第七話 敵地・終編

文字数 2,902文字

 だが、増幸の思惑からかなり外れることが次の朝に起こった。

「殺す…。絶対に殺す! 出て来やがれ…!」

 深緑温泉街に向かったはずの奏楽が、どうしてか戻って来たのだ。しかもいつもの彼とは全く表情が異なる。激昂しているのだ。

「確実に死んでもらうぞ、貴様らぁ!」

 その怒りは、真織たちに向けられていた。

「どうしたのだ一体?」

 増幸さえ、状況が飲み込めていない。

「わかりません。アイツは九州にいるはずなのに、今日の朝、急に…。壱高の方はどこにもいないのです…」

 エメラルドも困惑を隠せない。

「どうし…」
「うるせえ! 邪魔だ! どいてろ!」

 話しかけても、相手にされないのだ。
 これを見過ごせるわけもなく真織たちは、海神寺の中庭で奏楽と対面する。

「出て来たか…やってくれたな、お前ら…! 死ぬ準備もできてんだろうな?」
「ちょっと待ってください! 私たちがあなたに何か、しましたか?」
「とぼけるなぁ! 絶対に殺す!」

 用いる言語は一緒であっても、もはや相手には、話が通じない。

「仕方ありませんね…。では! その怒り、沈めますか…!」
「ああ、来いよ。殺してやるからよ…!」

 真織は一人で、奏楽と向き合った。高雄は妲姫を抱え、

「大丈夫さ。あんな血走ったヤツに真織は負けないよ」

 と言い聞かせ、彼女を安心させた。


「死ね!」

 奏楽の一撃は、速い。身体能力の高さに加え、無限の怒りがさらに体を加速させるのだ。

「っく!」

 間一髪、真織はその一撃をかわす。

「ちょこまかとか、うぜえ! 次で殺す。みんなぶっ殺す!」

 何か工夫をしてくることもない。ただ純粋に、拳を真織に向けて振るだけだ。単純な戦い方。しかし、攻撃を受けるわけにはいかない。

「……………」

 真織は、攻撃を避けながら考えていた。

(彼は見たことがない顔です。ですが、私が何かした…? 何をしたんでしょうか、全くわかりません…。会ったこともない相手に、恨まれるようなことはしたことがないのですが…)

 心当たりは、まるでなかった。

(だとすると、誰かと私を勘違いしている?)

 それしかない。でもこの状況、それを聞くのは無理だろう。ここで奏楽を突破するしかないのだ。

(ですが、勝負は別腹! 気は抜きませんよ?)

 真織は、反撃に出た。奏楽が拳を突き立ててくるその瞬間、札を取り出して放電する。相手は攻撃に夢中故に、避けられない。はずだった。

「避けた…?」

 真織の動作を見た奏楽は拳を引っ込めると、宙を切り裂く電流すらも見切って避けた。

「ほう、これが壱高を仕留めた一撃かぁ! だが、何ともない。ここで殺す!」

(壱高? また知らない名前が出てきましたね…)

 でもそんなことは、もう関係ない。真織は一転して攻撃に移る。雷の刃を作ると、それで切りかかる。

「フン!」
「な、何!」

 札を持つ、手首を受け止められた。物凄い握力を入れられ、札を持っていることができなくなった。

「しまった…!」

 指が勝手に開く。札が電気を失い、地面にひらひらと落ちていく。

「このまま、砕いてやる!」

 奏楽は、もう自分の勝利だと思っていた。真織を掴んだ今、一撃加えれば、簡単に命を奪える。そういう余裕があった。

「………希望はあまり与えてやらないのが優しさでしょうかね…?」
「何だと?」

 真織は、右手首を掴む奏楽の手を、左手で掴み返した。

「…がっ!」

 瞬間、奏楽の体に電気が走った。そして真織が左手を放すと、奏楽の体は勝手に地面に崩れ落ちる。
 真織は、札を左手にも仕込んでいた。奏楽が真織を掴んで放さないと言うのなら、真織が手を伸ばしても奏楽は逃げない。だから楽に電気を送り込むことが可能。

