第33話 退学届

文字数 1,358文字

 翌年、私は自動的に二年生なったが、相変わらずSさんの家にイソウロウしていた。
 畑に向かう車の中で、「何事も長続きしなくて…。継続は力なのに、その力がなくて」私が弱音を吐いた時、「継続は力なり、か。…辞めるのは、勇気だよ。」運転しながら、この時だけSさんは真っ直ぐ、助手席にいる私を見て言った。

 前期試験が始まり、この試験を受けなければ、出席日数も全く足りない私は、留年が確定する状況だった。その試験期間も、私は大学に行かず、悶々鬱々として、畑にも行けず、朝から寝込んでいた。何か、もう生きて行けない気がした。
 そんな私を見かねてか、
「大学を辞めようと何しようと、子どもが元気でいてくれることが、親は一番ありがたいものなのよ」
 Sさんの奥さんが小さな声で、独り言のように言った。
 
 私が大学を辞める決意をしたのは、Sさんの生きざまと、奥さんのこの一言の影響が、かなり大きい。もちろん決めるのは自分であって、絶対的にそのせいではない。
 大学に行くことも辞めることもできない、この中途半端すぎる自分を、どうにかしなければ、何も始まらないことは分かっていた。そしてもう、私は大学に行かないだろうことは、確実に分かっていた。
 だが、やはり心細かった。見えない未来、わざわざ見えなくする自分…。だが、とにかくまず、決めなければ。自分の中で、もう決まっていること、もう大学には行かないという、唯一確実に分かっていることを、現実に現わさなければ。

 実家に戻り、「大学辞めるから、学費、払わなくてもいいです」私は親に言った。
 母は驚き、「せっかく入ったのに、辞めちゃうのかい」と少し涙ぐんで言った。「…しょうがないねぇ」
 父は、「まあ、ぼくらももう若くないんだから、しっかり頼むぜ」いつになく厳しい顔で、眉間にシワを寄せて言った。
「うん」私は全く自信のないまま、下を向いてうなずいていた。

 学費を納めなければ、自動的に除籍になる。除籍者は、その学校に在籍していたことを履歴書に書いてはならない。大検も、大学受験の資格が与えられただけで、履歴書に書けない。私の最終学歴は「定時制高校中退」になる。

 私は、除籍を狙っていた。求人広告の応募資格欄は、「高卒以上」とあるのがほとんどだった。そんな企業には、最初から自分を入れなくすることで、選択肢が狭まり、あれこれ目移りしないで済むと思った。また、働くなら、学歴を問わない会社の方が、自分に合うだろう。そういう企業で働きたいと思った。

 数日すると、大学から、学費がまだ払われていない由の電話が来た。「ええ、もう辞めますので」と答えると、「経済的な事情ですか」と訊かれた。
「いえ、大学に行く必要が、あまり感じられなくなって…」というようなことを私が言うのを、相手は熱心そうに聞いていた。
「まあ、つまんなかったんです」と正直に言うと、「そうですか…、そうですよね、分かります、私も…」と同意され、なんだか可笑しくて笑い合った。とても丁寧で、感じのいい男の事務員だった。
「あの、でも、このままでは除籍になってしまいますから、退学届をどうぞ書いて下さい。お願いします、用紙はこちらにありますので…」
 そう言われると、私は「はい、分かりました」と、退学届を書きに、あっさり最後の「学校」に行っていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み