第13話 遊歩道

文字数 1,931文字

 私は三年に進級し、学校に行かぬまま、相変わらず本を読み、日光浴をし、放課後を待つ生活を続けていた。だが、その年の暮れ近くに、事件が起きた。早朝、犬の散歩をしていた彼女が、見知らぬ男に追い掛けられたというのだった。逃げて、事なきをえたけれど、日に日に落ち込んでいく彼女を見て、私は、どうしようもなくなった。
 どんなに、励まそうとしても、無理だった。
 その時、私は、「学校に行こう」と決心した。
 落ち込み続け、元気のない彼女に、自分が、できること。
 彼女がこんなに苦しんでいるのなら、自分も苦しいことをしなければ、と思った。

「明日、学校に行こうと思ってる」友達に言うと、「えっ! やめた方がいいって。お前の席、ないし、座るところ無いぜ。それに、いまさら来て、どうすんだよ」と言われた。
 私が黙っていると、友達は「あ、用事を思い出した」と言って、さっさと帰ってしまった。
 翌朝、「学校に行くから、学生服出して」突然言われた母は、驚きながら、わけもわからぬ様子で、タンスの奥から制服を出してくれた。
 二年振りに、教室のある二階に向かって階段を上って行くと、「筒井が来たぞ!」と、廊下で、誰かの叫ぶ声がした。
 一番後ろの窓際に、無いはずの私の机があった。昨日、「用事を思い出した」友達が、先生に知らせてくれていたことなど、想像する余裕もなかった。
 担任の先生が、家に毎日遊びに来ていた友達一人一人に、「ありがとう、ありがとう」と言って回っているのを見た。アレ、先生が仕向けていたのかな、と思ったが、どうでもよかった。

 時間割も知らず、教科書も何も持たずに来たので、授業中はただ座って授業を見ていた。
 別のクラスだった彼女が、休み時間に教室に入って来て、私の席に来た。前の席の女の子が、「どうぞ」と譲ってくれた。久しぶりの学校で、心臓が飛び出そうなほど緊張していた私は、何の話もできなかった。彼女は、嬉しそうに笑い、ふたり、ただ机の上で、手を握り合っていた。
 黒板横のストーブに群がっていた、「バドミントンのある日だけ来るなよな」と言った、「昔の友達」が、むっつりして、どこかを睨めつけていた。廊下の方から、ちらと顔を出し、「何だよ、あれ」と言っている者がいた。

 二日目の朝、彼女の家の前で待ち合わせ、腕をくんで登校すると、校門前で「朝の挨拶運動」をしていた父兄から怪訝な顔で見られた。
 下校時間になって、彼女と手をつないで校庭に出ると、「お前、なんだよ。イチャついてんじゃねえよ」下級生の数人から声をかけられた。私の学年の、一つ下から、「校内暴力」が流行り出し、校内のトイレの便器などが壊されていることは、友達から聞いていた。

 私は、こいつらは不良だと思い、半端ではないつもりのニラミを返し、そのボスらしき一人に向かって殴りかかろうとした。相手は少したじろいで、「こいつ病気じゃねえか。おかしいぜ」と言って校舎の方へ戻って行った。
 だが、校門を出てふたりで歩いていると、後ろから、さっきの下級生達が石を投げてきた。当てようとして投げるのではなく、私たちをヒヤヒヤさせるように、当たらない仕方で、そして彼女の家のそばまで来ると、彼らはいなくなった。

 私たちのイチャつきぶりは、教師や父兄の間でも問題になっていたようだった。彼女のクラス担任から、彼女の家へ、何か連絡が行ったらしい。私は彼女の親に電話で呼び出され、交際を絶つように言われた。彼女は泣き、私は、分かりましたと言って家を飛び出した。
 そのまま家に帰らず、私は彼女が痴漢に追われたという川沿いの遊歩道を歩いていた。広場に出て、ベンチに座ると、青空がクレパスで描かれたように、くっきりと、ハッキリ、とてもきれいに見えた。
「疲れた…疲れた」独りごちて、下を向くと、ジーパンが見えた。ひどく小さなジーパンに見えた。
 あわてて、自分の両手を見つめた。やはり、ひどく小さかった。
 これじゃ、まるでコドモだ、と思った。

 その時、誰もいない私の隣りに、誰かがいる気配がした。アメーバみたいにうねうねしている、透明で、ヒトガタのものだった。私と同じくらいの大きさだったが、不定形にぶよぶよ動いているから、正確な大きさは分からなかった。
 怖くなってベンチを立つと、それも立った。歩き始めると、それも、私の後ろをついて来た。一定の距離をおいて、ゼリーのように、ぷねぷね動きながらついてくる。
 歩き続けるうちに、私は楽しくなってきた。まだいるかな。振り返ると、いる。 まだいるかな。振り返れば、いる! 私は、その透明なゼリー状のものと、遊ぶようにして家に向かった。家のそばまで来ると、それは、それが当然であるように、いなくなっていた。
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