第23話:日産の技術者に電気自動車の昔話を聞く

文字数 1,581文字

 また、村井次郎が、僕の友人が、フェアレディZ432に乗っていたと話すと、あの車は、基本的にアメリカ輸出用につくられ、アメリカで有名になり、その後、日本でも有名になったんですよと笑いながら言った。フェアレディZ432は6気筒、24バルブDOHC、1989ccのS20型を搭載。最高出力は160馬力、最大トルクは18kgmを発生。

 そして「432」というネーミングも、このS20型の「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」からの命名だったと懐かしそうに木村さんが語った。さらに続けて、このフェアレディ432は1970年春からレースに登場。1970年4月のレース・ド・ニッポン6時間レースや翌71年4月の富士300キロなどで優勝を飾っている。

 とくにレース・ド・ニッポンでは同じS20型エンジンを搭載したスカイラインGT-Rと対決しての勝利した。こんな話を木村さんは、熱く語っていた。でも1973年9月、「排出ガス規制対策」を理由にZ432の生産は打ち切られた。累計生産台数は約4年間で419台少なく、現在でも売りに出ると高値が付くと言った。

 その後、1991年、ソニーが世界で初めて大容量電池としてリチウムイオン電池を商品化した。その時、日産は、この新しい電池にいち早く着目した。1992年には車載用電池としての搭載を考え、ソニーと共同開発を開始。そして完成するのが、1997年のプレーリージョイ電気自動車。リチウムイオン電池を搭載する世界初の電気自動車だった。

 世界初のリチウムイオン電池を搭載する電気自動車として、法人向けに30台がリース販売された。標準充電時間は5時間。1充電航続距離は200キロ以上。国立極地研究所北極観測センターの支援車として厳しい条件下で6年間故障なく使用された。翌1998年、日産はアルトラ電気自動車を北米に投入。和名はルネッサ。

 ルネッサは、ずいぶんと床の高い、クルマと認知されていたが、それは床下に電池を積むためのものだった。もちろんリチウムイオン電池を搭載し、1回の充電航続距離230キロと現在の水準でも通用するクルマだった。2007年、日産はNECとともに「オートモーティブエナジーサプライ」という合弁会社を設立。

 この会社は、自動車用のリチウムイオンの開発やマーケティングを行う会社。ハイブリッドでは、遅れをとった日産だったが、リチウムイオン電池に関しては長年の蓄積があり一歩リードしていた。これに次世代カーの命運を託すことになった。という事は、近いうちに電気自動車を出すのですかと、村井が聞くと、それは、ご想像にお任せしますと笑った。

 そんな話をして約束の終了時間20時となった。その時、村井次郎が、木村さんの所へ行き、良かったら2次会へ行きませんかと告げた。良いのですかと聞くので、もちろんですと言うと、お供しますと言った。そこで、タクシーで、ウインドジャマーへ行った。店に入るなり、木村さんがクラシックな作りで素敵ですねと言った。そして、ビールで、再度、乾杯。

 ところで、村井さんたちは、太陽光発電とか風力発電の仕事をしてるんですってと聞くので、そうですと答えると、今度は、私に、その内容を教えてというと、ここにいる4人は、その道の専門家ですと言った。あらためて、紹介してもらえますかと聞くので、村井次郎が、この佐藤さんが、太陽光発電の専門家で元M電工のソーラーパネルのスペシャリスト。

 こちらの山下さんが、発電した電気を貯める新型蓄電池の専門家でSM電気工業の山下さん。一番若手の清水さんが、Z社で風力発電用の小型風車の専門家。この人が、経理、契約、法律、事務の専門家で自分の後輩で特殊テープのNT電工の契約、法律の専門家、下地君ですと紹介。最後、村井が、東工大を出て、NT電工の研究畑、出身ですと自己紹介した。
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