▼輪舞(ロンド) 加賀美飛鳥

文字数 5,918文字




二〇一一年三月十六日

「どうかした?」
「いえ……別に」
 真帆は飛鳥の顔にじっと見とれていたらしい。神江第二原発が爆発を起こさず、東日本壊滅を免れて、一日が経過している。
 ボランティアスタッフの加賀美飛鳥は余震でがれきが崩れ、身動きができなくなっていた。そこへ駆り避難所を脱した真帆たちが通りかかり、援けた。飛鳥は右足をけがしていた。避難指示圏内を離れた避難所まで連れて行き、手当をする。物資が足りず、痛み止めがない。飛鳥は平気だと云ったが、痛そうだった。とっさに真帆はクリスタルをポケットから取り出した。夢の中でマリス・ヴェスタがカンディヌスにやったのと同じように。それはいつも真帆が携帯しているもので、海に流された時もなくさなかった。クリスタルは熱を帯び、飛鳥の足の痛みは引いていた。
「サンキュ。さっきので、魂まで修復できちゃったみたい」
「えっ?」
 真帆は飛鳥の言葉にハッとする。
「楽になったよ」
 飛鳥は向き合ってにっこり笑った。
「そのゴールド・ルチル・クリスタル凄いね。あたしの身体だけでなく、魂の修復の方もできた」
 私は、あなたの事を知っている……。
「とうとう思い出してくれたみたいだね、真帆さん」
「あなたは、まさか、夢の中のヱメラ、リーダ……?」
目の前の加賀美飛鳥は、ヱメラリーダ・ロックバルトその人だ。
「あなたも記憶を?」
 彼女も電波ゆんゆんなのか。
「うん。私さ、アトランティスの時、ずいぶんあんたを責めた。でもエデナの古代核戦争の時代じゃまるで逆だった。アンタの事、言えなかったんだね。ごめん。ハハハ……ツーオイ、あいつは何でも知っている!」
 アトランティスでヱメラリーダは、ヱイリア・ドネを失ったのは自分のせいだと思い込んでいた。彼女は最期特攻した。過去を遡るとエデナにおいて彼女自身悪人だ。その時に、マリスを犠牲にしたという自己嫌悪が、彼女の自己犠牲につながっていた。
「本当にそうなの?」
「一万年の間、あたしはずっと魂レベルで壊れていたんだ。自爆した影響でね。自殺は、魂レベルでダメージを与える。決してやっちゃいけないことなんだ。だからあたしの左腕、いつの時代に生まれてもずっと弱くてさ。あたしの魂の、ヱメラリーダの部分は打ち砕かれて、一万年間無意識を漂った。それはずっと対立していたあんたにしか直せなかったんだ。これでようやく、間にあった」
 飛鳥はにこっとした。
「私が、飛鳥さんの中に眠る、ヱメラリーダの魂の修復を?」
 看病した真帆がとっさに使用した装置によって、同時に飛鳥の魂の修復が始まった。
「あたしたちさ、因縁の対決ってヤツをいつの時代も繰り返してきたんだ。いつかこうして、アウフヘーベンしなきゃいけなかった」
 アウフヘーベン。正反合の哲学。それが、ヱデンという名のこの楽園に、二元性という「智恵の実」が与えられている意味。
「でもあなたキャラクター変わったみたいじゃん。ずいぶん変わった。アトランティスの記憶からすると……。マリスだった特長もあるけど、あたしみたいな熱い部分もあってさ」
 ヱメラリーダ・プラス・マリス。自分はそうなのだろうか。
「地球は宇宙の醜いあひるの子だよ。醜いあひるの子って話あるでしょ? 他の惑星は皆、美しい姿の子供達。でさ、誰も地球が白鳥の子だなんて信じられないんだ。でもね。結局、醜いあひるの子が白鳥になるんだよ。このドラマはさ、つまりそーいう物語なんだよ……」
「飛鳥さん……」
「今になって旧神たちの、大白色同胞団の意図にね、宇宙中の先進文明が、皆気付き始めている。宇宙がそわそわしている。宇宙中が、地球が白鳥に生まれ変わるこの瞬間を、羨望のまなざしで見届けているんだ。だからこの時空に皆集まっているんだ。ラ・レミュルーやムー、アトランティスじゃ、また失敗かって思って去っていったけど、……ついに、今度こそってね」
 ラーは、真言密教で信仰された大日如来という名の存在と同じだと飛鳥は言った。大日如来は一切の二元性を超えた存在で、無数の自分の分身を作って宇宙中に顕している。それを本地垂迹という。美しいものもそうでないものも、清浄なるものも不浄なものも、すべて大日如来の顕れなのだ。
「この時代でも、みんなに会えるの?」
「……もちろん。あんたも会ってるじゃん! スマフォでよく聴いてるその動画。車のCMのソプラノ歌手。天音暁子。うちにもCDあるよ。あたしもよく聴いている」
 消えた伝説の芸能人ナンバー1。
「そういえば夢の中のアマネセルって姫の歌声、確かにそっくりね。天音?……アマネ。アマネセル……暁の女神」
 アマネセルは天音暁子。なんだ、そういう事だったのか?!
