第4話:俊美のパソコン選びと穂高縦走計画

文字数 1,627文字

 家に帰って来て、俊美が、孝一に受かったよと言いサークルどこに入ろうかなと相談すると、投資研究会以外ならどこでも良いと答えた。最近できたパソコン同好会で誘われたので、そこに入ろうかなと言うと、父が、これからは、コンピューターの時代だからよいと思うよ告げた。数日後、俊美が、パソコン同好会に入ったと話した。

 俊美が、父に相談ですが、海外留学は、あきらめる代わり、パソコンセットを買って欲しいと父に伝えると、孝一が、NEC98シリーズでプリンター込みで100万円、エプソンで60万円だと言った。母が驚いたように、そんなにするのと言った。今年の春、夏にも新製品が出るから、それを買ったらよいと教えた。

 その時、お兄ちゃんも一緒に秋葉原に見に行ってくれると聞いた。良いよ一緒に見て、どれが良いか教えてやるよと言った。でも、お前が使ってない時、俺にも貸してくれと言うと、良いけど、使い方も教えてくれないとだめよと条件をつけた。その後、1990年4月になり、エプソンの新型パソコン、PC-386VRが発表された。

 このパソコンは、前年に発売されたPC-386VのCPUを386SXにして15万円のコストダウンを図ったタイプ。この年、386SXを搭載したパソコンが多く発売された。この頃は32ビットCPUである事がパソコンのセールスポイント。この頃のメモリー環境は、オペレーションシステムがMS-DOSが主流で1MBまでしか直接管理できなかった。

 そこでEMS規格「電子機器・標準製造企画」が登場し、EMSボードとEMSドライバソフトがセットで多くの電子メーカーが製造し価格が下がり大量に製造された。仕組みはメインメモリ内に16KB単位のメモリ領域を確保し、このメモリを切り替え大容量のメモリを使えた。メルコやアイオーデータ機器が競って発売した。

 規格はロータス、インテル、マイクロソフトの3社が共同提案したものなので頭文字をとってLIM・EMS規格とも言われている。ウインドウズが主力になると直接大容量のメモリ管理が可能になった。プリンターは、キヤノンでインクジェットプリンターが今年の秋に発売されるので、それを待った方が良いと、パソコンショップの人に教えられた。

 エプソン386SX・H40という40メガバイトのハードディスクを備えた最新鋭のマシンが468000円で発売。父と兄が、買うから送料を無料にしろと店の人と交渉して送料込みで468000円となった。1990年の夏休み、孝一は、横浜国大の殿村啓介、南健一郎と鮫島重利と8月7、8,9日の2泊3日で穂高縦走の計画をたてた。

 その計画は、北穂高と涸沢、奥穂高、前穂高の縦走と今まで経験した事のない厳しいルート。まず、8月6日、横浜を出て上高地の宿に夕方までに到着。一泊して翌朝6時過ぎに出発、合羽橋、明神を抜け徳澤で、少し休憩。その後、急な登りをあがる。横尾で、再び休憩し、本谷橋で少し休憩、そこから2時間近い登りが続き、涸沢で長い休憩。

 そこから、きつい登りを南稜取付、南稜テラス、北穂高に16時までに到着。その晩は、北穂高の宿に宿泊。2日目は、7時前に宿を出て、1時間で涸沢のコル、そこから70分で涸沢岳少し行くと穂高岳山荘に9時頃到着、長い休憩を取り急な登りに入る。そして約1時間で奥穂高山頂で景色を眺めて、すぐ出発。

  そして、1時間40分で、紀美子平に昼頃、到着。少し休み、お腹すいたら食事をとる。その後、30分で前穂高岳山頂、休憩し、景色眺めたり写真撮影をし、おにぎりを食べて水分補給。再び出発し30分足らずで紀美子平、そのまま40分程で岳沢パノラマ、それを過ぎて1時間半で今夜の宿、岳沢小屋に到着。

 3日目は、岳沢小屋を8時に出て、注意しながら長い下り降り、河童橋を抜け10時に上高地について、車に乗って、横浜に戻る。この計画を立てた。車は、村井孝一の父6人乗りのクラウンで出かけることにした。
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