第3話:北海道山旅と俊美の大学受験

文字数 1,447文字

 殿村啓介、南健一郎と鮫島重利の3人も春山の服装の上にウインドブレーカーを羽織った。ロープウェイ駅の山頂駅を降りると目の前に散策コースがある。このコースは、ループ状になっており、周回できるようになってる。途中には多くの展望台が点在。駅から散策コース左折して進むと第1・第2・第3展望台と現れ、登山者も目を楽しませてくれる。

 ロープウェイ頂上駅から第3展望台まで15分で到着。夫婦池・第4展望台・姿見展望台・姿見の池分岐と進む。第3展望台から分岐まで30分。分岐で左折すれば旭岳山頂に、右折すれば山頂駅に行ける。夏は一周1時間。姿見の池の分岐から旭岳山頂を目指すと、登山道の勾配が少しきつくなり、岩だらけの道を歩く感じとなる。

 急激なアップダウンはないが、残雪が有る箇所もあるので注意が必要。姿見の池が見えなくなり、地獄谷を左手に見ながら登って行くと、四角い形をした金庫岩が現れます。姿見の池から2時間ほどで到着。ここから旭岳山頂まで勾配がなだらかになり15分程で登頂可能。そこで、旭川で買ってきた昼食のおにぎりと、おかずで昼食をとった。

 その後、来た道を慎重に下りロープウェイで下山しバスで旭川駅に16時に到着しホテルにチェックインした。翌日は、朝、ホテルをチェックアウトして、8時にレンタカーを借りて、美瑛の丘のセブンスターの木やケンとメリーの木、パッチワークの丘、マイルドセブンの丘で写真を撮り、散策した。

 9時半に出発して、10時にファーム富田のラベンダー畑に到着して、30分散策して、喫茶店で一休みした。その後、富良野ワインの工場に立ち寄り、運転手以外は、試飲してワインを購入した。この近くのレストランに入り、昼食を食べ、再び、出発した。その後、14時間で千歳空港のレンタカー屋に車を返した。

 そして16時過ぎの飛行機に乗り羽田空港に18時前に到着。そこから高速バスで19時に横浜駅に帰り、夕食をとってから解散して各自、家に帰った。1989年10月11日、早朝の電話で、ソニー株を9400円の指し値で売りの指示。その晩、ソニー株の全株が売れて8千万円を稼いだ。これで1億近くになったと言い高価なブランデーをぶら下げて帰宅。

 早速、奥さんに指示し、豪華な寿司桶を取り豪華な夕食となった。
「孝一が、父さん、すごい億り人になったんだねと一生懸命、持ち上げた」
「すると、孝一に、お前も成人したら稼げと肩をたたいた」
「その時、俊美が、お母さん、大きなダイヤモンドの指輪を買ってもらったらと告げた」

「話を聞き、母が、私が稼いだ訳では、ないから遠慮しておくわと遠慮した」
「また、俊美が、大学に入ったら2,3年の時、海外留学に行かせてもらおうよと、孝一に言うと、それは良いアイディアだと言うと上機嫌で良いよと父が答えた」

「数日後、父が孝一に100万円を手渡し、もう100万円をお前の口座に入金してやるから、投資を始めろと言った」
この時、孝一は、1989年12月には200万円になった。やがて1990年が明けた。孝一が、父に、留学に興味がないから、投資資金の100万円で十分だと答えた。

 俊美の大学受験の年、昨年末の進学塾の一斉テストで横浜国立大学経済学部の合格可能性75%で受験を決意し神奈川大学を併願した。2月の受験日には両親がついて行き、落ち着く様に言い聞かせ受験会場に入った。終了後、あがることはなく見直しもでき、ベストは尽くしたと答えた。その2週間後、両親がついて行き、合格したことが判明した。
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