第5話:穂高縦走と孝一が公務員に

文字数 1,547文字

 やがて8月7日、火曜日、天気、薄曇り、朝8時に出発し殿村啓介、南健一郎と鮫島重利を拾って、16号線を北上。八王子インターから中央道へ、途中、山梨の大きなパーキングエリアで休憩し一気に松本インターチェンジで降りた。松本インター近くのファミレスで一休みし早めの昼食をとり12時に出発し13時過ぎに上高地に到着。

 車を宿の駐車場に置かせてもらった。到着後、冷たい水を感じたり、上高地の大正池、その他を散策して多くの写真を撮った。そして、その晩は、早めに床についた。翌朝6時過ぎに出発、徳沢に8時半頃、到着し、少し休み、水分補給。そこから急な登りに入り横尾で休憩、本谷橋で休憩とこまめに休み涸沢に12時半に到着。疲れたので30分の休憩をとった。

 そこからもきつい登りが続き16時前に、ひーひー言いながら、若さに任せて、一気に北穂高岳の山頂に到着し、宿に入り休んだ。その晩も早く寝て、翌朝6時半に山小屋を出て、2時間かけて涸沢岳を抜け穂高岳山荘へ到着。長めの休憩をとり、そこから急な登りを歯を食いしばり、一気に登り10時半頃、奥穂高岳山頂に立つ。

 山頂からの景色を写真に撮って出発。その後、紀美子平を経て前穂高岳に12時半に到着。そこでも景色を見て写真を撮り出発。岳沢パノラマを抜けて15時過ぎに岳沢小屋に入る。そして、ここで宿泊、3人ともかなり足に来て、つらそうな顔をした。しかし若さと根性で頑張ろうと励ましあっていると、お客さん、つらいのは、ここまでだと言われた。

 今晩泊って、帰り楽だが、気を抜いて下りで、怪我する人が多いから気を付けてくださいと教えられた。その後、旨い夕食を食べ、床に就いた。翌朝8時まで、ゆっくりして出発。小屋で言われた様に慎重に下り、下り終わると河童橋が見えた。その先が上高地、10時過ぎに到着。駐車場のホテルの人にお礼を言い駐車代を清算。

 その後、下りの道を慎重に運転し11時に松本インターから中央高速に入る。11時半に諏訪湖サービスエリアで諏訪湖とその奥の八ヶ岳を見て、多くの写真を撮った。そこで運転を替わり一気に山梨の大きなサービスエリアでトイレ休憩。八王子を経由して仲間3人を下ろして15時過ぎに自宅に帰った。

 その頃、父は、若くして、研究部の部長に出世し、仕事は、若手の指導ばかりで新製品から離れていた。そのため、新製品を開発していた頃の様な達成感、充実感を味わうことがなく、割り切れない気持ちになっていた。そのため地元の同年代の土地持ちの人達、4人で、キャンピングカーで出かけ、富士五湖、富士山ろく、山梨、長野まで足を延ばしていた。


 夏が終わり、11月、12月となり、1991年を迎えた。この頃、村井孝一は妹のパソコンを使ってマイクロソフト・オフィスパックのソフト、エクセル、ワードを購入。そのソフトウェアの使い方を妹に教えた。しかし、妹の俊美は、孝一のステレオで洋楽を聞くのが好きで、パソコンへの興味が薄れていった。

 彼女は音楽と映画が、好きになり友人の女性2人と一緒に、映画を見によくでかけた。この夏、殿村啓介のお父さんは、大きな手術を受けたので山登りどころではなくなり登山に行かなくなった。孝一も近所で家庭教師を始めると忙しくなり、あまり遊びに出なくなった。そうしているうちに夏となり秋が来て冬へ季節が駆け足で過ぎていき1992年を迎えた。

 今年、孝一は就職の年になり自分の好きな事に打ち込みたいと思い公務員を目指した。そして家からも近い横浜市役所をめざし公務員試験を受験し合格。家から自転車で10分の港北区役所に勤務することが決まった。父が、株投資で儲けて、休みをしっかりとって、人生をエンジョイすれば、良いかもしれないと、予想してない言葉が返ってきた。
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