第108話 姉弟喧嘩
文字数 2,711文字
「な……なんだよ急に」
これまでお互い、ずっと避けてきた話題。
その核心を突かれ、信也が動揺する。
「いいから答えろ。お前は秋葉のこと、どう思ってるんだ」
「それは……て言うか、姉ちゃんにそれ、関係あるのか」
「あるから聞いてるんだよ。大体お前ら、何年も前のこと、いつまでも引きずりやがって。いい加減こっちも腹立ってんだよ」
「引きずってなんかねえだろ。姉ちゃんだって知ってるはずだ。確かに去年までは、話も満足に出来てなかった。でも今は、前みたいに普通に話せてるだろ」
「少しはな。でもな、お前らの間には、踏み込んじゃいけないクソみたいな溝があるんだよ」
「それは……」
「だから言ってるんだよ。何年引きずってるんだって。お前も秋葉も」
「……」
「こういうことに首を突っ込むのは好きじゃない。人間ってのは、自分の力で関係を築き合っていくもんだからな。でもな、お前らは私の家族だ。いつまでもそうやって昔のクソくだらないこと、引きずってるのがイライラすんだよ」
「んなこと言ったって」
「だからちょっとだけ、お前らの背中を押してやる。言っとくけどな、このことに秋葉は無関係だ。私が勝手に暴走してるだけだからな」
「暴走って、自分で言うなよ」
「それでどうなんだ。秋葉のこと、どう思ってる」
「どうって……いや、どう思ってても、それは俺の問題だろ。姉ちゃんに関係」
知美の拳が信也の顎に入った。
突然のことに受け身も取れず、信也が吹っ飛んだ。
「……なんだよおいっ! なんで殴られないといけないんだよっ!」
「やっと一発殴れたよ……やっとだ」
「なんだよそれ! 訳分かんねえぞ!」
「……ふざけた面しやがって」
「ふざけた面は生まれつきだ! んなことで殴られてたまるか!」
「ちょっと黙れ」
蹴りが入る。
ごろごろと地面を転がり、柵にぶつかった。
「ごめんな早希っち。あんたの旦那、殴っちまって……でも悪い、もうちょっとだけ、黙って見ててくれ」
「帰ってきたよ、愛しの我が家!」
「お姉ちゃん、お疲れじゃないですか?」
「ううん、全然。だって私」
「私たち」
「幽霊だからー」
そう言って早希と由香里、顔を見合わせて笑った。
「でもでも本当、お姉ちゃんとの旅、楽しかったです。由香里、感激しました」
「私もだよ。いっぱいお話しも出来たし」
「ねえねえお姉ちゃん、是非また一緒に旅、してくださいね」
「モチのロンパチ。こんなに楽しいなら、もっと早く行っておくんだったよ」
「そう言ってもらえて嬉しいです。でもごめんなさいです、こんな遅い時間になってしまって」
「いいのいいの。どうせ信也くん、まだ起きてる時間だし」
「お兄ちゃんに寂しい思い、させてないといいんですが」
「もしそうなら、今日はたっぷりサービスしてあげないとね。きゃっ」
「あははっ、お姉ちゃんやっぱり大胆です……あれ?」
「どうかした?」
「あれ……お兄ちゃんじゃないですか」
「どれどれ……ほんとだ、それに知美さんも」
「ちょ……ちょっとちょっとお姉ちゃん! お兄ちゃん、殴られてませんか? 助けに行かないと」
「待って由香里ちゃん」
「……どうしてですか」
「お願い、ちょっと待ってくれるかな」
「お姉ちゃん……」
「お願い、由香里ちゃん」
「……分かりました。お姉ちゃんがそう言うなら」
「早希っち……もしあんたがここにいるなら、しっかり見ててくれ。今からこいつのひん曲がった性根、叩き直してやるから」
「……ひん曲がってて悪かったな! しょうがないだろ、あんなクソ親父の血が流れてんだ!」
その言葉に、知美がもう一発殴ろうとした。信也がそれをかわし、腕をつかむ。
しかし次の瞬間、腹に衝撃がくわわった。知美の膝だった。
「ぐはっ……」
「殴り合いで私に勝てると思ってるのか。黙って殴られてりゃいいんだよ」
「……無茶苦茶だ」
「親父のことが嫌いなのはいい。お前も大人だ、好きに思え。でもな、嫌いなのと否定するのとは違うんだよ。
私らは親父がいたから生まれてこれた。それはどうしたって、絶対に変わらない事実なんだ。だからな、嫌いでいいけど感謝もしろ。でないとお前、本当に人間が腐っちまうぞ」
「無茶言うなよ、あんなクソ親父」
拳が入る。
「ましてや、自分の血にまでケチをつけるな。それはお前自身を否定してるのと同じなんだよ」
「……」
「お前を否定なんて、私が許す訳ないだろ。お前はどこまでいっても、可愛い弟なんだからな」
「可愛いって……相変わらずこっ恥ずかしい言い方しやがる。その可愛い弟、なんでボコボコにしてるんだよ」
「愛の鉄拳制裁だ」
「……ふざけんなよ、この暴力女!」
信也が立ち上がり、知美に突進していく。しかしあっさりかわされると、再び腹に膝が入った。
「それで、だ。最初の質問に戻るぞ。秋葉のこと、どう思ってる」
「どうも何も……秋葉は俺の幼馴染だ」
「それだけか?」
「はああっ? 何を言わせたいんだよ!」
「じゃあいい、質問を変えてやる。お前、あの時どうして秋葉がああしたか、分かってるのか」
「あの時って」
「……お前の前から姿を消した時だよっ! お前をいない者にしたあの時だよっ!」
「な……姉ちゃん、知ってるのか」
「お前と違って信頼されてるんだよ、私は」
「教えてくれ! なんで、なんで秋葉はあの時、俺の前からいなくなったんだっ!」
「それを聞いてどうする」
「え……」
「それが分かって、お前は何かするのか? お前の中で何か変わるのか?」
「それは……」
「お前、脳味噌ぐらいちゃんと使えよ。なんでそこでそうなるんだよ」
「どうって言われても困る……大体知ってたなら、なんで教えてくれなかったんだよ」
顔面に拳が入り、信也が鼻から血を流した。
「ありゃりゃ、鼻、やっちまったか……悪いな早希っち、あんたの旦那の鼻、折っちまったよ」
「ゴホッ、ゴホッ……折れてねえよ!」
「そっか。よかったな、早希っち」
「なんで教えてくれなかったんだよ。それに、なんで今になって話そうとするんだよ」
「もっぺん言っとくぞ。これは秋葉の意思じゃない、私の暴走だ。秋葉はずっと私に、絶対言わないでくれって言ってたんだ。言ったら絶交だってぬかしやがった。だから私も従った。
でもな、流石にもういいだろ。何年前なんだよって話だ。それに今のお前らを見てたら……我慢するのが馬鹿らしくなってきたんだよ」
「じゃあ……聞かせてくれよ。俺がどうするか、それは後で決める」
もう一発蹴りを入れると、知美は煙草に火をつけた。
「ほれ」
信也に煙草とライターを投げる。信也も口にくわえ、仰向けになったまま火をつけた。
「姉ちゃん……ゴホッ……殴りすぎだ」
「まだ終わっちゃいないぞ。安心するのは早い」
「ははっ……何だよそれ……」