▲太陽帝国 ラ・レミュルーの黄昏

文字数 11,532文字

アクエリアスの時代 二万六千年前

 暑い。眩しい。眼を開けると純白の神殿の中に立っている。
「やはり、『閃光のラ・ピュセル』とはあなたの事だったのか。久しぶりね、ヴェルデ」
 指名手配中のレジスタンスの女は、ゆっくりと顔を上げた。赤い軍服に身を纏う男装の、ウェーブがかったショートヘアの栗毛。オーロは彼女を、ずっと探していた。
「そうだよ、……オーロ。あたしだよ。ようやく会えたね」
 オーロの後ろにそびえる巨大な虹色に輝く「大トーラス」。それはラ・レミュルーの神聖幾何学の最高峰の技術の結晶だ。ティターン党の「金の巫女長」・アウルムはその前に立って、ヴェルデ・レイピアを見下ろしている。
 大トーラスは大神殿の中に鎮座する「冠柱石」と呼ばれる、円柱に球体が乗った構造体である。中心からエネルギーが吹きあがり、リンゴ状に円柱の下部へと戻っていくトーラス構造のエネルギー循環を伴うデバイス。まさに、後のアトランティスのツーオイ石と酷似した形状の装置だ。
 だが、この装置はクリスタル製ではなく、表面が虹色をした金属「超星石」製で、高さは十メートルとアトランティスのものより遥かに巨大だった。
 この神殿「大トーラス・カテドラル」は丘の上に立っており、窓から見える景色には、アヴァロンにあったキャメロット城のような様式の建築物が無数に存在していた。ここは、南インド洋上に浮かぶ、在りし日のラ・レミュルー。
 太陽帝国ラ・レミュルーには、ムーとは違い、様々な素材で多種多様な「神器」が存在していた。
 かつて「神々の黄金時代」に旧神たち、つまり宇宙の神人から授けられた設計図に基づく装置や建築群であった。その中でも丘陵の大トーラスは、特別である事を金の巫女長アウルム、すなわちオーロは知っている。
 オーロが白亜の神殿の中に立ち、ヴェルデを見下ろしているのは、その黄金時代から二千年が経過した時代らしい。この大陸で、永い平和は続かなかった。ラ・レミュルー帝国は、西に植民地ムーを持っていた。その植民地が独立戦争を起こし、帝国と現地での戦いが激化していたのだ。
 オーロは、ラ・レミュルー帝国に生きたマリス・ヴェスタの意識体だった。オーロは、植民地で蜂起した反乱者を倒すために、この装置を作動させようとしていた。それを邪魔する者は何者であろうと戦う。そう覚悟を決めていた。
 オーロは、ティターンのスワルト総帥の右腕アウルムとして、レジスタンス「ファントム騎士団」を追跡していた。金の巫女長アウルムと呼ばれたオーロは、「閃光のラ・ピュセル」を捉える作戦を考案し、遂に逮捕に成功した。
 閃光のラ・ピュセルは、これまで数々の妨害工作、テロを働いてきた札付きの女性テロリストである。治安部隊をぶっちぎって逃走し、決して捕らえる事が出来ないと言われてきた。しかしこれで、レジスタンス「ファントム騎士団」の本拠を見つけ出す事ができる。
「久しぶりね」
「やっと言える。……本当にすまなかった。あの時、援けられなくてごめん。あんたのお陰だよ。私が、今日あるのは」
 十年の時の流れはあっという間だ。当時、まだ十代の少女だった二人は、緑竜院(グリュンドラゴンロッジ)の生徒だった。二人は親友だった。緑竜院は、学長の大竜オリンを中心とし、その当時、反政府運動の拠点と化していた。そこへ、ティターンの治安部隊が襲撃した。
 ティターン党は、ラ・レミュルーで急成長を遂げる政党だった。数千年続いてきた自由選挙「オリンピアン」による民主政治は腐敗にまみれ、形骸化した。混乱を収拾するために台頭してきたのが、武闘派のティターンである。彼らの思想は、後の国家社会主義に酷似したものだった。だが、その急劇な改革は多くの反発を生んだ。
 伝統復活を掲げるティターンこそ、伝統を破壊しているのだというグループが出現した。彼らは「黄金時代に立ち戻れ」運動を展開した。しかし、ティターンはそれらの言論を、実力で悉く封殺した。
 腐敗が消え去ると同時に、自由も消え去った。教師はもとより、学院の生徒達が次々、ティターンの兵士に逮捕されていった。逆らう者は悉く、その場で即、殺された。
 オーロはヴェルデ・レイピアと仲間たちを逃すために、囮になったのである。三々五々逃げ伸びたヴェルデ・レイピアはその後、仲間との再会を果たしたが、結局オーロと会う事はなかった。連行された大竜オリンは処刑されたという。
「こんな形で再会するとは。時の流れって残酷ね」
 かつてのオーロとは違った目つきで、ヴェルデを見下ろしている。
「それはこっちのセリフだよ! 一体この十年が、あんたの何を変えてしまったんだ」
 この十年で、ティターン党は勢力を拡大した。党員のオーロは巫女として異例の出世を遂げ、ティターンの指導者アウルムとなっていた。
