楽が海神寺に帰って来た日の午後のこと。聖霊神社にある人物がやって来たのである。
「ここね…」
 蜂の巣の瑠璃だ。蜂の巣は、作戦を全面的に見直すことを強いられていた。この時点で、壱高と奏楽を襲ったのが禮導ということは彼らにはわかっていない。故に禮導が動いているのかどうかの確認のため、瑠璃を遣わせた。
「いるわ…。禮導とはきっと違う、霊能力者が…」
 彼女は気配で察した。そして増幸に電話を入れ、指示を待つ。
「禮導ではないのだな?」
「多分、陣牙と戦った人…じゃないかな? もう一人は女の子。どうする?」
「そうだな……」
 確認はできたが、知らない顔の霊能力者が来ていることには目を瞑れない。
「そうだ、こういう手がある。いいか?」
 即興で思いついた作戦を瑠璃に伝えた。
「本当? わかったわ…」

「おい、また何者かがこの神社に来ている!」
 聖霊神社の修行僧は慌てふためいた。ここは修行の場所であって、来客などまず来ない。また久美の時のように、神社を荒らしに来たのかもしれないのだ。
「僕たちが出ようか?」
 そこで、巌と麗が率先して、この来客の相手を買って出た。
「あなたたちは、誰…?」
 瑠璃の問いかけに、
「僕は榊巌だ」
「黒宮麗よ。あなたこそ誰なの?」
 自己紹介の後、逆に聞き返す。
「私は、赤筋瑠璃…。ここの世界の住人ではないわ…」
 ということは、隣接世界からやって来たということ。
「そうか。なら少し話し合おうぜ? 僕たちには知りたいことがいっぱいあるんだ」
「教えない…。それは隠しておきたいから…」
 意見がかみ合わない。こうなると単純明快、
「そうか…。なら、話したいと言わせるまで! でしょう、麗さん!」
「悪くない考えね」
「やっぱり…」
 巌と麗は、瑠璃と向かい合い、睨み合う。こうなるとどちらかが仕掛ける、それが勝負開始の合図。
――勝機があるのか?
 巌はまだ動かない。ある疑問が頭を離れないのだ。彼は真織と勝負した時のことを思い出していた。
――真織は言った、人数差があるのは不公平だって。真織が言わなければ僕が指摘していた。今はその時と立場が逆。隣の麗さんは何も言わない。もちろん僕もだ。となると、瑠璃が言うはずだ…。
『この勝負は平等ではない』と。巌はその一言を待っている。もし瑠璃が言わなければ、このまま二対一で勝負開始となる。それは彼女にとって不利すぎる。
 だが、言わない。このままの人数差で、始めようと言わんばかりに瑠璃は、巌たちの出方をうかがっている。
「麗さん」
 たまらず巌が耳打ちをする。
「僕から先に戦おうか? 流石にこのままでは大人げない勝利になってしまう。いくら相手が、隣接世界の人物だからって、礼儀を欠くにもほどがある…」
「でも、それこそ私たちの方が勝ちやすくならない?」
 麗の指摘も正しい。まずどちらかが戦って、決着がついた時には両者ともに疲弊しているだろう。そこに残った方、すなわち詰め要員が瑠璃に戦いを挑む。二回目の勝負は不平等。ならば、二人同時に戦い、瑠璃が巌と麗をまとめて倒せる状況を残す方がいいかもしれない。
「聞こえてるわ、その懸念…」
「あ、いっけねっ」
「でも、いらない…。瑠璃はこの状態で十分…。さあ、はじめましょ…」
 瑠璃はバッグから、ある物を取り出した。
「お、おい! それは…」
 瑠璃が手に取ったもの。それは小太刀。鞘から抜くと、刃が銀色の輝きを放っている。
「こっちの世界には、銃刀法っていうのがある。それは知ってる。けど、瑠璃のいた世界では、日本において帯刀が禁止されたことはない…。正当防衛なら、誰でも切って殺しても許される、ちょっと治安の悪い世界…」
「そんなお先真っ黒な世界ある?」
 どうやら隣接世界の者たちは、本家世界に来ても自分たちのルールを押し付ける傾向にあるらしい。実は瑠璃は、これでも抑えた方なのだ。本来なら、打刀を持って来たかった。しかしそれは目立ちすぎて、移動すらできない。だから持ち運びに便利な小太刀にしたのだ。
「これで、一人分と考えれば…? そうすれば人数差なんて考えなくていいじゃん……」
「そう言うのなら、わかったよ」
 だがこれで、巌たちは勝ち筋がハッキリした。
――あの小太刀にさえ気をつければ、まず負けることはない! 瑠璃から、人を傷つけようとする意思を祓ってやれば!
