第128話 答え
文字数 4,054文字
翌日。12月22日日曜日。
この日は雨が降っていた。
信也は朝からリビングの家具を移動していた。
こたつとソファー、そしてテレビを隣の部屋に移した頃には、昼を少し回っていた。
「よし……そろそろだな」
そう言って、何もなくなったリビングで腕を組み、小さく笑った。
「嫌……なんか嫌だ。ねえ沙月さん、信也くんに言ってきて。今日は私、お腹痛いから行けないって」
「お前なあ……往生際が悪いにも程があるぞ。シンが腹くくって秋葉と会って、その報告をしたいって言ってるんだ。元々お前から言い出したことじゃねえか」
「じゃあ……由香里ちゃん! 代わりに聞いてきてくれない? 別に私じゃなくてもいいと思うの」
「……お姉ちゃん、それ本気で言ってます? 何で私が、夫婦の問題を聞きにいかないといけないんですか」
「涼音さん!」
「早希さん……ファイト、ですよ」
「ほら早希、あんまり二人に迷惑かけんな、て言うか巻き込んでんじゃねえよ。さっさと行ってきやがれ」
「だからだから、お腹が痛くて」
「幽霊は腹なんか、痛くなんねーよ!」
そう言って、早希の頭にげんこつを食らわした。
「ひどい、みんなひどいよ……私、ここの管理人なのに……」
「だからだよ。管理人がいつまでも、そう辛気臭い面してたら迷惑なんだよ。大体お前、管理人になってから何にもしてねえじゃねえか。勝手に居候して、無駄酒ばっかり飲みやがって」
「ううっ……沙月さんが鬼に見える」
「私はゾンビだ! いいからさっさと行ってきやがれ。シンが言ってた時間、もう過ぎてるだろ」
「……分かった……分かったわよ、ううっ……」
「……ったく、厄介なお嬢様だぜ……」
観念して部屋に戻った早希が、広々としたリビングを見て目を丸くした。
「……信也くん? これは一体」
「よお早希、やっと来たか。30分遅刻だぞ」
「それはその、ごめんなさい……って、そうじゃなくて! ひょっとして信也くん、引っ越しするの?」
「なんでだよ、ここは俺の持ち家なんだ。なんで引っ越ししないといけないんだよ」
「だって家具がなくなってるし、それに信也くん、秋葉さんと一緒になるんだから、私と住んでた家じゃ嫌なのかなって思って……て言うか信也くん、どこにいるの」
「ああ悪い、すぐそっち行くから」
しばらくして、信也がリビングに入ってきた。
手には何本ものハリセンが持たれている。
「ったく、どんだけ隠してんだよお前。洗濯機の裏にまで仕込みやがって。ここはどこぞの武家屋敷かよ」
「え……なんで、なんでハリセンなんか」
「よいしょっと」
足元に置くと、
「もうちょっと待ってくれな」
そう言って、今度は風呂場へと向かった。
何が起こってるのか理解出来ず、早希が風呂場を見つめる。
水道の音がしていたかと思うと、やがてバケツを持った信也が、鼻歌を歌いながら戻って来た。
「……信也くん?」
「よし、準備完了だ」
そう言って信也が笑い、両手をぐるぐると回した。
「準備って……あのその、信也くん? 私、なんで呼ばれたのかなって思ったりしてるんだけど」
「んなもん決まってるだろ。お前が言ったことじゃないか。秋葉とどうなったのかの説明と、俺たちの関係をどうするのか、その話し合いだろ」
「それで……なんでハリセン? それとバケツ?」
「ん? ああこれな。これはだな……こうする為に持ってきたんだよっ!」
そう言うと、バケツをつかんで早希目掛け、中の水をぶちまけた。
「……」
全身びしょ濡れになった早希。何が起こったのか分からず、呆然と立ちすくむ。
「はははははははっ、やったやった、ああすっきりした」
「……え?」
目の前で嬉しそうに手を叩く信也。
早希は拳を握り、わなわなと体を震わせた。
「信也……くん……これは一体どういうことかな」
「ん? ああ悪い、ちゃんと説明しないとな。これはこの前のおかえしだ。ほらこの前、俺にコーヒーぶっかけただろ」
「それでこんなこと、するんだ……大事な家の中、こんな水浸しにして……」
「下の階は空き部屋だし、少々の水漏れぐらい大丈夫だろ。家具もちゃんと避難させたし、何の問題もない」
「……そうなんだ……流石だよ信也くん……準備万端って訳ね」
「ああ。にしてもやっぱそうなんだな。お前、雨には濡れないけど、俺が使った水ならちゃんと濡れるんだよな。はははっ、ほんと面白い体質だよ、お前」
「体質って……信也くん、どうでもいいけど、さっきから笑いすぎじゃないかな。そんなに私、面白いかな」
「ああ面白いね。ずぶ濡れのイタチみたいだ」
「なっ……イ、イタチですって」
「それに何だよ、アイシャドウ落ちて……ぷっ、ははははっ、泥狸みたいじゃねえか」
「なっ……」
「いつも言ってるだろ。お前は化粧、ほどほどでいいって。すっぴんでも可愛いのに、何気合い入れてんだよ。背伸びしやがって」
「最後のお別れだから、ちゃんとしてきたんじゃない! 何よ、さっきからずっと笑ってばっかで! もういい、さっさと話してよ! 帰るから!」
