第22話 不信

文字数 2,254文字

 授業が始まると、教科書や筆記用具が私に投げられ始めた。科目によって変わる先生を見て、N君たちも態度を変えているようだった。「化学」の時間は投げられる量が少なく、「世界史」の時間には、彼らはいなくなった。最も多くの物が、激しく投げられたのは、最後の時間の「地理」、クラス担任が受け持つ科目だった。授業が始まって終わるまで、ずっと投げられ続けた。
 後ろから物を投げ続ける、かつての「友達」の荒々しい息づかいが聞こえた。私には、その息づかいが、
「おいセンコー、お前に、止められやしねえだろ」
「お前に、こいつを守ることなんか、できっこねえだろ」
 そう叫んでいるように聞こえた。
 私は、じっと座って目の前の教壇にいる先生を睨み続けていた。先生も、怖かったろうと思う。だが、私は自分のことで精一杯で、そんな先生の心情を思いやるどころではなかった。

 チャイムが鳴って、授業が終わると、先生は私と彼らに教室に残るように言った。
 私は教壇の椅子に座るよう促され、彼らはいつもの最後列に座り(N君の姿はなかった)、その間に先生は立った。
 そして「なぜ筒井君を殴るのか」「筒井君の何が気に入らないのか」と、彼らに質問をはじめた。それは何か、気の抜けるような質問だった。いまさら、何を訊いているんだろうと思った。彼らは解放されたように笑い出し、私も笑いたくなった。
「てめえ、チクリやがったな!」
「チクリ魔ー、チクリ魔ー!」
「なんで偉そうにそっちに座ってんだよ!」
 彼らが心から笑って、そう叫ぶことに、私も心から同意し、うなずいていた。
 私は、彼らと一緒に笑い合いたかった。彼らの方に行って、「ごめん、オレが悪かった」と笑って謝まれば、握手もできて、以前のように仲良くなれるのではないか。そんな妄想を抱きながら、教卓の椅子に座っていた。

 その翌日から、私は学校に行かなくなった。
 店には、「行き続けています、クラスも落ち着きました」と嘘をつき、四時にタイムカードを押して店を出ると、直帰せず、毎日池袋の繁華街にある大きなゲームセンターに入り浸った。たまに、クラスの友達と食事をしたり、一緒に遊んだ。

 世界史の先生から、「元気? 明日、ヒマ? よかったら、メシでも食わない?」と電話をもらったのは、そんな生活を続けている時だった。
 日曜日、待ち合わせた駅前で、先生は、まだ小さな赤ちゃんをおんぶして立っていた。白い、細いおんぶひもが、バッテンの形で胸に結ばれていたのが、どうしてか強く印象に残った。横には、奥さんが立っていた。
 挨拶が済むと、奥さんが後ろからおんぶひもを解き、先生は赤ちゃんを抱っこし、しばらくあやすと、「はい」と奥さんに渡した。それからバイバイをして、「じゃ、行こうか。」

「筒井君、サウナ好き?」
「はい、大好きです」
 一緒に、サウナに行った。先生は、私の担任の先生への不満や、クラスを良くしていきたいといった話を、うんうん、うんうんと、汗をたらしながら聞いていた。それから、焼き肉屋へ入った。私は同じようなことを言い続けていたと思う。先生は、やはりうん、うん、と、聞いていた。私は、こんなことばかり言っている自分がイヤだった。先生にも、申し訳ないと思った。が、他に、先生と話すべきこともなかった。
 先生は、ニコニコしながら聞き続け(授業もいつも笑顔で進め、声がとても大きく、情熱的な先生だった)、たまに「そんなこと言ったって、筒井君…」というような眼で私を見た。
 お礼を言い、駅で別れる。私は帰る道すがら、「ああ、先生、あとで教頭に、『筒井には、よくしてきましたから』とか、ニコニコ笑って報告するのかな」と想像した。

 F君が、「筒井ィ、学校来いよ。だいぶ落ち着いてきたから」と、よく家に来た。生徒会長を連れて来たこともあった。
「荒れたクラス」の話題になって、授業中にタバコを吸ったり、机を二階の窓から外に放り投げたS君のことを話すと、「ああ、S…、あいつは中学の頃から札付きで…家庭に問題があって、親が…かわいそうなやつなんだ」と心底から同情するように言った。
 まじめな生徒会長が、まじめに何か話すたびに、横からF君が冗談を言ってチャチャを入れてきて、その度に私たちは笑い合った。
 最後に、「筒井君、正義は必ず勝つから、がんばって」生徒会長が私を真っ直ぐ見てそう言うのを、私は、はい、ありがとうございます、と笑って聞いていた。

 ある日、池袋からの帰り道、駅のホームで担任の先生とバッタリ会った。私は、以前先生に渡した、手紙のことを聞いた。今までのことやこれからのこと、「クラスを、よくしていきたい、先生と一緒に、いいクラスをつくっていきたい」ということを書いた手紙を、私は先生に渡していたのだ。ずっと返事をもらえず、先生はあの手紙をどう思っているのか、聞きたかった。
「あれは、燃やしました」先生が、私を真っ直ぐ見て言った。
「燃やした?」信じられなかった。
「わたしの心に残っています」先生は笑ってそう言うと、私を残してしゃんしゃん歩いて行った。

 学校に行かぬまま、働いて、帰りにゲームセンターに行く生活を繰り返していると、ある日父が、「こんなのがあるぞ」と新聞を見せてきた。
 その記事は、代々木の予備校が「大検コース」を設立し、その生徒募集を開始するという内容だった。
 大検とは、高校を卒業しなくても、その試験に合格すれば、大学受験の資格が与えられる制度だった。
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、このことか、と思った。
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