第25話 過去の自分と

文字数 1,351文字

 とにかく私は勉強をし続けた。
「今日はこのページまでやろう」と、その日自分に課したノルマを達成しても、まだ余力のあるうちは机に向かった。夜になって頭がボーッとし、教科書の内容がうまく頭に入ってこなくなると、日本史や世界史の年代暗記を、ノートに繰り返し繰り返し書き込み、身体で覚えようとした。
「筒井はうかるよ。こんなに勉強してて、うからなかったら同情しちゃうよ」仲間から、そんなことを言われつつ、受検の日がやって来る。
 この三ヵ月半、肉体的にも精神的にも、もうムリ、限界!というところまで勉強してきたつもりなので、さっぱりした気持ちで試験に向かえた。
「試験っていうのはね、合格することだけが目的じゃないんだよ。自分がしてきた勉強の成果を試す、力を試すものなんだから」
 K先生の言葉の影響もあり、心地良い緊張感で受検できた。

 後日、予備校から「六十点以上とっていれば合格」と知らされ、自己採点してみると、合格圏内にあるのは「保健」の一科目だけだった。
 やはり小・中学をフライングした時間は、当然、三ヵ月半では埋められないんだと思った。
 その精神的なダメージからか、予備校に行って机に向かうと、吐き気に襲われ始めた。来年の受検のために勉強をしなければいけないのに、机に向かうと気持ちが悪くなって、吐き気を堪えるのに精一杯で、勉強どころではなくなった。そのくせ、仲間とファミリーレストランで「遊ぶ」時だけ元気になった。

 それでも数Iの講義にだけは出席を続け、気になっていた「脱学校の会」に行ってみる。「学校以外にも、友達がつくれたり、好きな勉強をする場所があればいいと思って」K先生はこの会をつくったそうだ。
 私は、もう義務教育も終わったし、学校について考える時期は終わったとしていた。
 今まで回り道したけれど、これからマットウに生きて行くんだ、と思っていた。大検を受け、大学へ行こうとしている自分が、やっと、マトモに見えてもいた。

 もし「普通に」学校に行っていたとしても、それはそれで何らかの形で親に迷惑は掛けていたと思う。だが、私は「学校に行く」という最低限のラインさえ超えることができなかったのだ。
 こんな私を育ててくれた、親への感謝の気持ちは、たえずあった。だが、登校拒否をした自分は、時間をかけて、ゆっくり抹殺、抹消していこうと考えていた。学校に行っていれば、親をあんなに泣かせることもなかったはずなのだ。あんな過去の自分は、蛇が脱皮するように抜け落としていかなければいけない。

「世の中、甘いもんじゃない」とは、言われたことのない言葉だったが、日々吸っている空気の中で、自然に浸透してくるものだった。テレビドラマの子ども達も、みんな学校に行っていた。自分は、普通じゃない。そんな自分を許されてきた私は、「甘い」環境にいたに違いない。そう信じていた。
 しかし、K先生という人を見ていると、
「お前、社会に合わせた自分をつくって、生きて行こうとしているのかい?」
「それとも、お前はお前のままで、この社会の中でどうやって生きて行くか、工夫するのかい?」
 そう問われているような気がした。実際に、K先生からそんなことを言われたことはない。ただ、授業をする姿や、講師室でK先生と接して、私は勝手にそう感じていた。
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