「そうだな、そうだった。ちゃんと話さないとな」
そう言って、ハリセンをひとつつかみ、早希に投げた。
「何よこれ」
「何って、早希様自作のハリセンだろ? これでお互い、交代で殴り合おうと思ってな」
「ちょっと、何言ってるのよ」
「お前が言ったんじゃないか、最後は泣きたくないって。だから俺も色々考えたんだ。どうしたもんかってな。
それで浮かんだのがこれ。朝思いついた」
「朝って……どうしたいのよ」
「別れるにしても俺たち、一年以上一緒に暮らしてたんだ。そうだろ?」
「……そうだけど」
「この前のお前を見て思ったんだ。お互いに色々と、ストレスがたまってるんじゃないかって。特に早希、お前はあの時、本心じゃないって言ってたけど、色々と不満もあるようだった。
だからこの際だ、全部ぶちまけて、綺麗さっぱりしようと思ってな」
「なんでよ! なんでそうなるのよ!」
「早希が言ったんじゃないか。綺麗さっぱり別れたいって」
「違う、違うってば! 私は笑顔でさよならしようって言ったの!」
「じゃあ俺からな!」
「え? ちょ、ちょっと待って」
「いっつもいっつも、何かあったら人のことボコりやがって!」
言葉と同時に、早希の頭をハリセンで力いっぱい張った。
「いったぁあああっ!」
「ははははははっ、やっとだ、やっとお前に一発食らわせてやったぞ! 確かにこれは癖になるな。さあ、早希の番だ。どんとこいよ」
「……」
ハリセンを握りしめる早希の手が、わなわなと震える。
「……分かった……いいよ、そこまで言うならやってあげるわよ……途中で参ったなんて、許さないからね」
「ほほう、その言い方、余程不満があるようだな」
「いくわよ信也くん!」
そう言うと、信也の横っ面を思いきりはたいた。
「いってええええっ! てかおいっ、文句! 文句言ってから殴るルールだろ!」
「あ、そうか、間違えちゃった」
「はい、これで早希の分は終わりな。次は俺の番だ」
「ちょっと待ってよ、今私、何も言ってないし」
「殴ったから駄目、次に考えとくんだな。じゃあいくぞ……毎日キスするって言ってた癖に、自分から約束破ってんじゃねえよ!」
バシッ!
「何よ! いっつもいっつも、あやめちゃんを膝に乗せてニヤニヤしてた癖に!」
バシッ!
「沙月さんにからかわれたら必ず、嫌いなオクラ出しやがって!」
バシッ!
「何よ何よ! カラオケ行っても、涼音さんの歌がまた聞きたいなってどういうことよ! 私とカラオケ来てるんでしょ! だったら私の歌を褒めてよ!」
「人が寝てる時、腕に落書きしてんじゃねえよ! 何が『あやめLOVE』だよ! 篠崎に見られて、弁解するの大変だったんだぞ!」
「私、知ってるんだからね、押し入れの段ボールに入ってる箱の中! 何エッチな本、こそこそ隠してんのよ!」
「都合が悪くなったらトイレに隠れやがって! お前は大も小もしねえだろうが!」
「はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……」
ボロボロになったハリセンが、足元に散乱している。
信也も早希も
「大体……俺がいつ、秋葉を好きって言ったんだよ」
「……だったらなんで……ゴホッ……なんでキスのこと、言い訳しなかったのよ」
「言い訳なんか男らしくねえだろ。それとも何か? 秋葉からしてきたんだから、俺は悪くないとか言ってほしかったのかよ」
「そうだよ! 信也くんの意思じゃないって言ってほしかったんだよ!」
「そんな女々しい言い訳、殺されたってしたくないね」
「何よ……何よ何よ何よ!」
「お前はそういう男と結婚したんだよ。正解かどうかなんて知ったことか。間違ってようと、俺は絶対変えないからな。
あやめちゃんや沙月さんがキスしても、ハリセンでボコるだけだったじゃねえか。なのになんで、秋葉とだったら出て行くんだよ」
「ほーら出ましたよ。ほんと信也くんってば、女心分かってないんだから」
「秋葉は……別だったのか」
「そうよ! 決まってるでしょ!」
「でもな、俺にとっては秋葉も、あやめちゃんや沙月さんと同じなんだ。秋葉に言ったら泣かれるかもしれないけど、でもそうなんだよ」
「そうだね、ほんとひどいよ信也くん。やっと付き合うことになった秋葉さんのこと、そんな風に言って」
「秋葉とは……さよならしたよ」
「え……」
「昨日話してきた。秋葉とは付き合えない、ごめんって」
早希が呆然と信也を見つめる。
「なんで……」
「そりゃそうだろ。俺には嫁がいるんだぞ? 一生愛しますって誓った相手がいるんだぞ? 当たり前だろうが」
「……言ったよね。私は幽霊、信也くん以外、誰にも気付かれない存在だって」
「だから?」
「だからって……信也くん本気? 誤解も解けて、二人の間の溝も埋まって……やっと分かり合えたのに」
「それと俺たちの夫婦生活に、何の関係があるんだよ」
「信也くん……本当なの? 秋葉さんとさよならって、本当なの?」
「だからそう言ってるだろ。お前が言ってた、俺の青春時代ってやつ。締めくくって来たよ」