第24話 雨がやんで

文字数 2,467文字

 

「信也くんがよく言ってます。人を信じれば裏切られる。だから俺は人を好きにならないって」

「似たようなことは、私も聞いたことがあるね」

「でもそれって、生きることの放棄じゃないですか。私は信也くんに、そんな生き方をしてほしくないんです」

「ありがと。いい子だね、早希ちゃんは」

「お父さんのこと、学校での無視、秋葉さん」

「カイもだね」

「そうですね、カイちゃんも……」

「あれにはかなり参ってたよ。死んだら二度と触れ合えないってことを、改めて理解した瞬間だったから。
 裏切られるのも確かに辛い。でもその人が生きていれば、恨むことが出来る。ひょっとしたら、仲直りする時が来るかもしれない。でも、死んでしまえば何も出来ない。完全な別れ。そのことをあいつ、どん底の時に味わってしまったんだ」

「死ぬことも裏切りだって、信也くん言ってました」

「あいつらしいね。それとね、それにはもう一つの理由があるんだ」

「まだあるんですか」

「うちの旦那。結婚してすぐに、癌で死んだんだ」

「え……」

「裕司って言うんだけど、信也も結構懐いてたんだ。でもあいつ、自分のせいで私たちの結婚が延期になったって、ずっと引け目に感じてた。そんな信也に裕司は、何も気にしなくていい、楽しみが延びるのは、楽しみをもっと大きくするチャンスだから、そう言ってね。その言葉に泣いてたよ。
 勇太が生まれて一年ぐらいで死んだんだけど、信也、私より泣いてた。それが多分、あいつにとっての決定打になったんだと思う」

「……」

「それから私は実家に戻って、母ちゃんと暮らしてる訳なんだけど……その頃からまた秋葉と会うようになった。私から声をかけた。
 最初は渋ってたけど、私の押しにあの子が勝てる訳もないからね、今じゃよく遊びに来てる。一緒に飲む酒はうまい」

「信也くんとは」

「あれから何年も経ってるからね、初めて会った時は動揺してたけど、私の家に呼んでる訳だし、あいつにとやかく言われる筋合いはない。それにあいつも、私と秋葉が仲良くしてるのは嬉しいみたいだし。
 ちょっとした会話ぐらいなら出来るようになってる。ぎこちないけど」

「あの時の話を、二人はしてないんですか」

「多分ね。見てたら分かる。二人共その話題にならないよう、かなり意識してるみたいだから。今の関係を壊さないよう、頑張ってるって感じかな」

 早希の中で、抜けていたピースがひとつずつ埋まっていく。まだ足りないものはある。でも、早希にとっては大きな収穫だった。
 そして何より、話を聞いた今、信也のことをもっと好きになっている自分が嬉しかった。

「早希ちゃん」

「はい」

「信也のこと、好き?」

「はいっ!」

 そう言って笑う瞳に迷いはなかった。それを見て知美も、嬉しそうに笑った。

「とまあ、早希ちゃんの手助けはここまでかな。何と言っても、私は秋葉の親友だから。これ以上は不公平になる」

「と言うことは秋葉さんも、まだ信也くんのことを」

「好きだね、間違いなく」

「そうなんだ……」

「信也もね」

「……それは腹が立ちますけど」

「つまりこういうこと。過去に蓋をして現状維持に努めていた幼馴染二人の元に、突如現れた巨大ハリケーン。それが早希ちゃんだ」

「私って災害なんですか」

「いやいや、雨降って地固まる、そういうのもいいんじゃない? それに恋は勝つか負けるか。相手のことばっかり考えてたら、絶対に勝てないよ。信也のことが好きなら行動あるのみ……って、またアドバイスをしてしまった」

「いただきました」

 早希が大袈裟に頭を下げた。

「一度うちにおいでよ。歓迎するよ」

「いいんですか?」

「モチのロン。早希ちゃんも今日から、私の妹にしてあげよう」

 そう言って早希の頭を景気よく撫でた。
 早希もまた、姉がいればこんな感じなんだろうか。温かいな。そう思い嬉しそうに笑った。

「ただいま」

 ようやく信也が帰ってきた。
 手には知美ご指名の、駅前喫茶店のオリジナルケーキを持っていた。

「待ちかねたぞ弟よ」

「雨、やんだよ」

「何? しまった、もう少し粘るべきだったか」

 早希はもう一度コーヒーを淹れようと、台所に立った。その耳元で、

「大丈夫だったか?」

 信也が囁いた。早希は信也に顔を近付け、

「やっぱり私、信也くんを好きになってよかった」

 そう言った。知美に聞こえるように。

「ちょ、早希、声がでかい」

「何言ってるのよ。男だったら、さっさと答え出してあげなよ」

「いや……姉ちゃん、何話したんだよ」

「別にー。ただの女子会だよ、ねー早希ちゃん」

「そうでーす」

 そう言って笑う二人に、信也は観念した顔で大きくため息をついた。




「んじゃまたね。明日も遅刻すんなよ」

「姉ちゃん、早希のこと頼んだよ」

「まかしとけ。ちゃんと送ってくから」

「やっぱり心配だから、俺も駅まで」

「駄目ですー、二人で色々、あるんですー」

「ったく……早希、忘れ物ないか」

「うん。帰りがこんなに身軽だと、楽でいいね。来た時はすごい荷物だったけど」

「無茶しすぎだよ、あれは」

「もし忘れ物があったら、明日会社に持ってきてね」

「分かったよ。気をつけてな」

「うーっ、帰る前にトイレトイレ」

 と、知美がトイレに駆け込んでいった。

「本当ありがとな。楽しかったよ」

「私も楽しかった。約束、忘れないでね」

「約束?」

「次のデートは、信也くんのおごりだから」

「ああそれか。いつにするか、また連絡くれるか」

「うん。今日も色んな信也くんを発見出来て、本当によかった。こんな幸せでいいのかなってぐらい、幸せかも」

「はいはい、いい雰囲気の所をお邪魔虫が通りますよ」

 と、トイレから出た知美が割って入り、流しで手を洗おうとした。

「……」

 知美の目に、流し台に置かれている、可愛いコップに仲良く並ぶ二本の歯ブラシが映った。

「……これは何かな」

「え? あ、いや、これは……」

「このエロ眼鏡! 結局あんたら、同棲してるんかいっ!」

「いやいやいやいや、これは昨日買ったばかりで」

「これ見て何を信じろってんだよ! このエロ猿っ!」

 知美の愛情たっぷりの、強烈なエルボーが信也の顎に炸裂した。


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