「どこの誰かは知りませんが、怒る相手を間違えていることは確かです。あとそれと、喧嘩を売る相手も間違えちゃいましたね…? 身体能力がすごいのは認めますが、逆にそれに頼り過ぎているから、動きを止めれば楽勝ですよ。わざと右手を掴ませたことには、気がつきますかね? いいえ、気がつかないでしょうね…」


 負傷した奏楽は、正氏に担がれ海神寺の治療室に運ばれた。

「そんなに大袈裟ですか? 一応加減はしたんですが…」

 真織が強い電気を流したから、ではない。目を覚ました奏楽に、余計なことを話されては困るのだ。だから違う場所に運ぶ。

「やったね真織!」
「誰かさんの言葉を借りるなら、雑魚、でした。怒っていなければ、結果は違ったと思いますが…」

 きっと、そうだろうと真織は思う。平常運転なら奏楽も、霊的な力を使えたはずだ。使えなかったのは、ただ単に冷静でなかったから。怒りに支配されては、勝利からは遠ざかるだけ。

「高雄。もう出発しましょう。何故ここに蜂の巣が来たのかはわかりませんが、場所を特定されてしまっている! ここはもう危険です!」
「わかった。荷物をまとめたらすぐに出発だ」

 三人は客間に慌てて戻った。


「やられた………」

 一方治療室では、やっと落ち着いた奏楽が口を開いた。

「それは、真織に?」

 エメラルドの問いかけに、か細い声で、

「そう……」

 と答えるが、

「んなわけないだろ! あの嬢さん、昨日ちゃんとここにいたぞ! 俺は見た。旦那もいた! 間違ってるわけがねえ!」

 陣牙はそう主張する。実際に昨日も、高雄と一緒に湯船に浸かっていたのだ。

「かっかするな、陣牙。奏楽の言い分も聞いてみよう」
「わかったぜ…」
「で、奏楽、壱高はどうした? 何で一緒じゃないんだ?」
「やられた、誰かに…」
「誰か?」

 奏楽はどうやら、その誰かが真織たちと思っているらしい。しかし、彼女らに昨日外に出る様子がなかったのは、監視役の瑠璃がそう報告している。

「それはない。昨日は一日中、アイツらはここにいた。九州に向かったお前らと遭遇するはずがない」

 この現状では、奏楽の言い分が変わることはないだろう。エメラルドは、奏楽の回復を待つことにした。しっかりと意識を取り戻せれば、壱高を襲ったという誰かがわかるかもしれない。

「増幸様、今みつきを深緑温泉街に向かわせるのは危険なのでは?」
「……そのようだな。壱高と奏楽、コンビなら右に出る者はいないはず。それが覆されるとなると、みつき一人では危ない」

 増幸は、判断した。作戦変更だ。みつきに、海神寺に戻って来るように連絡を入れた。

(可能性が一つある…。だが、もしそうなら…)

 嫌な可能性。それが現実だとしたら、増幸の方程式は音を立てて崩れるだろう。

「瑠璃、お前に命を下す。聖霊神社に向かえ。こんなことができる人物は、一人しかいない」
「誰…? 何を確認するの…?」
「神代の跡継ぎだ! 確か今、聖霊神社で修行中のはずだ。彼、もしくは彼女かどうか知らないが、所在を調べろ!」

 聖霊神社には、確か久美の後に宮子が行ったはず。宮子の証言によれば、隣接世界の概念に興味を示したらしいが…。

「増幸様、妲姫はどうするんです? 今尾行をつけなければ、見失うかもしれません!」
「…うぬう」

 冷静さを欠いているのは、増幸も同じ。ここはまず一呼吸置いてから、

「瑠璃、君は聖霊神社に向かえ。それに変更はない。そこで、だ。こうしよう………」

 と、作戦を練り直した。
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