第7話:世界規模の不況の足音が

文字数 1,548文字

 村井孝一が、日本の不況が、最近、ひどくなり、役所関連の職業安定所でも大型不況の深刻化で忙しいと話した。企業でのリストラに拍車かかってきた事を肌で感じるようになったと告げた。また、この年、金権政治で有名になった田中角栄・元・首相の金庫番として知られた、金丸前自民党副総裁、無記名のワリコーなどを使い脱税していた罪で逮捕された。

 その他、8月には1米ドル100円40銭と史上最高値を更新。輸出大国の通貨が高くなり輸出できにくくなり日本の不況に拍車がかかった。世界、中でもロシアで大きな対立が起こった。エリツィン大統領との対立を深めていたハズブラートフ最高会議議長は1993年9月にテレビでエリツィンを挑発する発言をした。

 これに対して9月21日に訪日を控えたエリツィンは、人民代議員大会及び最高会議解散の大統領令を発布し、議会を中心とする反エリツィン陣営の除去に取りかかった。これを受けて、ハズブラートフは最高会議の緊急会議を召集した。ルツコイ副大統領に大統領全権を付与、ルツコイは「大統領」への就任を宣言。

 10月3日、ロシア最高会議ビルに立てこもった。翌10月4日、エリツィンは軍に議会派勢力が立てこもる最高会議ビル占拠を命じ、ハズブラートフ、ルツコイら代議員達は拘束された。政府の推計によると、死者187人負傷者437人、ロシア連邦共産党に近い筋は2千人以上が死亡した発表。問題の新憲法は12月12日に国民投票で可決。

 そして、この事件はエリツィンら大統領派の勝利のうちに終結。これによりロシアが開かれた自由な国に変貌するかと世界中で期待を持って待ったが、実際には、大きく変わる事はなかった。日本では、1993年は、村井孝一の妹の俊美が大学4年生になり就職活動を始めた。その中で彼女も兄同様、家から近い横浜銀行を受験したいと思った。

 春休み3月初旬からアルバイト研修に応募。1ケ月間、銀行の事務仕事と入出金の計算を手伝った。その銀行の場所は、自宅から2キロ、徒歩30分、自転車、バスで10分の所にあった。その後、夏休みもアルバイトをして、銀行の行員さんと親しくなり就職したいと考えるようになった。秋、横浜銀行の就職試験と面接を受け数日後内定の通知が届いた。

 そして1994年を迎えた。そして村井俊美が、自宅からバスで10分の横浜銀行鴨井支店に通い始めた。家に帰ってくるのは19時頃が多い。家で、母の手伝いをして夕食を作ったり、風呂の支度、洗濯も手伝った。たまに、銀行の入出金が合わない時は、遅くなったが、その時は、必ず家に電話を入れた。

 土日は、大学時代からの横浜国大の女友達3人と元町、山下公園を散策して中華街で昼食を食べるのを楽しみにしていた。一方、村井孝一は、山の仲間と車で土日の早朝、孝一の父が、2年前に購入したハイエースを運転し出発。長野県駒ケ根市の駒ケ岳ロープウェイで千畳敷カールを散策し、高原でゆっくり過ごしたた。

 その他、志賀高原の奥の2千メートルの横手山、渋峠をトレッキングしたりして、軽登山や高原のハイキングを楽しんだ。そして、地元の温泉に泊まりに行く様になり、長野県に行く事が増えた。この年の6月、戦後初めて1米ドル100円を突破。東京外国為替市場でも一時99円50銭と戦後最高値を更新。

 7月には、記録的な猛暑と水不足で高知県の早明浦ダムが渇水で干上がり、水没していら旧大川村役場の建物が露出。7月、価格破壊、リストラで企業業績に明暗が、はっきりとわかれ、輸出関連企業を中心に就職難が一層深刻となった。そんな中、11月、消費税率の5%への引き上げなどを柱とした税制改革関連法案が衆院本会議で可決された。これを多くの国民、企業化は、こんな時に、増税かよと、眉をひそめた。
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