第23話 足

文字数 1,153文字

「定時制辞めて、大検を受けようと思って、予備校に行こうと思っているんです」
 タイムカードを押した後、店長に言った。
 店長は驚いて、「じゃあ、店も辞めるのか?」
「はい、そうなると思います。申し訳ないんですけど…」
「ちょっと待て。メシでも食おう」
 近くの寿司屋に、入った。
「大学に行こうとしてるのか?」
「はい」
「小学校も中学も、ろくに行ってないんだろ。あのね、大学っていう所はね、高校に行って三年勉強しても、簡単に入れないんだよ。大検だって難しいだろう。夜間の大学だったら、いいかもしれない」

 店長の言いたいのは、「店を辞めるな」ということだけのように思えた。しかし、店長の言うことは、至極まっとうなことだと思った。私は、返す言葉がなかった。目の前の寿司を食べてしまうと、店長の言うことを聞いてしまうような気がして、食べたかったが、手がつけられなかった。
「ありがとうございました。考えさせて下さい」そう言って、一緒に寿司屋を出た。

 だが、それから一週間後、私は店を無断欠勤して、予備校に入学金を払いに行っていたのだ。店からは、店長でなく、副店長になった先輩から、電話が来た。予備校に行った、と母が言うと、そっちへ行ったんですか、と驚かれた、とのことだった。

 通学を始めて何日すると、今日、家に店長が来たんだけどね、と母が困惑顔で言った。「急に店を辞められても困る、非常識だ」と言われ、「まあ、本人が勉強したいと言っているんだから、やりたいようにさせようと思っている、って言ったんだけどねえ。そしたら、これ以上話してもムダですね、とか言って、戸をピシャン!ってすごい勢いで閉めて、出て行っちゃったのよ」
 泣きそうな顔をして母が言った。父は新聞を広げて、無言でいた。

 私は、悪いことをしたと思った。しかし、今しかない。勉強するのは今しかない。そんな思いが、罪悪感に、フタをした。
「やるしかない」。これは、中学を卒業して、働き始めた時と同じ思い込みだった。
 学校から逃げ続けた私は、「働くしかない」、この一点張りから、一生懸命、働いた。今は、「勉強をするしかない」。
 働いて、良かったも悪かったもなかったも、なかった。今は、勉強。今、この時、やるしかないと思ったことを、やるしかなかった。
 自分自身、「おい、なんでそっちへ行くんだよ」と、私の頭が戸惑いながら、勝手に進んで行く私の足を、急いで追いかけて行くようだった。

 どうしてこんな自分なのか、自分でも分からなかった。でも、この自分の足が進んだのだから、私が選んだのだ、と頭は納得するしかなかった。
 あの時、店を辞めなければよかった、とか、やっぱり働き続けるべきだった、とか、もっと遡れば、学校に行っていればよかった、とか、後悔したくても、後悔のしようがなかった。
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