 ティターンはエレーナ女王を暗殺すると同時に政府を転覆させると、「太陽帝国」の異名を持つラ・レミュルーの全権を握った。
 かつて植民地ムーの独立を容認しようとした、主だった者たちは皆処刑された。アウルム達に反対する者は、レジスタンスとなって地下抵抗運動を続けてきた。ヴェルデ・レイピアは、その中で「閃光のラ・ピュセル」として新政府に追われる身だった。
 だが、アウルムが直接逮捕に加わると知ったヴェルデ・レイピアは、チャンスと捉えて、あえて捕らえられたのだった。オーロが共に学んだ仲間であり、唯一無二の親友だったからだ。ヴェルデ・レイピアは決死の賭けに出たのであった。
「ヴェルデ・レイピア、……閃光のラ・ピュセル。残念だけど私は今や大トーラス・カテドラルの金の巫女長アウルム。それに対してあなたは、この国の美しい伝統を全て破壊する者。哀れなものよね。ムーの奴隷たちを焚きつける反乱軍の一味に与するなんて、馬鹿な行為でしかない」
「馬鹿はお前の方だろ! この大トーラスは、決して、個人の欲望の為にあるわけじゃない。ティターンの野心のために利用しやがって。あんたが植民地戦争で、世界を滅ぼすためにこれを使う事なんて、決して許されない。そんな事させるために、大竜オリンは私達を育ててくれた訳じゃない!」
 ヴェルデは、窓からパステルカラーに輝くメタリックな素材の建築群を見渡した。ラ・レミュルーの都市は、美しいだけでない。全てが緻密な神聖幾何学で出来ていた。この世界の建築物は、高次元幾何学の世界であり、ピラミッドもそのひとつだった。その神聖幾何学の頂点に位置するのが、冠柱の最高峰と誉れ高い大トーラスだ。もしも、悪用すればどうなるか。それは世界の終わりを意味する。
「覚えている? オーロ。大竜オリンがあたし達に言った事……。全ての神聖幾何学はあまねく世を照らし、全ての生命を生かすためにあるんだって」
「神聖幾何学を知らぬ者は、この門をくぐってはならない」
 緑竜院の入口には、そう記されていた。
「あんな男の言った言葉をまだ覚えているとはね。あの男こそ、伝統の破壊者なのに。誰も、もうこの国では今やあの男の名を口にしたりはしない」
「忘れたなんて言わせない……! あんたにとっては、オリンは恩人以外ではないはず。私達を育ててくれた恩人に対して、そんな事決して言う人間じゃなかった。今のあんたがここに居るのも、彼が教えてくれたからこそなのに。だけど、師の教えをあんたは悪用している!」
「彼はムー人をかくまった重罪人。このカテドラルで、二度とその名を口にしないでもらいたい」
「あんた達は、ムー人には魂がないと言い張っている……」
「それが真実だからよ。彼らは『人』ではない。彼らは、ラ・レミュルー人と一緒ではない」
 ラ・レミュルーの植民地ムーは、太平洋上の広大な土地に、ラ・レミュルー人の十倍の人口を抱え、農業が発達していた。農作物は世界中に輸出してまだ余りある程の農業大国となっていたが、宗主国ラ・レミュルーがその利益を独占していた。それだけではなく、ムー人は奴隷として売買され、帝国内の第一次産業、第二次産業に従事していた。
 ラ・レミュルー人は労働を最低賃金で彼らに押し付ける一方で、自分達は学芸、すなわち学問・芸術などの文化やスポーツに興じる「貴族階級」として市民生活を満喫した。確かにそれで、ラ・レミュルーでは学芸が著しく発展を遂げたのは事実だった。
 一方で、ムーは世界一豊かな農業大国として成長していたにも関わらず、永年隷属関係におかれている事に対し、日々不満が高まっていた。ティターン党が政権になってからは、ますます両者の関係は悪化した。
 怨みは蓄積し、ラ・レミュルーで不当な扱いを受けている事に対し、不満が爆発した。遂に植民地独立戦争として発展したのである。
 植民地戦争は泥沼と化していた。ムーの独立は免れなかった。数においてムー人は、ラ・レミュルー人の十倍も存在した。政府たるティターンは、ラ・レミュルーの権益を守るため、ムーとの戦争を継続しなければならなかった。止めることは決してできない。それと同時に、彼らは和平を提唱する反政府レジスタンス勢力とも、戦わなくてはならなかった。なぜなら、国内のムー奴隷たちを反乱の兵士として組織化しているのが、当のレジスタンスだったからである。その中心がファントム騎士団、すなわちかつての緑竜院のグループだった。ファントム騎士団はプロパガンダを打って、植民地奴隷のムー人を糾合していた。
「そんなのウソだ、嘘だッ! 自分たちに都合のいい論理でしかない……。人だと思ったら奴隷扱いできないからなんだ。あたし達、ムーの友達と一緒に遊んで育ったじゃないのさ。……忘れたのか? あなたの美しい魂は、一体どこに行ったんだ」
 