 真帆は大声で笑った。涙が、とめどなく流れてくる。それは安堵と解放感からの笑いと涙だ。そういえばもう一人心当たりがある。豆生田教授。彼はなぜあんなに身を挺してまで真帆に協力してくれたのか。今回はずいぶん年上で出世して、助けてくれたね。インディック。
 避難所で支給されたバナナを二人で食べる。アトランティスで開発され、当時は高級品で王家や貴族やシャフト上層部しか口にできなかったバナナ。マリスもレジスタンスに参加して、オージンの用意した船の中で初めて食べた。その夢の中のバナナの美味しかった事。しかし今や誰でも食べる事ができる。飛鳥は言った。
「種無しのバナナは突然変異で出来たって言われてるけど、一種類のバナナはクローン培養によって世界中で栽培されている。クローンだから病気に弱いっていう弱点があるんだけどね」
 まさかクローン・バナナだったなどと、真帆は今日まで知らなかった。まさにアトランティスを暗示させる。
「でも、あなたは確かこっちでしょ」
 真帆はリンゴもあったので、取ってきた。
「サンキュゥ」
 飛鳥は笑ってリンゴをかじった。
「こうしてアクエリアスの文明で輪廻を抜けるために、アトランティスは駄目だと達観したヱイリア・ドネとアマネセル姫達は、最期、マリス・ヴェスタに全てを託す事にしたんだ。あの石の離宮からのアマネセルの脱出劇も、ヱイリア・ドネの糸の一つの伏線だったって訳。しかし情熱党の三姉妹の中であたしだけは、最期までアトランティスを諦めないと主張し続けて、そこで意見が分かれた」
「でもあなたによって、当初気力の失せたアマネセル姫は説得され、円卓が結成されたわね。それは事実じゃないの? その姫がいなければその後の展開は何もなかったんだし。ずっとアルコン隊長を焚きつけてきたのもあなただった。だから、ヱメラリーダの目的が成功する可能性も、わずかだけど残されていたといえる。姫も、それを信じたからこそ円卓を結成した。けれど、ヱメラリーダのようにいかに諦めない精神があったとしても、時が尽きてしまったら限界がある。そこで姫は、保険をかける事を忘れなかった」
 こんな風に夢の中で生きた時代の続きを二人でしてるなんて、不思議だ。
「未来の、一万年後にね。あたしは最期まで、王党派のバックアップ計画たる円卓の、アマネセル姫が考えたまたさらなるバックアップに気がつく事はなかったなぁ。だから姫の、あんたに対する計画があったなんて夢にも思わず、ずっとあんたを敵視していた。あんたの極秘ミッションは、バックアック計画たる円卓のメンバーさえも知らない、さらなる極秘計画だったからね」
 輪廻の輪を抜けるため、アトランティスの絶頂期から百年前にさかのぼる時代に相当する、二〇一一年の神江で覚醒するように八木真帆は生まれたのである。全面核戦争、あるいは再びクリスタルが猛威をふるう二一〇〇年代ではもう遅い。臨死体験でアトランティスというヴリル、つまり精神エネルギー文明を体感して思い出し、それが事実であり、正夢だと直感した今、真帆は前世の自己であるマリス・ヴェスタの痛烈な声を間近に聞いた。
 原発事故によって八木真帆の持論が証明されたと同時に、アトランティスの夢を通して、問題はそんなレベルではすまされないのだと感じている。アトランティスとここ神江の問題は物語が連続していた。藤咲と脱原発を共有したが、脱原発じゃ駄目なんだということを悟った。
 たとえ脱原発をして、真帆が進めているフリーエネルギー装置を社会のインフラとして実現したとしても、時計をさらに百年くらい進めて、テクノロジーが頂点に達した時、つまりアトランティスでいえば末期に、大事故が起こって大地が沈んでいった。放射能どころの問題ではない。ヴリトラ、まさにそのフリーエネルギー装置によってまき散らされた毒のエネルギーは、『星』全体を包み込んだ。その影響は、今でもバミューダ海域の時空をゆがめて、奇怪な海難事故を引き起こしている。一万年後の現在も。だからプレベールは、ツーオイ石は自分を浄化するために海へと沈む事を選択した。フリーエネルギー研究者の真帆にとって、決して認めたくない話だ。しかし……。
「ヱデンで知った地球の隠された秘密、地球という星の役割……。ヱデンというこの星の太古の名称は、闇から光へと転ずる、逆逆転のエネルギーというミッションがあった。だからアマネセル姫はマアトの説得を受けて、私の、マリス・ヴェスタの罠を受け入れたんだと思う」
「最初の計画じゃあ、情熱党のアマネセル姫やあたし達のソプラノ・マントラ計画によって、ツーオイ石に宇宙からの成長ホルモンエネルギーをダウンロードし、ツーオイ石に地球の分身たるプレベールを召喚して育てるはずだった。でもシャフトを乗っ取ったシクトゥス4Dは、アマネセル姫にプレベールを召喚させ、偽プレベールとすり替えようとした。あんたの手によって。本物のプレベールを手に入れ、ツーオイを意のままに操る為に。結局情熱党の計画はとん挫したけど、あんたはシャフトに本物を渡さなかった。そこでこのシャフトの計画も失敗した……」
