第4話 兄

文字数 1,204文字

 父は、その日その日の私の様子を、夕食の時に母から聞かされているようでした。茶の間の上が、私の部屋で、私は畳に耳をくっつけたり、階段の曲がり角から聞き耳を立て、茶の間の様子をうかがい、家族の様子を知ろうとしました。会話らしい会話はなく、テレビの音だけが大きく聞こえ、たまに、かぼそい母の声と、父の、うーん、うーんと唸るような音が聞こえました。

 私の家族の中で、兄は、不思議な存在でした。
 親、教師をはじめ、大人たちが皆、私を学校に行かせようとしているのに、この兄だけ、そんな素振りを見せなかったのです。
 私は昼間、たまに兄の日記を盗み読みしていたのですが、ページをめくって、ギョッとしたことがあります。
「サトシ君へ」と書かれ、「もしこれを読んでいるのなら、どうぞ最後まで読んでくれ。」とあったからです。

「今、筒井家はバラバラな状況にある。お母さんは昨日も風呂場で泣いていたし、お祖母ちゃんもお父さんも元気がない。筒井家はじまって以来、最大の危機かもしれない。
 そこで、サトシ君! きみに、この危機を救ってほしいのだ。きみのことを、みんなが心配している。頼む! どうか筒井家を救ってくれ。」
 学校のことには一切触れず、そんなことが書かれてありました。

 担任が家庭訪問に来た日、私は兄の部屋の洋服ダンスの中に入り、内側から扉を閉め、隠れていたことがあります。先生、母、祖母に、その日家にいた兄が加わって、私を探し始め、兄が私を見つけました。私は、ハンガーに掛かったクリーニング済みのズボンやコートの隙間から、兄を睨みつけて、「言うなよ」と言うと、兄は私をじっと見つめながら、何も言わず、扉を閉めました。それからしばらく、母たちの呼ぶ声が続いた後、先生は帰って行きました。

 自分の、味方になってくれた、そんな兄だったので、日記に書かれた私への言葉も、何だか嬉しくて、ありがたく感じました。私は、「がんばります」とそのページに書き込んで、よし、みんなを元気にさせよう、と意気込んで、母に、笑って話しかけたりしました。「隣りの家の屋根にいた猫が、電線にとまった小鳥に、ピーピー、何か言われていたよ」「銀色に光る、丸い二つの玉のみたいなのが、さっき、空を飛んでいったよ」

 母は、裁縫のしごとをしながら、むっつり黙っていましたが、突然、キッと目を向けて、「なんでお前は学校に行かないの! 学校に行くのは、当たり前のことなんだよ。お前は…」
 私は、飛び上がって自室へ逃げ込んで、やはり学校に行かない限り、この家を「救う」ことはできない、と、涙ぐんで、心の中で兄に謝りました。
 家の中で、兄だけが、私にとって唯一の家族とのつながりでした。夜、アルバイトから帰ってきた後でも、「将棋しよう」と部屋に行くと、相手になってくれました。何より、学校のことを何も言わず、冗談が上手く、よく笑わされ、安心して一緒にいることができたのです。
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