「ムー人もまたラ・レミュルー人と等しい権利を持った『人間』であり、ラ・レミュルー人が彼らの自由を勝手に奪う事は赦されない……」

「黙って! 事の善悪は私達が決めるわ。……ヴェルデ。奴隷は私達の生活に必要不可欠な存在。この国の誰も、その利便性を手放す気はない。あなたにだって奪う権利はない! 間もなく、植民地戦争は雌雄を決する。ラグナロックが始まろうとしている」
 ヴェルデは「大トーラス」の名で知られる冠柱石を見上げて宣言した。
「そんな事したら、この国はすぐにヴリトラが充満する! この大トーラスは世界を映し出す鏡だ。あっという間に大陸が沈んでしまう!」
 ヴェルデの大声が、大カテドラル内にこだました。五十人の衛兵達が構える銃剣がガチャンと音を立て、一斉にその切っ先がヴェルデ・レイピアに向けられた。
「あんた達は、今がアクエリアスの時代だって事がまるで分かってないよ。古(いにしえ)の予言は真実だった。……二千年前、一体何の為にこの島に、こんな高度な神聖幾何学を、旧神たちは私達に授けてくれたのか。全部、今日の時代の為だったんだ。そのギフトは、地球人が宇宙社会の仲間入りを果たすために他ならない! もしも今日、ガイアが次元上昇に失敗したら、その時はこの国は沈んでしまう。この国にある、全てのエネルギーを引き込む構造計算の建築物にヴリトラが充満して、わずか一日で沈む。今のアクエリアスの時代に旧神の仲間入りをしなけりゃ、次のチャンスは一体いつだ? えぇ? レオの時代だよ! およそ一万年後になる。そんなビッグチャンスを、みすみすあたし達は地べたの争いで逃そうとしているんだ! くだらない争いで-----」
 二千年前は旧神の時代と呼ばれる、宇宙文明の交信が盛んな時代だった。以来永い事、ラ・レミュルーでは旧神との交信が途絶えていた。それはラ・レミュルー人が空へ意識を向ける事を止めて、地上の利権に眼がくらみ、ムーの植民地へと意識が向かうことで、次第に減少していったからだった。
「どうやらあなたには、もう手がないようね……。でたらめな予言なんか持ち出して、あたしを説得できると思う? フン。残念ながら、あなたの言葉、私には響かないわね。無駄ね」
 ヴェルデは接見の後、独房に入れられ、尋問を受ける予定になっていた。
「この大トーラスは、あんた達のオモチャなんかじゃ……ないんだ! あんたにはリリ・アクヤが宿ってしまっている!」
 リリ・アクヤとは、ラ・レミュルーで伝わる世界を滅ぼす悪魔の名だ。
「私にそんな口を聞くなんて! 許せない、罪人のくせして。二度と、二度と私にそんな口を聞くな」
 オーロの金髪が蛇のようにうねっている。ヴェルデ・レイピアが説得に失敗した事は明白だった。
「戦闘舞踏チェスで勝負だ……受けて立ちなさい」
 衛兵たちが取り押さえようとするのをアウルムは制止した。それはラ・レミュルーの魔術師にとっての決闘の儀式である。オーロは自分の手で処罰するのだと云った。
「フッ、フフフ。その言葉を待っていたよ。オーロ。あんたは必ずデュアルを申し込んでくると思っていた。……忘れたのか、私がどんなに狡猾だったか。オーロ。私はあんたが、閃光のラ・ピュセルが私だって事に気づいたら、必ず決闘したがるはずだと予想していた。デュアル、受けて立つ。もしあんたが改心しないんなら、私はあんたを殺す」
「決して……誰も手を出さないで」
 オーロは確信していた。ヴェルデは、閃光のラ・ピュセルは金の巫女アウルムの力を見くびっている。大トーラスは、オーロ自身の力を増幅するように調整されていた。
 ヴェルデ・レイピアとオーロは戦いの舞踏を通して、五感に反応するコマを生み出し、操作する。
 ヴェルデはジャズダンス風、オーロはロックダンス風。
 二人の激しいダンスは、カテドラルを揺るがすコマ同士の無数の色と音、フレグランス、あらゆる感覚器官に反応し、まるで破裂する花火のように、美しくも壮絶な戦いを展開していった。
 カテドラル内ではヴェルデ・レイピアの魔術は最初から弱められ、オーロは相手を圧倒した。ヴェルデ・レイピアには初めから勝ち目はなかった。それでもヴェルデは勝負を挑んだ。
「これで勝ったと思うのか?!」
「いいえもうお仕舞いよ、ヴェルデ。諦めなさい」
「私がこの展開を予想してなかったと思う?! ……あんたにはまだ、美しい魂が宿っているのが私には分かる。今ならまだ間に合う。ムーンムーン、ラピサ、ハーキュリー、ムート隊長、そしてマアト様。みんな助かったんだよ! 皆、居るよ。あの時、オーロが逃してくれたから。みんな、待ってるんだ。マアト様なんかさ、もしあたしが連れ帰ったら、自慢のカレー・パニール作るって言ってさ。あんた、鍋好きだったろ?」
「負け惜しみのつもりなの? 言う事なす事あなたの存在全てが、……私にとっては、どうでもいい過去の話」
「そうかしら。その眼を見れば分かる。本当は……」
 大トーラスをコントロールする権限を任されたオーロを、迷妄から救い出す。ヴェルデは、今日この再会をどんなに夢見た事か。彼女はきっと分かってくれると。だが、それは不可能だったらしい。かろうじてヴェルデ・レイピアは大カテドラルを脱出した。
「私はあきらめないよ。オーロ、いつかきっと分かってくれるって信じてる」

