第14話:村井次郎の忘年会

文字数 1,755文字

 やがて2002年も12月を迎えた。村井次郎の後輩で他社の研究者を呼んでの忘年会を企画した。彼らの中でZ社んも清水さんが、1954生まれで小型風車の設計をし、他は、1948年でSM電気工業の太陽光発電の専門家の山下さん、M電工、佐藤さんと、同じ会社で経理に詳しい下地さんの4人がそろった。

 中華街の1室を借り切って、19時から始まった。まず、村井が、久しぶりの再会を祝してと言い、乾杯。その後、多くの中華料理、回鍋肉「ホイコーロー」、青椒肉絲「チンジャオロースー」、麻婆豆腐「麻婆豆腐」、チャーハン、シューマイが出た。紹興酒、ビールを飲みながら、村井が、景気はどうだと言うと、ネットバブル崩壊で日本経済は良くないと話していた。

 この日は、久しぶりに、会って、酒を飲んで、活発な意見が出た。その中でもSM電気工業の太陽光発電の専門家の山下さんが京都議定書の話をして、このまま環境破壊を続けると取り返しのつかないことになると話した。彼は、太陽光発電、風力発電など自然エネルギーをためて必要な時に使うための大容量の蓄電池の研究を数年前から始めた。

 日本とドイツをはじめとする海外勢の力の入れ方が違う事を訴えた。すると中には二酸化炭素を減らせと言うが、地球温暖化の原因が、単純に二酸化炭素だという意見は拙速だと思うと批判する者もいた。しかし、地球温暖化が進めば大気汚染だけでない。地球の温暖化が起これば、その異常気象で、気温上昇、北極、南極の氷が解け、海水面の上昇。

 また超大型台風の発生の危険性を専門家たちが危惧しているし自分もそう思うと語った。この意見に興味を持っていたのは、村井次郎と同じ会社の後輩、下地さんだった。M電工、佐藤さんとZ社の清水さんも太陽光発電装置の研究をしているが太陽電池の価格も高い。そのため簡単に普及するとは思えないと本音を述べた。

 もし太陽光発電で作った電気を国が高値で買えば別だと笑いながら話した。それを聞いてSM電気工業の山下さんが、それでも君達は科学者の端くれか語気を荒げた。それを見て村井次郎が山下さんの所に来てビールを注ぎながら、君のいう事は、最もだと告げた。確かに今後10年、20年後、まずいと思っても温暖化地球が元に戻る事は、不可能だと擁護した。

そうなんです、私はそこ点を一番、言いたい。人間にとって便利で快適な社会を継続して電気やエネルギーは使い放題、環境破壊を気にも留めないのは、まずいよと話した。まさに、その通りなんですと、まずいと思っても、簡単に元に戻せないんですよ。自分の子供や孫の時代が、悲惨な時代になるのですと、真剣な顔で訴えた。

 その顔に真剣さには、村井次郎と下地さんも驚いたくらいだ。その話を聞いて、村井が、実は、私は、将来、太陽光発電、風力発電などの自然エネルギーの施設を作りたいと持っているんだとよと打ち明けると、それは、すごい、是非、協力させてくださいと言った。M電工、佐藤さんとZ社の清水さんは、景気の悪さ、増税の話などで盛り上がっていた。

 太陽光発電装置の仕事をしているが、価格が高くて、そんなに売れないし、中国が格安の太陽光発電装置を発売して、こっちの商売も厳しくなっていると話した。日本の政府の強烈なバックアップがなければ、100万円以上の太陽光発電装置が簡単には売れないと断言した。せめて、太陽光発電による電気を国が責任をもって高い値段で、買い取る制度でも作って欲しい。

 そうでもしない限り、口先だけで、自然エネルギーは、環境にやさしく、地球の環境破壊を防げると言っても、絵に描いた餅だ。簡単にそうですかと、高価な太陽光発電装置を買ってくれる訳ないと断言した。そんな話をして22時になり忘年会は終わった。その後、山下さんが2次会へ行きましょうと誘うと村井次郎と下地、清水、山下さんが、別のスナックに移動。

 山下さんが、自然エネルギーをためておく、大型の蓄電器を研究してると話した。村井は興味深く、その話を聞き、真剣に自然エネルギーの仕事に投資しようという気になった。村井が、山下さんに3億円の資金で村井産業という名の有限会社を設立しようと考えてると話すと下地、清水、山下が、是非やりましょうと言い、村井次郎が、村井産業を設立する気になった。
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