第16話 店の中で
文字数 2,095文字
日にちが経つにつれ、仕事にもだいぶ慣れていった。学校に行かなかった弊害は、引き算と掃除だけだった。
働くことが楽しくて、面白くて仕方なく、一日一日がとにかく充実を極めていった。この充実の根底にあるのは、
── 自分も、イッチョマエに働けるんだな。
という「自信」の芽生えだ。
店内に挽きたてのコーヒーがあり、「筒井君がミルクを入れると美味しくなる」と常連客から言われて、天にも昇るほど嬉しくなった。別の常連客からは、お年玉をもらったりもした。
私はただ無心に、店長に言われたことを守り、一生懸命働いているだけだった。すると、商品の発注・売り上げ計算・本部に提出する日報の作成も任されるようになった。正社員並みの仕事内容に疲れもしたが、それは心地良い、気持ちのいい疲れだった。
店の目の前が工場で、十二時と三時の休憩には、そこで働く人達がドッと店に入って来る。中には私と同い年の人もいて、何かウマが合い、親しくなった。
客が引けた後、雑誌コーナーで立ち読みしていた彼に話し掛け、その話の最中に、
「ほんとは働きたくないのだけど、働かねばいかんのだ」
不意に彼が、難しい顔をして言った。
何気ない一言なのだけど、忘れられない言葉だった。
私は経済的な理由で、働いていたわけではなかった。「学校が嫌い」から始まって、「ならば働くしかない」という、それだけの短絡的なものだった。働かざるを得ず、働いている人を目の当たりにすると、自分が何か場違いの所にいるような気がした。
それから半年近く経った頃、一人の正社員が突然辞めていった。一人の労働力が無くなることが、これほど大きなものとは思わなかった。九時から四時半までだった私の勤務時間が、朝の六時半から夕方の五時までに延びた。大学生のバイトが試験期間に入ると、夜七時まで働く日々
が続いた。働いて、帰って、寝て、朝になり、また働いて、寝て、また朝になり、また働く。だんだん、働くのがつらくなってきた。
新しいパートさんが入ってくれば、私が仕事を教えた。だが、一人の婦人が、全く言うことを聞いてくれなかった。親子ほどのトシの差のある私から、仕事を教わるのがシャクであるようだった。
「バックヤードは、いつも綺麗な状態にしていて下さい」と言えば、「お客さんから見えない所だから、いいんじゃないの」、「これは、こうして下さい」と言えば、何もせず、ただジッと私を見つめるばかりで、しかし店長が同じことを言えば、「はいはい」と愛想よく動いていた。
結局その人は、すぐ辞めて行ったが、私は自分の教え方が悪いんだと思った。そして、もっと自分が歳を取っていれば、言うことを聞いてくれたようにも感じられて、自分の若さを恨めしく思った。
店長は、初めてお世話になる「社会人」で、私には「社会の代表者」のような存在だった。だから、店長の言うことにクチゴタエなどしたことがなかったが、一度だけ、反抗したような結果になってしまったことがある。
給料日に、給料が渡されない(当時は手渡しだった)ことが、何回か、あったのだ。
私は、店長は忙しいんだと思い、特に気に留めなかった。だが、パートの婦人ふたりが、「まったく、給料日なのにねえ」とこぼしているのを聞いた。また、家に帰って夕食時、「今日は給料日だったろう」と、父にニコニコして聞かれ、「いやあ、もらえなかった」と応えると、「給料日なのにかい? そりゃ店長、いかんね」と厳しい顔で言われたこともあった。
翌日、事務室でタイムカードを押した後、私はテレビを見ている店長に言った。「お給料日には、お給料、渡した方がいいと思います」
すると店長は、少しの沈黙の後、キッとこちらを向き、「筒井君、そういうことは、言っちゃいけないことだよ」と言った。
「でも、○さんも×さんも、楽しみにしていたようですし…」
「あのな。自分が正しいと思ったら、明日、来るな。休め。自分が間違ったことを言ったと思ったら、明日、来い」
まさか、こんなことになるとは思わなかった。私は、店長が「ああ、そうだな、ごめんごめん」とでも笑って言って、私も「ナマイキなこと言ってすみません」とでも言って笑って、それで済むことだと思っていた。
私はわけがわからず、お辞儀をして事務室を出て、帰りのバスに乗った。
ひどく心細かった。どうしてこんなことになったのか、家に帰っていくら考えても分からなかった。ただ、自分は間違ったことは言っていないと思えたので、翌日店に行かなかった。
親に不審がられるといけないので、いつも通り家を出て、埼玉の森林公園へ行った。それからいつもの時間に帰ってくると、母が、「店長から電話あったわよ。明日は来るように、って。何か、あったのかい?」心配そうに言う。
翌日行くと、店長は優しかった。「昨日、どこ行ってたんだ?」少し微笑みながら訊かれ、「森林公園に行ってました」と答えると、「一日、歩いてたのか。そうか、…疲れたろ。」それから、少し黙って、「オレもまだまだ、修行が足りないな」と独り言のように言った。
