第26話 「脱学校の会」

文字数 1,476文字

 世田谷の、住宅街の一角にあるその場所には、五、六人が楕円形のテーブルを囲んでいた。K先生と同じ予備校講師の、H先生の自宅。そのすぐ横に建てられた木造二階建ての建物で、H先生は数学の参考書をつくる仕事もしていたから、そのために使う会議室のような、こぢんまりした一室だった。
 大学生、浪人生、子どもが学校に行かないで困っているという母親、八百屋でバイトをしながら通信制高校で勉強をする人、何もしていないという人、などが参加していた。
 もう十八歳になるのに、中学校に行かないために「留年になって」卒業できず、中学生のままという女の子もいた。
「中検(中学卒業程度認定試験)というのがあるから、それを受験するといいよ」K先生が言った。
「まあ、ずっとアウトローみたいに生きてきたんだけど、東京大学なんか卒業したりして、でも卒業証書っていうものが役に立ったことはなかったなぁ」H先生が言った。
 
 NHKの「青年の主張」に出たという通信制高校生に、「何を主張したんですか」と私が聞くと、「いろんな生き方があっていい、っていうことを言いたかった」と恥ずかしそうに笑っていた。
「学校には、意味のない規則が多すぎる」と浪人生が言った。「髪の長さ、靴下の色も決められている。何のためにそんな校則があるのか分からない」
 私は、いろいろ感じて生きている人がいるんだなあ、と思った。同時に、私はこの場所に、ある警戒心を持った。私は自分の登校拒否を学校のせいにしたくなかった。あくまでも、行かなかった自分に問題があるのであって、それを自分以外のせいにするのは、何か問題をはぐらかす狡い行為に思えた。この場所には、「学校が悪い」としてしまえるような、落とし穴があると感じた。

 一方で、この場所にいた人達が、新鮮に映った。人間関係の仕方について、考えさせられたからだった。
「とにかく、当たり障りなく。」これが、私がマトモと思い、これからやっていこうとした人との関係の仕方だった。薄っぺらな空気のような会話をして、へらへら笑い、適当に人とつきあっていくこと。だが、そんな態度でここにいる人達に向かうと、自分を誤魔化しているような、不思議な感じに捕らわれた。
「昨日テレビでさあ、」と「普通の」一般的な話をして、この場を明るく、少し「盛り上げよう」とすると、何かわざとらしく、自分の足が宙に浮く感覚があった。
 ここにいる人達は、学校に対する疑問や問題を自分の内に真剣に抱え、それをまず第一にしながら、まわりにいる、同じ学校に問題意識を持つ人達と接しているように見えた。何かチャンと、人と関係しているように見えた。これは、私にとって意外な、人間関係の仕方だった。

 本屋でイヴァン・イリッチの「脱学校の社会」(東京創元社)を買って読んでみる。難しくてよく分からなかったが、
 ── 学校化されている社会というのがまずあって、そこに生きる個人個人が、どうやってその社会の学校化から脱しつつ、生きていくか。それが肝要だ。
 と云いたいのだろう、と自分なりに解釈した。社会という言葉も、考えてみれば漠然としていたが、人と人が関係していくのが社会だとしたら、よく分かる気がした。

 この「脱学校の会」は、ただ参加者どうしで話をするだけの「活動」だった。それでも新聞や雑誌で紹介され、問い合わせてきた人に、月例会のおしらせを三百通ほど郵送していた。その発送作業を、参加した人達と一緒にやる。おしらせを封に入れ、宛名を貼り、切手を貼って投函すると、私はうまれて初めて、「社会」に向けて何かを「発信」した気になった。
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