 真帆と飛鳥は、完全に夢の内容を共有していた。
「けどそうして召喚した偽プレベールはアポフィスへと変じた。つまりあんたは結局アポフィスを召喚していた。それがツーオイの中に還った時、エネルギーは逆に作動し、闇ヴリルたるヴリトラが噴き出し、大地は沈んだ。そこで隠された三番目の計画。それは、ツーオイ石とアマネセル姫の二人だけの秘密だった。闇から光へと転換するパワー。闇が極まれば、バネのようにエネルギーがたまって、反対側の光の方向へと飛翔する。その飛翔のパワーで地球はアクエリアスの時代に上昇する。これが、逆逆転のエネルギーの計画。まぁこれは……ラーの奥義のような計画だね」
「でも、何で私なんだろう」
「実感沸かない? まぁー無理もないか。アマネセル姫からマリス・ヴェスタに渡された火。ウェスタというのは古代ローマでも竈を司る女神で、それを振興するウェスタの乙女達は、パクス・ロマーナ、永遠に続くローマの安定のために、聖なる火を決して絶やしてはならないってされていたんだ。ウェスタの女神は偶像が作られることなく、『火』そのものとしてあがめられた」
 ウェスタの乙女は、特別な祭り「ウェスタニア」中に麦と塩を混ぜたモラ・サルサを神への供物として作り、聖火にくべた。やがてローマ帝国にキリスト教が広まると、古代ローマの信仰は滅び、ウェスタ神殿の聖火も途絶えた。ローマ帝国は東西に分裂した。そんな話を今まで聞いたことがなかった真帆は驚いた。竈と家庭を司る女神ウェスタ。ウェスタの巫女の務めは、女神に捧げられた聖なる炎を決して絶やさないこと。それは姫に託された一万年後のマリス・ヴェスタである八木真帆の役割でもあった。ひょっとしたら、これが歴史に残されたマリス・ヴェスタの痕跡なのかもしれない。まさか、エイリア……アリアドネだけでなく自分まで? だとしたらもう、聖火のミッションに腹をくくるしかない。
「マリス(maris)というのは、ラテン語で『海』という意味だよね。アヴェ・マリス・ステラといったら、聖母マリアを讃えるイムヌス(賛歌)」
 クリスチャンだという飛鳥は歌った。真帆はずっと、マリス(malice)は悪意だと思っていた。スペル違いでそんな意味があったのか。
 ラビュリントスに掲げられた絵の最後の一枚は、神江原発第一の爆発だろう。
 この神江で、第三の道・ヱデンを目指すしかない。真帆は決心する。ここ神江にヱデンを建設しよう。神江にスマートシティ・ヱデンを建設するのだ。フリーエネルギーを中心とした自然との一体性の法則を体現した再生可能エネルギー都市。マリス・ヴェスタだった自分がアトランティスでできなかった事。復興するだけでない。そこからどう立て直すか、単に、フリーエネルギーを導入するだけではだめで、アトランティスの轍を踏まえなければならなかった。
「今でも99%の富を1%の人間が握る極端な貧富の差があって、戦争があって環境汚染がある事は変わらない。南北問題や、格差社会。それは巧妙になったけどアトランティスと全く同じような差別社会があるし、戦争も環境汚染もある。そこのところは何も変わっていない。だから宇宙エネルギーに転換するだけでヱデンは実現しないことは確かだね……」
 飛鳥は包帯を巻いた足をさすっている。
 アガペーとはすべてはひとつであることを悟ることだ。…世界がひとつになるときが来るのであろうか。
 消えたヱイリア・ドネとエストレシア・ユージェニーの行方を追う事も、可能になるだろう。アトランティスの二元性の闘争の繰り返しという名の迷宮の中へ、二人は消えていった。
「きっと、会えるんだと思う。どっかで、この時代に」
 アマネセル姫も、ヱメラリーダも。そして夢の中でも出て来る事はなかったヱイリア・ドネやエストレシア・ユージェニーにも。彼らは皆それぞれに、アマネセルから何かを託され、この時代にその役割を全うしようとするはずだ。
「諦めちゃいけない。妊婦さんを助けに行きましょう」
 真帆と篠田は頷いた。篠田は退避命令を無視する事になる。
 飛鳥は足をけがしているので動けない。
「行けないとは言わない。できるよ……あんたならきっと。絶対に」
 飛鳥は微笑んだ。
「うん」
「待ってるからね。また一緒に踊ろう。きっと戻ってきて」
 ガイガーカウンターと藤咲のメール情報を頼りに、真帆は妊婦救出に向かった。
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