第7話 祖母の死

文字数 1,264文字

 学校に行かなくなって、しばらく経つと、クラスメイトたちの書いた「筒井君へ」という文集を、同級生の誰かが持って来ました。クラスの様子や、校内で行われた行事のことなどが書かれ、「早く病気がなおるといいね。また一緒に遊ぼう!」で結ばれているのが大半でしたが、中に一枚だけ、「筒井君、きみはずるい。なんで学校に来ないんだ。逃げてちゃ、ダメだと思う」と書かれているのがありました。読んだ瞬間、怒りが込み上げて来て、また、悔しく、泣きそうになったのを覚えています。

 K君が花束を持って「お見舞い」に来ると、それ以来、K君は週に一回、定期的に私の病気を心配して、来てくれるようになりました。塾通いに忙しそうで、いつも座敷に上がらず、勝手口で立ち話をするだけでしたが、K君が来ると、母が応対している間に、私は急いでパジャマに着替え、元気のない病人のふりをして出ていきました。

 もう一人、S君は、やはり最初はお見舞いという形でしたが、やがてほとんど毎日、学校帰りに遊びに来るようになりました。トランプや将棋をして、S君と遊ぶのは楽しかったのですが、たまに「今日は具合が悪いから…」と玄関先で母に応対してもらい、帰ってもらう日をつくりました。
 それでも、ある日、将棋を指していて、「なんで学校に来ないの?」と、突然、S君はまっすぐ私の顔を見て、笑って訊かれてしまったことがあります。私は、あわてて、「あ、イタタタタ…」と、痛くもない腹を押さえ、しかめっ面をつくりました。S君はそれ以上何も言わず、黙って、再び盤面に向かって下を向きました。S君は、まもなく引っ越してしまうまで、一番仲の良い友達でした。

 日曜や祝日は、「みんなが休みの日だ」という意識が手伝って、気持ちがだいぶ楽になりました。夏休みほどの長い休みになれば、解放された気になって、K君と私と父で、近所の公園へキャッチボール、遊園地へ遊び行ったりもできました。
 そして九月の新学期が始まると、私は学校に行きました。みんなと同じように「長く休んだ後だから」という意識の下に、行けたのだと思います。ですが、三日四日経つと、また、行けなくなりました。冬休みの後も、数日行って、また行けなくなる、春も、その繰り返しでした。

 兄以外とは、家族と接触しようとせず、部屋に閉じこもって漫画を読み、書き続ける、そんな生活をしているうちに、祖母が、亡くなりました。老衰だったのですが、私は、自分が殺してしまった、学校に行かないせいで、心配をかけ過ぎて、お祖母ちゃんは死んでしまった、と思いました。
 亡くなった時、親戚や、祖母と仲の良かった、近所のお友達が、私の家に集まっていました。私は、二階の兄の部屋の一角に、大きな机と椅子だけの勉強部屋があって、そこに籠っていました。
 襖一枚で、区切られただけの部屋でしたが、誰にも開けられぬよう、襖に、内側から辞書や本を積み重ね、バリケードを張っていました。
 祖母を死なせた私を、親戚や近所の人たちが、鬼の形相で、私を叱責に来ることが想像でき、恐ろしかったのです。
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