第5話 理由

文字数 1,317文字

 なぜ、学校に行けないのか?
 イジメを受けていないし、友達もいたし、担任も、優しい感じの女教師でした。学校の何がイヤで、行かないのか、訊かれても、説明することができませんでした。いえ、親や教師が、私に求める答を、答えられなかった、というのが、正確のようなところです。
 些細なことですが、授業中、生徒の誰かが面白いことを言って、皆が笑ったら、自分も、笑わなければいけないと思いました。それがどんなに可笑しくないことでも、笑わないといけない、そんな緊張感が、強く、ありました。
 尾籠な話ですが、朝礼の時、お漏らしをしたことがあります。校長が何か話をして、みんな、全校生徒が立っている中で、自分ひとりだけ、トイレに行くことは、気が引けました。みんなと、違うことをするには、ひどく、勇気が要りました。

 授業中、みんな、どのようにして、呼吸しているんだろうと思いました。みんなが息を吸う時、私も吸って、みんなが息を吐く時、私も、息を吐きたいと思いました。同じでなければ、いけない。みんなと、同じでなければいけない。私は、教室の中で絶えず、そんな意識を持って、緊張していたように思います。
 それが、私の学校ぎらいの、いちばんの理由だったと思うのですが、あくまでそれは、私が「学校から感じていたこと」でした。そんなことは、親と教師にとって、どうでもいいことなのは、子ども心にも分かりました。「対処できる理由」、「どうしたら学校に行くようになるか」それだけを、親と教師は、知りたがっているように、私には感じられました。

 強いて言えば、給食と体育が嫌いでした。給食は、お残しが許されず(一、二年は残してもよかったのですが、三年になって担任が代わってから、そうなりました)、もともと小食で、人並みに物を食べれなかった私は、いつも食べ切れず、残しました。昼休みの時間が終わるまで、ひとり、机から動くことができず、牛乳やスープなどと、ずっと睨み合っていました。
 みんなと一緒に、食べることが、吐き気を催すような、品のない行為のようにも見えました。40人が、揃って、みんな同じ物を食べ、咀嚼する。その口の中を想像したり、給食の匂いが教室に充満すると、もう、ダメでした。

 体育が嫌いなのは、理由がよく分かりません。足は速い方でしたし、運動神経も人並みだったと思います。ただ、今から考えれば、給食と体育は「皆と同じ行動をする」という、暗黙の厳しい規則のようなものが、あまりにも露骨に見える時間でした。
 また、食べること・体を動かすということは、何かなまなましい、目を背けたくなるような、醜怪さ、醜悪さのようなものも感じられました。
 短パン、半袖で、手足をむき出して、体操やら駆けっこやらをして、みんなで集まって座れば、鳥肌や、浮く血管さえ見える。つらいものでした。

 このような、細かなことは言わず、言えず、「給食と体育が嫌い」と私が告げると、母は喜びました。早速、学校に電話して、「給食は残してもいい、体育は見学でいい」となりましたが、もちろんそれでは、自分だけが特別扱いされてしまうので、「みんなと同じになりたい」私は、それで学校に行くことはありませんでした。
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