第91話 激情

文字数 2,272文字



「遠藤さん。俺に協力させてください」

「お、お願いします! 沙月ちゃんを退治してくれるんですね!」

「……」

 信也が立ち上がり、遠藤を見下ろす。

「紀崎さん……?」

「ええ……これできっと、遠藤さんと沙月さんの物語は終わりますよ」

 そう言うと、信也は遠藤を力任せに殴り飛ばした。

「ぶっ……」




「なっ……!」

 沙月が遠藤の元に駆け付けようとした。
 しかしそれを早希が止めた。

「離せ、離せこの野郎っ!」

「お願い沙月さん、もう少し、もう少し待って」

「和くんを殴ったんだぞ! 和くん、喧嘩なんかしたことないんだぞ!」

「沙月ちゃん、私からもお願い……もう少しだけ、待ってあげて」

「……涼音さん? 涼音さんも来てたのかよっ! でもなんでだよ! なんで止めたらいけないんだよ!」

「お願い沙月さん、信也くんを信じて」

「信也を……」




「な、な、な、な……ど、どうしたんですか紀崎さん、なんでいきなり」

「沙月さんの為ですよ」

「沙月ちゃんの……」

「沙月さんにはあなたを殴れない。だって沙月さんは、今でもあなたのことを愛してますから。だから俺が……あんたの性根ごとぶん殴ってやりますよ!」

「紀崎さん、沙月ちゃんを知ってるんですか」

「ええ、よく知ってます……彼女は優しくて面倒見がよくて、人懐っこいくせに意固地なところがあって、素直じゃなくて格好よくて、照れ屋であったかくて!」

 尻餅をついて後ずさる遠藤を蹴り上げた。

「そんな彼女を! あんたは……あんたはっ! 男として愛したんだろうがっ!」

 初めて見る信也の激情。
 早希はその姿を、瞬きもせずに見つめていた。
 口を真一文字に結び、その姿を目に焼き付けようとしていた。

 ――早希の中に、強い思いが生まれつつあった。

「立てよ臆病者っ! 自分では何も決められない、何も行動出来ない卑怯者っ!」

 胸倉をつかみ、もう一発殴る。
 吹っ飛ばした遠藤の元に大股で近付き、また殴る。

「あんたは俺と似てるかもしれない。愛した女を失ったこと、後悔してること、この先のことなんてどうでもいいって思ってるところ」

「……」

「あんたの話、黙って聞いてたけどな。あんた、それでも男か? あんた、それで生きてるって言えるのか? ただただ流されてるだけじゃないのか? そんなことで新しい女のこと、本気で守れると思ってるのか!」

 胸倉をつかみ、拳を震わせて信也が吠える。

「あんたこれからの人生、どうでもいいって思ってないか? もし今死ぬとしても、それはそれで別にいいって思ってないか?」

「そんなこと……」

「いいや、あるね。あんた言ったよな、沙月さんは自分のことを許してくれてないって。だから迷ってこの世界に戻って来たって。
 だったら! なんで逃げるんだよ! なんで受け止めないんだよ!」



「も……もうやめてくれ……もういい、もういいから……」

 沙月が嗚咽する。その沙月を早希が抱き締める。



「だから俺が、沙月さんの無念を晴らしてやる。俺があんたの腐った性根、殺してやる。そうすればきっと、沙月さんも満足して成仏してくれるはずだっ!」

 一発拳を入れると、遠藤は腹を押さえてその場にうずくまった。

「……これだけ理不尽な暴力を受けても、まだあんたは何もしようとしない。結局あんたには、自分で何とかしようという気概がないんだ。俺が疲れてやめるか、誰かが止めてくれるのを待ってる、それだけなんだ。
 ――そんな気持ちで結婚なんかするんじゃねえよ! 沙月さんを語るんじゃねえよ!」

「沙月……ちゃんの……」

「どうせ沙月さんへの気持ちも、自分を守る為に適当に言ってる詭弁なんだろ? 本当は沙月さんのことなんて、何とも思ってないんだろ? 何とか言ってみろよこの偽善者!」

「うわああああああっ!」

 遠藤が信也に突進する。
 しかし信也はそれを受け止め、両手を握り合わせて背中に一撃を加えた。

「ぐはっ……」

 遠藤が信也の前に跪く。

「……俺の嫁も、あの世から戻ってきた」

「え……」

「俺は嬉しかった。俺との約束を守る為、あいつは……早希は戻って来てくれた。成仏せず、この世で彷徨(さまよ)うことを選んでくれた」

「……」

「死んだ者が成仏せず、この世界で迷うことを選択する。それがどれだけ勇気のいることか、あんたに分かるか? 誰にも存在を認識されず、孤独に彷徨(さまよ)うことの意味が分かるか? でもな、それでも……それでも早希は、俺の傍にいることを望んでくれたんだよ! 沙月さんだってそうなんだ! なのになんでだ! なんで沙月さんを拒絶した! 戻って来た時、なんで喜ばなかった! 沙月さんにはあんたしかいないんだぞ!」

 早希の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「……どうして沙月さんが戻って来たのか、言ってみろ」

「それは……僕のことを恨んで」

 もう一発拳を入れた。

「さっきの沙月さんの言葉、聞いてなかったのか? 沙月さんはあんな姿になってもまだ、あんたの幸せを願ってるって言ったんだぞ? ごめんなさいって謝ってたんだぞ?」

「それは……」

「まだ分かってないんだな、沙月さんの気持ちってやつが。
 ――沙月さんはな、この世界に戻って、あんたに拒否られたその日から、ただただあんたの幸せだけを願ってるんだよっ! 誰が好き好んで、惚れた男の結婚を祝福なんてするんだよっ! そんなやつ、いる訳ないだろっ! でも沙月さんは、あんたが幸せになるんだったら、それでもいいって思ってるんだよっ! あんたに別れを告げる為に、今日ここまで来たんだよっ!」




「信也……もういい、もういいから……」

「……沙月さん……」

 信也と遠藤の間に、沙月が立っていた。


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