第32話 山の上の、Sさんのこと

文字数 1,719文字

 自分は何がしたいのか。どうやって生きて行こうとしているのか。
「フリースクール」にも合わず、家に居ても、自分の行き場所を早く見つけなければならない、切羽詰まった気持ちに追いやられた。
「脱学校の会」で親しくなった友達と、「やることがないねえ」などと言いながら、ふたり寝っ転がって、部屋の絨毯に落ちている髪の毛などをもそもそ集めたり、友達の家を泊まり歩いたりした。ひとりでいるのが、心細かった。

 K先生を通じて、Sさんと出逢ったのは、大学一年の最初の冬だった。Sさんは埼玉の山の上で農業を営んでいて、私はよく手伝いに行くようになり、そのままイソウロウ状態になった。実家にはほとんど帰らず、大学にも行かなくなった。
 Sさんには、小学生の三人の子どもがいたが、子ども達を学校に行かせていなかった。子ども達は家でファミコンをしたり、気が向くと畑に手伝いに来ていた。
 なぜ学校に行かせないのか── 私は座を正して、Sさんに訊いたことがある。じっくり、その理由を訊いてみたかったのだ。

 Sさんが最初に抱いた「公教育」への疑問。そのきっかけは、82年に横浜で起きた「浮浪者襲撃事件」だったという。中学生が集団で、浮浪者を次々と襲って殺害した事件だった。Sさんのお友達に、加害者の少年達と文通を始めた人がいて、彼から「この子たちはどこにでもいる、普通の中学生だ」という知らせを受け取った。

 ちょうどその頃、小学校に上がったSさんの長男が、それまで仲のよかった近所の友達と遊ばなくなっていた。その子は家が貧乏で、汚れた服を着て鼻水をたらし、学校でよく忘れ物をしていたという。「みんなと違う子」は、クラスメイトからいじめられたりもしてしまう。「うちの子も、いじめてたかもしれない」とSさんは言う。

「異質の者を排除する意識が、学校によって子どもは植えつけられてしまうんじゃないか。学校には、差別やイジメをつくりだす秩序があるんじゃないか? そんな学校に子どもを預けるより、もっといい環境で育てたいと思った」という。
 そして「管理教育を拒否する親が、管理社会からセッセと金を稼ぐのはおかしい」と、それまで勤めていた障害者施設を辞め、山に引っ越した。

 Sさんは、公教育に疑問を持つ親達と一緒に、フリースクールをつくった。詰め込みの勉強、受験戦争に子どもを置くのではなく、「もっとのびのび育てたい」とする親が多かった。
 その「学校」は、「夢の実学園」と子ども達が名前をつけた。Sさんは手話を、外国人の親は英語を、染め物技術のある親は藍染を教えた。川はどこから来るのかと辿ったりもして、衣食住に重きを置いた「教育」だった。
 だが、飼っていた食用のブタの「ハナコ」を殺すのを、「残酷だ」とする親どうしの対立があった。子どもが受験期を迎える学齢になると、「やっぱり学歴は欲しい」とする親も出てきた。国から認可されない学校に在籍することは、その子の学歴がなくなることを意味するからだ。

 多くの親が子どもに学歴を与えたがったが、Sさんは学歴を突き抜けて生きて行く強さを、子どもに与えたがった。市の教育委員会が家にやって来ても、Sさんは無視を続け、Sさんの子ども達は小学校を除籍になったという。そしてフリースクールも四年続いた後、閉鎖してしまった。

 だが、長男は十五歳になると、東京で自立した生活を始め、次男も、山を下りて一人暮らしを画策中だった。
「ひとりでやっていけるようになったら、子育ては成功だろうな」とSさんは言う。
「将来、なんで学校に行かせてくれなかったんだ、って言われたらどうします?」私が訊くと、「こんな親を持ったことを不幸と思え、かな」そう言って、豪快に笑われた。
「履歴書には、何て書いたんでしょう?」また訊くと、「私立夢の実学園卒業、って書いた、とか言ってたかな」
「将来、Sさん、何かしたいこと、ありますか」と訊けば、
「ずっと山にいると、海に行きたいな、って思ってね。今考えているのはね、海の方に住んでいる人と、家をチェンジすること。そのうち、海外に行ったりしてね。かくして夢は広がっていく…」
 そう言って、ガハハと笑うSさんにつられて、私も笑ってしまっていた。
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