第107話 急転

文字数 2,446文字



「すごい……」

 眼下に広がる大荒れの海を見て、早希がつぶやいた。




 福井県三国町にある、名勝東尋坊。
 断崖絶壁のそれは観光名所として有名で、テレビで見たことはあった。
 青空が広がる中、断崖から見下ろす海は壮観だった。
 しかし今、彼女が見ているのは、観光とはほど遠い光景だった。
 この日は低気圧の影響で、日本海側は大荒れの天気になっていた。
 海は荒れ狂い、岩に叩きつけられる水しぶきが、ここまで飛んできそうな勢いだった。
 暴風と雨で、辺りに観光客は一人もいない。

「どうですか、お姉ちゃん」

「うん……なんだか、ね……ごめん由香里ちゃん、ちょっと言葉が出てこないや」

「あはっ。でも、気にいってもらえたみたいでよかったです」

「私ね、海って子供の頃に遠足で一度行っただけなんだ。とっても穏やかで、何て言うのかな、お母さん、みたいな感じ? 広くてあったかくて、優しいって感じだった。だから今、ちょっと圧倒されちゃって」

「幽霊ならではですよ、お姉ちゃん。私たちはどれだけ風が吹いても飛ばされないですし、雨に濡れることもないですから。もしここに普通の人がいたら、とても立っていられないと思いますです」

「そうね、私たちには雨も風も関係ない……でも確かに、これじゃ人は見てられないわ」

「海にはこういう一面もあるんです。ここも夏だと、穏やかで優しい景色が見渡せます。でも冬になると、こういう怖い表情も見せてくれますです」

「なんか……こういうのを間近で見てたら、私たちって本当にちっぽけなんだなって思うよ」

「ですです。人は圧倒的な自然を前にすると、自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされるんです。自分がどれだけ小さなことで悩んでるか、気付くんです」

「そういう意味では由香里ちゃん、作戦成功?」

「あはっ、何のことやら」

「しらばっくれちゃって。私が色々考えてること、気付いてるくせに」

「お姉ちゃん、察しがよすぎます」

「でも……ありがとう。由香里ちゃんの作戦に、まんまとはまっちゃったよ」

「何か見えてくるもの、ありそうですか」

「だね。こうして海もごった返すぐらいの嵐なら、いい感じに水も入れ替わって綺麗になりそうだもんね」

「あははっ……お姉ちゃん、過激なところだけ見てませんか」

「どうだろう、ふふっ……でも来てよかったよ。由香里ちゃん、もうちょっとだけ、ここで見てていい?」

「はい、勿論です」




 11月16日土曜日。
 今日にも早希は帰ってくるはずだった。

「まあ……電車や船って旅でもないし、帰って仕事がある訳でもなし。楽しんでたらもう少し、遅くなるかもな」

 この二週間、信也はいつも通りの生活を続けていた。
 毎日仕事に出かけ、帰ってあやめと勉強会。それが終わると比翼荘に向かい、一時間ほど沙月たちと庭の手入れをしていた。

 変わったことがあるとすれば、秋葉からメッセージが来るようになったことだった。
 先週家に来て以来、毎日メッセージが届いていた。内容は他愛もない物で、ちゃんと食事しているか、煙草は控えてるか。昨日はちゃんと眠れたか、など、信也が苦笑するような物ばかりだった。




 夜。
 21時を少し回った頃に、一本の電話が入った。

「信也―、起きてるかー」

「……姉ちゃん?」

 知美だった。

「まだ起きてるけど……てか、21時に寝てるなんて、俺はおじいちゃんか」

「にゃはははっ。ひょっとしたら寝坊しないように、もう寝てるかもって思ってな」

「んな訳ねえよ。大体明日は日曜だろ。それで? 何か用?」

「うん、まあ……用っちゃ用なんだけどさ、ちょっと出てこれないか」

「ちょっとって、どこにだよ」

「下」

「え」

「下だよ。川の方」

 知美の言葉にベランダに出ると、遊歩道から手を振る姿が見えた。

「ちょ……来てるんなら入ってこいよ。そんな所で何してんだよ」

「にゃはははっ。家で話すにはちょっと、って思ってな。まあいいじゃないか、降りてこいよ」

「ったく……」




「それで? どうしたんだよ急に」

「いやな……ちょっと早希っちに会いたくなったんでな」

 見ると、あの場所に花が添えられていた。

「早希に会いたいなら尚更だろ。家に来ればいいじゃないか」

「私にはよく分からないんだ。人って、死んだらどうなるんだろうってことが」

「……」

「魂なんてのが本当にあるとしたら、死んだらどこに行くのだろうってな。すぐに生まれ変わるのか、それともしばらく、この世に留まっているのか」

「そんなこと、俺に聞かれても」

「すぐに生まれ変わるってのなら、墓なんていらないと思わないか?」

「それは……確かにそう思うけど」

「でも人は、死んだ人を敬い、供養する。歴史上の人物なんて、死んで何百年経っても法要したりする。って、流石にもういねえだろってな、にゃはははっ」

「……何が言いたいんだよ」

「裕司のやつも、もうここにはいないのかなって思うよ。なら、私があいつに手を合わせてるのって、供養って言うより感謝なんだなって思う」

「感謝……」

「ああ。でもまあ、早希っちの場合は半年ちょっとだ。ひょっとしたら、まだこの辺りにいてるのかもしれない。秋葉も言ってたしな」

「秋葉が?」

「ああ。お前の家には、まだ早希っちがいるって言ってた」

「そうか……」

「それでな、早希っちの魂がまだいるのなら、どこにいるのかってことだ」

「そりゃ、骨じゃないのか」

「それが分からないから聞いてるんだよ。骨って肉体の名残だろ? それも焼かれて、骨壺にも一部だけだ。ひょっとしたらここにいるかも、そう思ってもいいと思わないか?」

 そう言って、曲がった柵を指差した。

「要するに、私たちの気持ち次第だと思うんだ。私がいるって思えば、早希っちはここにいる」

「で? 結局何が言いたいんだよ」

「だから今日は早希っちの前で、お前と話したいんだ」

「よく分からないけど……まあいいよ、分かった」

「それに……近所迷惑になっても何だしな」

「近所迷惑?」

「信也、単刀直入に聞くぞ。秋葉のこと、どう思ってる」

「え……」

 突然出た秋葉の名前に、信也が動揺した。


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