第26話:東日本大震災と現代人の過ち

文字数 1,576文字

 2011年1月、村井産業の横須賀電気補充スタンドでは、電気自動車を充電できるように電気自動車の充電スタンド機械を12台、3千万円で設置。24時間体制で電気自動車の充電スタンドに3人のスタッフと3人のアルバイトを常駐させ、1日3交代制24時間営業した。この頃、電気自動車として日産リーフと同時期、三菱の「iMiEV」も発売された。

 その後、横浜で、横須賀の太陽光、風力発電工場の候補地を探そうという話となった。村井次郎、村井孝一、木村、山下、佐藤、下地が車で、風が強くて工場地帯として金沢シーサイドライン沿いの工業団地に目をつけ、くまなく探し始めた。村井次郎が横浜市金沢産業振興センターの事務所に入り工場の売却の案件があったら知らせて欲しいとセンター長に名刺を渡した。

 すると、どんな工業を作るのかと聞かれ、電気自動車用の充電スタンドと風力、太陽光廃用の発電機と蓄電装置を設置したいと言うと日産リーフなどの充電スタンドかと聞かれ、村井次郎の持ってきた横須賀工場の写真を見せると驚いていた。こんなになってるのか言うと事務所の人たちも写真見せてと、集まってきた。確かに、必要性は、高いよねと笑顔で言った。

 どの位の広さが欲しいと聞くので1500から3000坪くらい言い賃貸工場でも良いのかと聞くと、できたら購入したいと言った。わかりましたと言い最低どの位からと言われ、最低800坪は欲しいと言うと、売り物件、賃貸物件の情報が出たら知らせますと言ってくれた。

 しかし工業団地の土地の販売価格、貸工場の賃料も高過ぎ現実的でないという結論に達した。2013年3月過ぎると横浜市内から電気自動車の充電スタンドを求めて来る人が増え、土日は、充電を待つ人が増え、時間指定の予約券を発行し来てもらうようになった。すると早朝や夜遅くのお客さんが増えて利益は上がるが、従業員は、忙しく働く事になった。

 その後、電気自動車の充電スタンドの使い方が簡単なので夜12時から朝8時までは2人体制を採る様になった。そして2011年3月11日、午後、午後2時46分、宮城県沖で国内観測史上最大のマグニチュード9の巨大地震が発生し、横須賀市での震度4。かなり大きな揺れを感じ、長い間、余震とみられる揺れも数回続いた。

 しかし、不幸中の幸いで発電装置、蓄電装置には、異状がなかった。東北の惨状、京浜、湾岸地域の液状化現象も報告され日本中が恐怖のどん底に突き落とされた。続いて福島第一原子炉の冷却装置が津波で機能しなくなり原子炉溶融と言う最悪の事態まで起き大量の放射能がまき散らされた。そして、福島第一原子炉周辺地域に立ち入り禁止区域までできた。

 そして首都圏でも帰宅困難者が大勢、出た。またテレビ放送に放映された震災孤児、遺児のいじらしい姿に国民の涙を誘った。この時、村井次郎は、人類がエネルギーを使い過ぎていたのではないかと言い、単純だが根深い問題を考えるようになった。その頃から、お寺に行って座戦を組むようになり和尚さんと話したり日曜日に教会に行き、この疑問を牧師と話し合った。

 1950年代が2000年迄の時代の変化をインターネット調べてみると、巨大ビル、スーパー、劇場、ホテル、病院が真夏なのに半袖では寒い位に冷房が効いている現実と自分達の小学校時代と比べて、何かが、おかしいと思い始めた。この話を禅寺の和尚さんに話すと、その通り必要最低限の生活に戻るべきだと、同意してくれた。

 さらに、地球の本来の姿に戻し正常に戻すべきだと述べると、お坊さん達も、教会の牧師も同じ意見だった。必要以上の快適さを追求するあまり、地球や共に生きてる生き物をないがしろにした。そのため自然が壊れだしているのかもしれないと感じた。そして自然エネルギーのスクールを開催し、この話をするように社員に通達した。
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