第1話 追憶

文字数 2,760文字

 

「ご新郎様、お待たせいたしました」

 ウェディングプランナーの声に振り返る。

「……」

 純白のウェディングドレスを身にまとった、愛する女性(ひと)早希(さき)が照れくさそうに微笑んでいた。
 ベール越しに見える早希の笑顔は、これまで見たどの笑顔よりも輝いて見える。

信也(しんや)くん、その……どうかな?」

「……え? あ、ああ、すまん。今一瞬死んでた」

「なによそれ、ふふっ」

「ふふっ……しばらくお二人でお過ごしください。では」

 二人のやり取りに微笑みながら、プランナーが式場の扉を閉めた。

「……びっくりした」

「あのぉ……信也くん? 何かこう、他にないのかな。このドレスに決めるのに、何着見たか分かる? 旦那様に喜んでもらおうと必死に選んでる花嫁、可愛くない?」

「可愛いと……思います、はい」

「なのに最初の言葉がびっくりしたって、ひどくない?」

「ごめんなさい」

「よろしい。ではもう一度初めからね、ゴホン。
 ……信也くん、どうかな。私のウェディングドレス姿」

「抱き締めていい?」

「……ぎりぎり合格」

「厳しいな」

「そこはもっとこう、驚いた表情の後に『すごく綺麗だよ。まるでいつもの早希じゃないみたい』ってぐらいのこと、言って欲しかったんだけど」

「いや、早希はいつも綺麗だし」

「なっ……」

 信也の言葉に、早希の顔が見る見る赤くなっていった。

「早希?」

「も……もぉーやだなぁ信也くん! そんなこっ恥ずかしいこと、いきなり言わないでってば!」

 言葉と同時に、信也の背中を思いきり叩く。

「いってぇー! 何すんだよ」

「あ、ごめんごめん。おっかしいなぁ、こんなドレス着てたら絶対おしとやかになると思ってたのに。信也くんの顔見てたら、いつも通りになっちゃってた」

「嬉しくもあるが微妙な意見だな……それで? そのドレス、気にいった?」

「信也くんはどう?」

「ああ、よく似合ってるよ。早希にぴったりだ」

「えへへへ……じゃあこれにする」

「そうか? 一度きりのウェディングドレスなんだ。何時間でも付き合うよ」

「これでいいよ。大体信也くん、別のドレスに着替えても気付かないと思うし」

「それを言われると何も言い返せない。正直ドレスなんて、どれも同じにしか見えない自信がある」

「そんな自信もどうかと思うけど……でもこのドレス姿で信也くん、一瞬死んだんでしょ? ならこれでいい。これにする」

「分かった。でもいいのか?」

「何が?」

「まだ式まで半年近くあるんだ。その間に太って、サイズが合わなく……」

「ていっ!」

 早希の正拳突きが信也の腹に入った。

「がはっ……」

「信也くん……それ、花嫁に絶対言っちゃいけない言葉。減点」

「分かった、悪かったよ……早希お前、最近突っ込みが激しいぞ」

「そう? ハリセン持ってくればよかったかな」

「いやいやいやいや、花嫁が持つのはブーケだろ」

「まあそうなんだけど……でも今のでちょっといい案、浮かんだんだけど」

「一応聞くけど、何?」

「ハリセンみたいな扇形のブーケにしよっか」

「却下」

「えーなんでよー。いい考えだと思ったのにー」

「そんな形のブーケはあると思うけど、式中にそれで殴られたらたまらん」

「分かった?」

「分からいでか」

「ふふっ」

「ははっ」




 阪急電車に乗り込んだ二人は、扉前に一緒に立った。

「早希は座ってろよ。席、空いてるぞ」

「いいの。だって信也くん、座らないでしょ」

「俺はいいんだよ。俺より疲れてる人優先」

「だから私もここがいいの」

「そうなのか?」

「そうなの。折角の休みなんだし、こうして傍にいたいんだから察してよ……って、何言わせるのよ!」

「痛っ……っておい、所構わず突っ込むのやめてくれって」

「ごめんなさーい」

「お前……後で覚えてろよ」

「後でって……信也くん、何するつもり」

「家に帰ったら、泣くまでくすぐる」

「お願い、それだけはやめて」

「駄目だ。今日はどれだけ謝ってもくすぐる」

「そんな……信也くん、結婚が決まってから人が変わったわ」

「騙されたお前が悪い。後悔しても遅いからな、覚悟しておけ」

「ひどい、信也くん……」

 そんな三文芝居を続けている内に、電車が動き出した。

「……ねえ、信也くん」

 窓から淀川を眺めながら、早希が言った。

「どうした?」

「私、こんな幸せでいいのかな」

「大丈夫。俺の方が幸せだから」

「そんなことない。私の方が幸せよ」

「勝負するか?」

「いいわよ。かかってきなさい」

「早希の手料理はうまい」

「信也くんの寝顔は可愛い」

「洗濯物のたたみ方が綺麗」

「寝ぐせが可愛い」

「いつも笑顔で元気」

「死んだ魚の目の時も可愛い」

「おい」

「何?」

「これって今、自分がどれだけ幸せか、お互いの魅力について語る勝負だよな」

「そうよ」

「寝ぐせや魚の目の、どこが魅力的なんだよ」

「えー、だって今言ったのって、全部私しか知らないことなんだしー」

「分かる、それは分かる。だけどな、にしても……だ。もうちょっと他にない?」

「信也くんは世界で一番かわいくて格好いいの!」

 早希の言葉に、乗客たちの視線が一斉に二人に注がれた。

「あ……いや、どうもどうも、失礼しました」

 信也と早希が、照れくさそうに頭を下げる。

「お前……家じゃないんだからさ」

「ごめんなさい……反省してます」

「ったく、この嫁さんは」

 そう言って早希の頭を荒っぽく撫でると、早希が嬉しそうに笑った。

「えへへへっ……ねえ信也くん」

「何?」

「私やっぱ、幸せ」

「ああ……俺も幸せだ」

「帰りにまた、遊歩道で散歩しよ?」

「ああ、そうしよう」

「こうしてこれから、ずっと一緒なんだよね」

「ああ。ずっと一緒だ」

「ずっとずっと」

「ああ……ずっとずっと」




「まもなく新大阪―、新大阪―。新大阪を出ますと、次は高槻に止まります」

「ん……」

 車内アナウンスが次の停車駅を告げた。
 おいおい、阪急電車に新大阪駅はないだろ。車掌さん、寝ぼけてるのか?
 そう思いながら信也が目を開ける。

「……」

 扉前で立っていたはずなのに、信也は4人掛けの座席に座っていた。

「……早希?」

 隣の早希に声をかける。

 しかし隣にいたのはサラリーマン風の男性で、信也の問いかけに妙な顔をした。

「あ……すいません、寝ぼけてました」

 慌てて謝り、窓の外に目をやる。
 窓から淀川が見えた。
 しかし、阪急電車から見える景色とは違っていた。
 そして自分が今、JRの新快速に乗っているのだと思い出した。

「そっか……夢、見てたんだ……」




 新大阪で各駅停車に乗り換え、東淀川駅で降りた信也が、家路へと向かう。

 今しがた見た夢。あれは自分の人生で、最高に幸せな瞬間だったに違いない。
 しかしそれを今、俺に見せるか?
 脳味噌を引きずり出して、踏み付けてやりたい気分になった。
 自分の身に降りかかった残酷な現実。
 それをまだ、自身が受け止められていなかった。




 愛する女性(ひと)、早希の死をーー


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