第27話 秋と春のこと

文字数 1,684文字

 ひと夏が過ぎて秋になると、体調がひどく、悪くなった。朝の満員電車に乗れば、どうしたわけか気持ちが悪く、教室に座っていても吐き気がしてどうしようもなかった。家にいても、親が気になって、落ち着いていられない。予備校近くにある図書館でスヌーピーを読んだり、電車に乗れそうにない時は近所の図書館でCDを聴いたり、レーザーディスクの映画を観たりしていた。勉強は気の向く時だけ、吐き気を気にしながら、おそるおそる、するようになっていた。

 十一月初旬、「大検科目合格通知表」が送られてきた。全科目に合格した人には、すでに一ヵ月前に送られている。げんなりしながら封を開けると、だが、なんと九科目も合格していた! 落としたのは「地理」、この一科目だけだった。
 来年の夏、また受検して合格すれば、再来年の春には大学受験の運びとなる。普通に高校を卒業していれば、一年浪人しての入試という形だ。

 気を取り直して、予備校へ通い始める。大学受験のための「国語」「英語」「日本史」、大検の「地理」を勉強すること、これを基本軸に、生活を回転させていく。
 もう勉強は腹一杯で、やりたくもなかったが、こうなった以上、やるしかない。吐き気を堪えながら予備校に向かい、机に向かう。

 翌年の夏、私はまた大検試験場に向かった。これに落ちたら、もう大学はあきらめようと思っていた。二浪もすることになるのはイヤだったし、あと一年も勉強する体力も気力も、自分には残っていなかった。大学に、行けるものなら行ってみたかった。しかし、行けない頭のくせに、行こうとするのはタダのダダッ子だ。大学なんか行かなくてもいいだろう…そんな、冷めた諦めも、持ち始めていた。

 親は、「やっぱり小・中・高校とマトモに学校に行かないと、大学は無理だったか」と納得し、「やっぱり学校に行っていればよかったのに」と思うだろうなと想像した。
 私は、親のようには自分は思えないだろうなと想像した。学校に行かなかった長い時間の中で、私は、自分というものを知ったつもりだったからだ。こんな自分はイヤだと思っていても、変えることはできなかった。こんな自分と一生つきあっていく、そんな気配は、それまで生きていた時間の中でうすうす、しかし確固と、避けられないものとして感じていたように思う。

 とにかく、試験。スポーツ新聞の見出しのように「前門の虎・後門の狼」と、心に大きく赤文字を描き、前門の大検に挑むと、全科目合格の通知書が十月に届いた。
 翌年の後門、大学受験は、六校うけて、一校だけ合格した。横浜にある私立K大学、文学部の社会学科だった。純粋に文学をやりたかったが、そこは偏差値が許さなかった。法学や経済だと、就職のために大学に来る人達のイメージがあって、それはつまらなく感じられた。消去法で「社会学」になったまでのことだった。

 合格発表の日、どうせ落ちているだろうと思い、片道三時間の大学へ行くのも面倒で、家にいた。すると、郵便の速達物が届いた。庭にいた父が受け取り、「何か来たよ」と、私に渡した。合格通知と、何やら大学の説明、パンフレットみたいなものが入っていた。 
「受け取った時、お、重いな、と思ったよ」父はニコニコして言った。
 私は、ああ、うかったんだ、と思った。

 なまぬるい春の空気の中、目的を達成してしまった妙な脱力感と、浮わついた気分で、私は自分の部屋で音楽を聴き本を読み、入学式の日までをやり過ごしていると、大検コースで親しくなった一人から電話が来た。
「どうだった、筒井は」
「うかったよ、K大学」
「あ、おめでとう。いや、よかった、落ちてたら電話しづらいからさ」
「Mはどうだった?」
「うん…うかったんだけどね」
「おお、よかったじゃん。どこ?」
「Jの法学」
「J?」
 有名な私立大学だった。
「すごいなあ。おめでとう」
「いや…オレ、親父がさ、東大じゃないとダメだっていうんだ。だから来年、また受けるかもしれない」
「えっ!?」
 話が終わり、複雑な感じで電話を切った。私は、その感じの余韻が、あの定時制高校にいた頃と、何か決定的に被るような気がした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み