 そして、いよいよ始まる。
「うおおおおお!」
 先手必勝と言わんばかりに巌が走り出す。瑠璃は刀を構えた。数秒先の巌の動きを予測し、殺さない程度に切る。それが、彼女の戦い方。だが、
「うっ……!」
 構えた瞬間、激しい痛みが腕を襲った。たまらず腕を下ろし、巌から距離を取る。
「はあああ!」
 だが、巌は止まらない。札を突き出し、瑠璃目掛けて振り下ろす。
「危ない…」
 間一髪、これをかわした。だが、まだ危機は去っていない。腕の痛みが消えないのである。
「これは……!」
 麗の方を見ると、原因がわかった。彼女は藁人形の腕に釘を刺している。
(そうなの…。これは、呪い…。藁人形を瑠璃に見立て、釘で刺したところに痛みを与える…。それは、厄介…)
 この時、瑠璃の中でターゲットが麗に切り替わった。
「バレたか…。でもいいわ。巌ぉ!」
「言われなくてもわかってる!」
 瑠璃は、痛まない方の腕で刀を持つと、麗に突っ込んだ。
「この…!」
 そして、藁人形に刀を振り下ろす。しかし、刃が藁人形に到達する前に、止まった。
「ふう、危ないよそんなの振り回しちゃあね…」
 巌が札で、受け止めたのだ。
「安心するのが、速すぎる…」
 安堵のため息を吐いた巌に対し、瑠璃が言った。本当の狙いはこっちなのだ。刀が受け止められている今がチャンス。
 驚くべきことに瑠璃は、巌の札に手を伸ばした。麗の呪いを受け、激痛が走っている方の腕を、だ。指で、巌の札に触れる。
「何だ…?」
 巌は、瑠璃の行動を見ているしかない。今札を引っ込めれば、小太刀が直撃するからだ。
「陣牙の言う通り…!」
 それを言われると、巌も瑠璃の目的がわかった。
「麗さん、下がって!」
「ええ?」
「速く!」
 その時、麗には信じられないことが起きた。瑠璃は、呪われた方の腕を自由に動かし、小太刀を両手で握った。そして、両腕の力を加えたのだ。
「うぐわぅ!」
 これには耐えられず、巌の札は真っ二つ。体への直撃は免れたが、瑠璃が両手を加えたら、札が耐え切れないことを察した。
「ちょっと巌ぉ! 何が起きてるの?」
「利用したな…。僕の、札を!」
 簡単なことだった。瑠璃は陣牙の話を聞いている。陣牙の相手は、祓うことに特化していた。人の感情すらも取り祓えるのなら、呪いが祓えないわけがない。
「やられたよ…。麗さんの呪い、僕の札に触れることで強引に祓いやがった…!」
「そんなこと、あるわけが…」
 しかし、麗は目線を藁人形に落とすと、納得した。さっきまで刺さっていたはずの釘が、勝手に抜け落ちている。
「あ、あ、あ、抗われている…!」
 急いで釘を拾ったが、遅かった。目を藁人形に戻した時には既に、ぶった切られていた。
「な…!」
 空気を切った音すら立てず、藁人形のみを切り裂く早業。麗が新しい藁人形を出そうとポケットに手を伸ばそうとした瞬間、瑠璃は先を行く。小太刀の先端を、ポケットに当てた。
「これで、出せない…」
「うぐうぅ…い、巌おおおおぉ!」
 もちろん巌も黙って見ているわけではない。隙あらば一撃を加えようとしている。だが、その隙が見当たらない。
――今僕が攻撃しても、切り落とされるだけか…。札は無限じゃない。底がついたら終わり…。だが瑠璃の刀は、生きている。この状況を打破するには、どうすれば…。
 思いつけば、一気に戦況を塗り替えられるだろう。しかし、凡人の巌にそれは無茶だ。まだ閃けない。
――いいや、やるしかない!
