第6話:日本のバブル崩壊とインターネットの話

文字数 1,756文字

 1992年4月から自転車で職場まで通い始め、朝8時に家を出て帰りは17時半に家につく生活となった。早く帰ってきた時は、本を読んだり株の勉強をしたりパソコンを使う事ができて思い通りの生活が始まった。そして6月になり、梅雨になり、雨のひどい日は、バスで15分で役所へ通った。通が明けると、暑い夏、8月13,14,15日のお盆休み。

 村井次郎は、有給休暇がたまっていたので、8月15日から22日の1週間、休みを取った。村井孝一も同じように休みを取っていた。そんな時、父に、12日の早朝、証券会社の担当者からソニー株がの気配値3740円は、買いと言われ父の村井次郎が3千株買い、次郎、お前も買ったらと言うので500株買いを成り行き買いと指示し9時過ぎ買えたと連絡が入った。

 父がソニー株3千株を1122万円、孝一が5百株を187万円で購入し、孝一の投資残高が13万円となった。この年、横浜国大での友人の殿村が、トヨタ自動車、南健一郎が、ダイワハウス、鮫島重利が、富士通に入社。その後、10月10日に久しぶりに会って、新横浜の居酒屋でビールを飲んで、その後の近況を聞いた。すると日本のバブルが崩壊してトヨタでもダイワハウスでも高いものが売れなくなったと話した。

 その時、村井君は、なんで横浜市役所に入ったのと聞かれた。大手証券会社か銀行、または不動産会社でも入るかと思っていたと話した。それに対して自由に使える時間が多い事と安定性、勤務時間が短く有給が多いのが良かったと答えると驚いていた。せっかく、あれだけの能力があるのに、高く売らないのは、もったいないという意見が多かった。

 確かに、このまま、日本が、昔の様に、エコノミック・アニマルと、呼ばれる事は、二度とないのかなーと、寂しそうに言った。それに対して、これから先は、団体戦ではなく、個人戦だと思うよと村井が答えた。どういう意味と聞かれ、日本人も会社におんぶに抱っこと言う時代は終わったと強調した。

 これからの時代は、仕事だけでなく、むしろ個人資産をいかに増やすかと言う個人の能力が重要だと言った。その話、アメリアの著名なエコノミストが話していたのと同じ事だと殿村が言った。日本もアメリカの様に自由競争で自分で自分を守らなければならない世の中になってくるかもしれないと言い、ため息をついた。

 確かに、日本でも株で稼いだり個人で独立して起業し成功する若者も増えてるらしいからなと南も鮫島君も同意した。でも簡単に生き方を会えるほど器用ではないからなと語った。ところで、殿村君のお父さんの容体は、村井が聞くと、心筋梗塞で手術してから具合が良いみたいだと話した。体は大切にしないとねと言い、22時過ぎに解散。

 また、今年、忘年会をしたいねと言い、それぞれ、帰っていった。その2ケ月半後、12月28日、横浜中華街の店の1部屋を借りて、村井と殿村啓介、南健一郎と鮫島重利の4人で忘年会を開いた。その席で南が、ところで、彼女できたかと言う話になり、鮫島が、それどころじゃないよ、仕事を覚えることでいっぱいだよと笑いながら言った。

 その点、公務員は、気楽なものだろうと言われた。村井が、公務員は、仕事が終わると、とにかく、早く家に帰る。飲み会に、行くなんて、聞いた事ないと語った。職場に美人は、いないのかと聞かれ、そんな所を見てる暇なんてないと笑った。少なくとも、水も滴る良い女は、1人もいないと笑いながら答えた。

しかし有給も多いし絶対につぶれない競争も少ないと聞くけれどと言うと、まだ、そこまで、わからないよと村井が答えた。まー、それもそうだなと殿村が笑った。富士通の鮫島重利が、話が、変わるが、今後コンピューターネットワークの時代が来ると言った。近い将来、インターネットで通信販売、放送、新聞、情報、電話ができる時代になると熱く語った。

 アメリカでは、インターネットが、既に始まっていると、鮫島が、熱く語った。そして、今年、1992年、日本で、最初のインターネットサービスプロバイダである インターネットイニシアティブ「IIJ」が鈴木幸一によって設立されたと話した。そんな話で、盛り上がり22時になり、お開きになり、また会おうと言って、1992年の忘年会を終え、家路についた。
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