第110話 真相
文字数 3,538文字
「な、なんだお前。澤口の知り合いか」
予期せぬ展開に塚本が動揺する。そんな塚本に、知美がうんざりした表情を向ける。
「あのなあ……さっきからお前お前って、誰に言ってるんだ?」
「はああっ? このチビ、俺が誰だか分かって言ってるのか? 俺はな、市会議員塚本……」
得意げに話す塚本の言葉を最後まで聞かず、知美が塚本の顔面を殴り飛ばした。
「何だって? 猿の言葉は分からないぞ」
「お……お、お、お前っ! 殴ったのか? 今俺を殴ったのか? お前、ただで済むと思ってるのか!」
「知らんがな」
そう言うと胸倉をつかんで起き上がらせ、顔面に頭突きを食らわした。
「がはっ……」
ポタポタと、折れた鼻から血がしたたり落ちる。
「三下。お前今、誰に物を言ってるって言ったか? その言葉、そのまま返してやるよ」
「な……何を」
「この人、信也のお姉さん」
「なっ……」
「あいつが色々されてるのは知ってた。でもまあ何だ、ガキの喧嘩に口出すのもあれだと思ってな、黙って見てた。あいつも男だしな。
でもな、女に手を出すってんなら話は別だ。おいガキ、覚悟は出来てるだろうな。鼻ぐらいで済むと思うなよ」
「ひ、ひいいいいっ!」
「最近秋葉の様子がおかしかったからな、気になってたんだ。それで今日、たまたまお前らを見つけて……後をつけてたらおかしな場所に向かって行くじゃないか。可愛い妹の貞操の危機、姉として助けない訳にはいかないだろう」
「お、お前! まだ殴るってのか!」
「殴った内に入ってないぞ爬虫類。これからが本番なんだよっ!」
そう言って蹴り飛ばすと、塚本が腹を押さえて嘔吐した。
「きったねぇガキだな」
「お前……お前っ! 俺にこんなことして、どうなるか分かってるのか! 議員の息子にこんなことして、ただで済むと思ってるのか!」
「……ぐちゃぐちゃうるさいんだよ!」
そう言って馬乗りになり、何度も何度も殴る。
「今時そんなセリフ、昭和のおっさんでも言わねえよっ!」
「と、知美ちゃん、この人のお父さんは本当に」
「だから何だよ。そんなこと、私に関係あるか? おいチンピラ。親に言いたきゃ言え、勝手に泣きつけ。でもな、それは後の話だ。今、お前が殴られることに変わりはないんだよ!」
「がはっ……」
「知美ちゃん、もうそれぐらいで……でないと知美ちゃん、逮捕されちゃう」
「些細なことだよ。お前らを助けるからこそのお姉ちゃん、なんだからな!」
「でも、それじゃあ知美ちゃん、裕司さんとの結婚が」
「あいつも分かってくれるさ。こんなクズ、のさばらしといたら後々面倒だからな!」
「ひ、ひいいいいいっ!」
「それは困るかな」
背後から男の声が聞こえた。
その声に、知美の手が止まる。
慌てて振り返ると、男が笑顔で手を振っていた。
「こんばんは、知美さん」
「裕司……」
穏やかに微笑む男。知美の婚約者、早川裕司だった。
「こんなことで結婚が遅れちゃうのは、いただけないね」
「裕司さん……」
「こんばんは、秋葉ちゃん。大丈夫だったかい?」
「あ、はい……私は大丈夫です」
「にしても……知美さん、いつも言ってるだろ? 怒る時も冷静にって。僕の車が来てたのにも気付かないなんて、頭飛ばしすぎ」
そう言って手を取ると、知美は素直に立ち上がった。
「信也くんの入学費用。そのせいで結婚が延びたのはどうでもよかった。信也くんは大事な弟なんだし、力になるのは当然だからね。
でもね、こんなことでまた延びるのは、受け入れられないよ」
「……」
「知美さん、ごめんなさいは?」
「なんでだよ。私、間違ったことは」
「そんなこと聞いてないよ。ごめんなさいは?」
「……ごめんな……さい……」
「うん、よく出来ました」
そう言って頭を撫でると、知美は赤面してその手を払いのけた。
「だ……だから裕司、子供扱いするなって」
「子供だよ。考えなしに行動するのは」
「でもこいつは」
「このままだと暴行じゃ済まないね。傷害罪だ。頭に血がのぼってたから、殺しちゃってたかもしれない。なら傷害致死、もしくは殺人。何年入ることになるんだろうね」
「……」
「勿論、知美さんが出て来るまで僕は待つよ。でも、そうならない方がもっといい。だからね、後は僕に任せて」
「……」
「ね?」
「……分かったよ」
「ありがとう」
そう言ってにっこり笑うと、塚本の方を向いた。