 巌は、札を出した。この札が瑠璃に届くとは思っていない。寧ろ注意を引ければそれでいい。麗が新しい藁人形を手に取ることさえできればいいのだ。祓うことしかできない巌に、瑠璃の動きを封じるのはほぼ不可能。それは札が届いた瞬間、すなわち勝利の瞬間だけだ。麗の協力がなければ勝てないのだ。
「うりゃああ!」
 両手に札を掲げ、瑠璃に突っ込む。
「うぬううう……!」
 瑠璃は一本の小太刀で、巌の両方の札を受け止める。力加減がさっきとは異なるからか、札は小太刀と互角で、一方的に切られることはない。しかし、少しずつだが小太刀の刃が札に食い込んでいる。
「長くは持たない! 麗さん、速く瑠璃の動きを止めてくれ!」
「で、でも!」
 もしまた麗が呪えば、瑠璃は巌の札を利用して、その呪いから脱出するだろう。動きを止めることはできない。それは麗が一番よくわかっている。
(どうすればいいの? この状況でできる手はあるの?)
 その心の叫びに答えるように、巌は言った。
「瑠璃には、幽霊が見えない…。それを利用するんだ!」
 言われて、ハッとする。
(そうだわ! 前に巌が言っていた。隣接世界の住人は、幽霊を見ることができないって! この子もさっき、隣接世界から来たと言っていた。ということは…)
 いける。疑惑が確信になり、自信につながる。
「これだわ!」
 麗が取り出したものは、藁人形ではなかった。一粒のガラス玉だった。
(これには、強い悪霊が封じ込められている。それを使えば、瑠璃に一矢報いることが可能!)
 最大の難点は、悪霊が言うことを聞かない可能性があること。だが今の麗には、その可能性を潰せている。仲間は除霊に長けている巌だ。霊の方がまず、近寄ろうとしない。それに自分は、霊でも呪うことができる。この状況なら、悪霊は瑠璃に向かうしかない。
「何か、取り出した…?」
 瑠璃は、麗の動きを察知した。一気に小太刀を押すことで巌を強引に下がらせると、麗の方に駆け寄る。
「来なさいよ、このバーカ!」
「瑠璃は、馬鹿じゃない…」
 しかし、彼女の目にはただのガラス玉か、呪いに用いる道具としか映っていない。それを麗は瑠璃に投げつける。
「目くらましにも、ならない…」
 瑠璃が小太刀を振れば、ガラス玉は綺麗に二等分された。地面に落ちると、砕け散った。
「やったわね…!」
「何を喜んでいるの…?」
 この時、巌は足を後ろに下げた。その動きに瑠璃は反応するが、何が起きているのか、全くわからない。おまけに麗も少し下がった。
「何…?」
 ガラス玉から飛び出た悪霊が、瑠璃に取り憑いた。
「ぐっ…!」
 また、激痛が腕に走る。おまけに頭痛も生じ、数秒で頭を抱えるほど酷くなる。
「な、なにこれ…?」
 足に悪寒が走ると、尋常ではない寒さも感じる。立っているのが難しいくらいだ。
「終わったよ、瑠璃! 君は今、悪霊に取り憑かれているのさ! でも、霊能力があっても見えないんだろう? きっと祓うことも不可能だ」
「そうね…。私が思うに、あと十数分もあれば、あなたをあの世に連れて行くかもしれないわよ? 今のうちに降参して、巌に祓ってもらうしかないわ」
 問題は、その条件を瑠璃が飲むかどうか。この状態でなお、戦い続ける可能性もあるのだ。
 しかし、瑠璃は小太刀を落とした。白旗を揚げたのだ。
――随分とあっさりだな…。
 巌は違和感すら覚えたが、相手には戦う意思がないのだろうと判断した。
――念のため、悪霊と一緒に戦意も祓っておくか…。
 それで安心できる。巌は札を二枚瑠璃の体に当てた。一枚は悪霊を、もう一枚は戦う意思を瑠璃から吸い取った。そして二枚とも、破り捨てた。
「負けちゃった…」
 瑠璃はそう言うと、地面に転がった小太刀に向けて、鞘を投げた。自分でそれらを拾わないこと、つまりこれ以上戦うつもりがないことを態度で二人に教えた。
「これは物騒だから、聖霊神社に預かってもらうわ」
 麗が小太刀を拾い、鞘に納めると、建物の中に持って行った。
――…………?
 巌には、一瞬だけだが、瑠璃が笑ったように見えた。
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