第1話:村井孝一誕生と次郎の投資開始

文字数 1,517文字

 村井家は、大正時代の船景気で日本郵船株の売買で、財を作り、その金で横浜の郊外、現在の新横浜の西部、菅田に、大きな土地を買い子孫たちに農業をさせた。そのため村井一族が、その地に住みついた。そして村井孝一の祖父も父も戦時中を除き、株投資に熱心だった。

 そのため村井孝一も小さい時から株やん連れていかれ、株で儲かると旨いものを食べさせてもらった記憶がある。主人公、村井孝一の父、村井次郎は、1942年7月、横浜市菅田で生まれて3人兄弟の2番目で頑張り屋。そして東京工業大学化学科に1961年に入学した。

 その後、合成樹脂の勉強をして1965年に卒業。その頃、東京工業大学化学科の先輩によばれ、大阪のテープで有名なN電気工業に入社し研究グループの一員となった。そして新製品開発で多くの特許を取り何回も報奨金をもらった。

 村井次郎は、大学を出た翌年の1967年4月、家の近くに住む、鹿野聡子さんと見合いをして結婚。
「1968年1月4日、朝、証券会社の担当者からソニー株、105円の気配値で買いを勧められた」
「そこで2万株を成り行き買いを指示し、9時に買えたと証券会社の担当者から電話が入った」
「父が、この連絡を聞くと、今年も幸先よいぞと笑顔になった」

 1969年6月、長男の村井孝一が生まれ、1971年10月、長女、村井俊美が誕生。その時、村井次郎は、父から譲り受けた金が1千万円あり自分のためた金500万円で1500万円を手にしていた。この結婚を機に、村井次郎の父が、古くなった農家3軒を建て替えた。そのため村井次郎は生まれてすぐ、新築の家に住むことができた。しかしN電気工業の本社は、大阪で大阪に出張する日も多かった。

 その後も村井次郎は電気絶縁用テープ、両面接着テープの開発に携わっていたので一流の研究者として多くの特許を出願して報奨金をもらい出世街道をまっしぐら彼の努力もあり、出世も早く1972年4月から村井次郎は、N電気工業、東京支店の技術部の課長に就任した。

 1973年12月26日、朝、証券会社の担当者からソニー株、1600円の気配値で売りと言われた。「そこで2万株を成り行き売り指示し売れ2900万円儲けたと大喜び」
「父は、わかりやすい性格で一見、冷静沈着そうだが、意外に熱くなりやすいタイプ」
「株投資をして儲かった話を次郎によく話していた」

 そのため次郎も株投資に興味を持った。その後も974年11月初旬の朝、証券会社から父に電話が入りソニー株を490円で2万株買った。村井孝一も父譲りで計算が早く数学が得意で体が大きく力も強かった。10歳になると家に2台ある大人用のごっつい自転車を乗り出して横浜の山下公園出かけた。

 中学生になると理数系が強く、母が本好きで字を教えたおかげで本好きで国語よくできた。1981年4月、以前父が買ったソニー株が2650円で売れ、2500万円を儲けたと上機嫌になった。すると、その金で、クラウンを購入した。

 中学でもトップクラスの成績で1985年、翠嵐高校に合格した。家から自転車で15分で通い始めた。妹の俊美も平沼高校を目指して勉強を続けた。1987年2月、長女、俊美が平沼高校を受験して合格した。その後、バスで20分かけて自宅から平沼高校へ通いだした。

 その後、1987年4月14日、朝、証券会社からの電話でソニー株を2610円で1万株を買った。翌年、同じ頃、孝一が横浜国大に入りたいので横浜駅近くの進学塾に通わせてほしいと両親に頼んだ。父が、わかった、是非、横浜国大へはいれよと言った。ところで、何を勉強したいのかと聞くと経済学部と言った。了解したから、合格を目指して頑張れと励ました。
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