私には、やはり、何が何だか分からなかった。
働くことが楽しくて、面白くて仕方なく、一日一日がとにかく充実を極めていった。この充実の根底にあるのは、
── 自分も、イッチョマエに働けるんだな。
という「自信」の芽生えだ。
店内に挽きたてのコーヒーがあり、「筒井君がミルクを入れると美味しくなる」と常連客から言われて、天にも昇るほど嬉しくなった。別の常連客からは、お年玉をもらったりもした。
私はただ無心に、店長に言われたことを守り、一生懸命働いているだけだった。すると、商品の発注・売り上げ計算・本部に提出する日報の作成も任されるようになった。正社員並みの仕事内容に疲れもしたが、それは心地良い、気持ちのいい疲れだった。
店の目の前が工場で、十二時と三時の休憩には、そこで働く人達がドッと店に入って来る。中には私と同い年の人もいて、何かウマが合い、親しくなった。
客が引けた後、雑誌コーナーで立ち読みしていた彼に話し掛け、その話の最中に、
「ほんとは働きたくないのだけど、働かねばいかんのだ」
不意に彼が、難しい顔をして言った。
何気ない一言なのだけど、忘れられない言葉だった。
私は経済的な理由で、働いていたわけではなかった。「学校が嫌い」から始まって、「ならば働くしかない」という、それだけの短絡的なものだった。働かざるを得ず、働いている人を目の当たりにすると、自分が何か場違いの所にいるような気がした。
それから半年近く経った頃、一人の正社員が突然辞めていった。一人の労働力が無くなることが、これほど大きなものとは思わなかった。九時から四時半までだった私の勤務時間が、朝の六時半から夕方の五時までに延びた。大学生のバイトが試験期間に入ると、夜七時まで働く日々
が続いた。働いて、帰って、寝て、朝になり、また働いて、寝て、また朝になり、また働く。だんだん、働くのがつらくなってきた。
新しいパートさんが入ってくれば、私が仕事を教えた。だが、一人の婦人が、全く言うことを聞いてくれなかった。親子ほどのトシの差のある私から、仕事を教わるのがシャクであるようだった。
「バックヤードは、いつも綺麗な状態にしていて下さい」と言えば、「お客さんから見えない所だから、いいんじゃないの」、「これは、こうして下さい」と言えば、何もせず、ただジッと私を見つめるばかりで、しかし店長が同じことを言えば、「はいはい」と愛想よく動いていた。
結局その人は、すぐ辞めて行ったが、私は自分の教え方が悪いんだと思った。そして、もっと自分が歳を取っていれば、言うことを聞いてくれたようにも感じられて、自分の若さを恨めしく思った。
店長は、初めてお世話になる「社会人」で、私には「社会の代表者」のような存在だった。だから、店長の言うことにクチゴタエなどしたことがなかったが、一度だけ、反抗したような結果になってしまったことがある。
給料日に、給料が渡されない(当時は手渡しだった)ことが、何回か、あったのだ。
私は、店長は忙しいんだと思い、特に気に留めなかった。だが、パートの婦人ふたりが、「まったく、給料日なのにねえ」とこぼしているのを聞いた。また、家に帰って夕食時、「今日は給料日だったろう」と、父にニコニコして聞かれ、「いやあ、もらえなかった」と応えると、「給料日なのにかい? そりゃ店長、いかんね」と厳しい顔で言われたこともあった。
翌日、事務室でタイムカードを押した後、私はテレビを見ている店長に言った。「お給料日には、お給料、渡した方がいいと思います」
すると店長は、少しの沈黙の後、キッとこちらを向き、「筒井君、そういうことは、言っちゃいけないことだよ」と言った。
「でも、○さんも×さんも、楽しみにしていたようですし…」
「あのな。自分が正しいと思ったら、明日、来るな。休め。自分が間違ったことを言ったと思ったら、明日、来い」
まさか、こんなことになるとは思わなかった。私は、店長が「ああ、そうだな、ごめんごめん」とでも笑って言って、私も「ナマイキなこと言ってすみません」とでも言って笑って、それで済むことだと思っていた。
私はわけがわからず、お辞儀をして事務室を出て、帰りのバスに乗った。
ひどく心細かった。どうしてこんなことになったのか、家に帰っていくら考えても分からなかった。ただ、自分は間違ったことは言っていないと思えたので、翌日店に行かなかった。
親に不審がられるといけないので、いつも通り家を出て、埼玉の森林公園へ行った。それからいつもの時間に帰ってくると、母が、「店長から電話あったわよ。明日は来るように、って。何か、あったのかい?」心配そうに言う。
翌日行くと、店長は優しかった。「昨日、どこ行ってたんだ?」少し微笑みながら訊かれ、「森林公園に行ってました」と答えると、「一日、歩いてたのか。そうか、…疲れたろ。」それから、少し黙って、「オレもまだまだ、修行が足りないな」と独り言のように言った。
私には、やはり、何が何だか分からなかった。