「初めまして。僕は早川裕司。今、君を殴ってた人の婚約者です」
「ゴホッゴホッ……お、お前ら、こんなことをしてただで」
「済みませんか?」
「当たり前だ! お前ら全員、人生終わりだからなっ!」
「それは困りましたね。僕はもうすぐ、彼女と結婚することになってるんです」
「知ったことかっ! お前らみんな、地獄に落としてやるからな、覚悟しろっ!」
「覚悟、ですか」
「な、なんだよお前……そうだよ、覚悟しろって言ったんだよ!」
「と言うことは君にも覚悟、出来てるんですね」
「なっ……」
「人にそこまで言うのなら、自分にも覚悟がないと。僕はね、穏便にことを済ませたいだけなんです。
君が今日、ここであったことを全部忘れてくれたらそれが叶う。僕たちも二度と、君の前には現れない。どうです? 一番スマートな方法だと思いませんか?」
「どこがだよっ! 許す訳ないだろ! 俺の顔、こんなにしやがって!」
「それは多分、階段から落ちたんですよ」
「な、何を……」
「君は階段から落ちた。だからそんな怪我をした。僕たちには何の関係もない」
「お前……何を無茶苦茶な」
「もし君が、知美さんに殴られたって主張するなら……僕は穏便に済ます方法をなくしてしまう。残念だけど、知美さんとの結婚が延びてしまう」
「だからなんなんだよ! さっきから結婚結婚って!」
「僕は別にいいんです。結婚が延びても、知美さんを愛してることに変わりはないから。面会だって毎日行きます。でも……君はその時、どうなっているんでしょう」
「お前……俺を脅してるのか」
「とんでもない。僕は交渉してるだけですよ。どちらを選ぶのかは君次第、君が決めればいいんです」
裕司から感じられるその圧は、塚本の怒りを抑えて余りある物だった。
裕司はずっと、笑顔で穏やかに話している。しかしその中に塚本は、本能的に恐怖を感じていた。
この暴力女ですら子供扱いだ。この男とは関わりたくない……心からそう思った。
「……分かった、分かりました! 俺は階段から落ちました!」
「そうなのかい、それは大変だ。病院まで送ってあげよう」
そう言うと塚本の肩に手をやり、ゆっくりと立たせた。
「と言うことだから。知美さん、秋葉ちゃんをまかせていいかな」
「……分かったよ」
「そんなにふくれないで。折角可愛いのに」
「可愛いって言うな!」
「あははっ。秋葉ちゃんも、気をつけて帰るんだよ」
「……は、はい、ありがとうございました。あとその……ごめんなさい、その人の携帯に」
「携帯?」
知美が塚本のポケットから取り出し、中を調べる。
「ちっ……こんなくだらねぇ物の為に」
そう言うと、知美は携帯を地面に叩きつけ、何度も何度も踏み付けて破壊した。
「知美ちゃん。女の子はおしとやかに」
「分かったから……ほら、さっさと行けよ」
「うん。じゃあ後で」
そう言うと、塚本を乗せて車が走っていった。
車を見送ると、秋葉はへなへなと膝から崩れ落ちた。
「おいおい秋葉、大丈夫か」
「う、うん……急に力が……」
「家に来るか?」
「ううん、行かない。もう行けない」
「なんでだよ」
「私、信也を裏切ったの……信也のこと、見捨てたの……」
「見捨てたって、それは写真のせいだろ? それであいつに脅されて」
「違う、違うの知美ちゃん……私が信也を裏切ったの……私、もう信也の所に戻れない」
「なんでそうなるんだよ。今ので全部終わったんだ。あいつは二度と、秋葉にも信也にも手は出さない。いや、出せない。
裕司の圧を受けて向かってくるやつなんて、絶対いないんだ。きっと今も、車の中であいつは怯えてる。私が言うんだ、間違いない」
「私が決めたの、信也と離れるって……確かに脅されたんだけど、他にも方法はあったと思う……その中で私が、信也をいない者にすることを選んだの……だから私はもう、信也の所に戻れない……」
「なんでそうなるんだよ……分かった、私から信也に」
「お願い知美ちゃん、それはやめて」
「秋葉……」
「それをしたら私、知美ちゃんとも絶交するよ。だからお願い……信也には黙ってて」
「……お前……馬鹿すぎるだろ……」
「うん……私、馬鹿だ……信也の傍にずっといたかったのに、なんでこんなことに……こんなことになっちゃったのかな……」
「秋葉……」
知美の胸に顔をうずめ、秋葉が泣いた。
知美は秋葉を抱き締め、何度も何度も「馬鹿野郎」、そう言って一緒に泣いた。