(私の友達。許して……ヴェルデ。いいえ、許して欲しいなんて都合のいいことを言うつもりはない。誰にも、理解されなくてもいい。やつらを、ティターン党の恐ろしさを、私は誰よりも知っているから。あなたたちよりもずっと。だから、ティターン党が私を信じている間は、絶対に絶対に、大トーラスをやつ等の自由にはさせないのよ。一切、私は触らせはしない。私に任せて欲しい。あなたの言った事はすべて、本当のことよ。……いつか、分かってくれるかな)
 この大トーラスを、ティターン党の邪悪な力から守るために、捕らえられたオーロは党員になった。そして金の巫女長アウルムとなって、ここに結界を張った。ティターンを操る暗黒神リリ・アクヤを寄せ付けないために。
 ムー人に魂がないなんて、そんな党の嘘なんて信じてはいない。彼らがリリ・アクヤを召還する前に、自分自身で光明神キーラ・メルパを召還するために、オーロはここに居るのだった。

 ファントム騎士団の拠点は、緑光都市にあった。そこは、文字通り建築物が緑色で統一された美しい街だ。帰還早々、ヴェルデの身体に問題が起こった。ヴェルデの身体には、霊的な光る剣が数多く突き刺さっていた。バトルの最中、突き刺さった霊的な剣だった。それを術者が一つ一つ取り外して治療すると、翌日、ヴェルデ・レイピアの身体に光の花が芽を出した。ティターン党は彼女がオーロと会う直前に、ヴェルデ・レイピアに「印」をつけていたのだった。オーロが気づかぬうちに。
 緑光都市に、ティターン党の精鋭部隊が襲来したのは、それから四日後のことだった。
 ヴェルデ・レイピアから出現した黄金色の光は、八つの頭を持ったヒュドラへと化した。それはヴェルデ・レイピア自身を喰らうと、さらに巨大化した。
 ルージュの巫女マアトが、通信している旧神の一人の言葉を告げた。
「アウルムが、リリ・アクヤを召還してしまう------。この戦いは、宇宙戦争のひな型です。ラ・レミュルーでの戦いは、宇宙的影響が大きい。ここで失敗すれば、地球は次元上昇できず、眠りに着くでしょう」
 旧神たちはなぜ、黄金時代以降去ったのだろうか? それは、今日の状況を見越しての事だったのかもしれない。
 光の大蛇に翻弄され、ティターンの兵士の攻撃を受けたファントム騎士団はあえなく全滅した。
 残されたオーロ、即ちアウルムは、一人で大トーラスに向き合っていた。これこそ神聖幾何学の最高峰。そこには魂が宿ると言われている。アウルムは大トーラスに、エネルギーを充電していった。ムーへの気象兵器として活用するという表立った理由で、地球を次元上昇するためだ。あたかも、ティターン党には、ラグナロックで秘術を駆使して、ムーの反乱者に呪いをかけていくことになっていた。……もうすぐだ。
 大トーラスが、「久しき昔」を奏で始めた。
 その直後、上空に、リリ・アクヤが出現した。大トーラスはヴリトラの循環機と化していった。
「そんな、そんな馬鹿な……私は今度こそ、あなたを……キーラ・メルパを、いや、プレベールを召還したはずなのに!」
 ヴェルデ・レイピアの予言は正しかった。地殻変動の反応が表れたのは、結果的にラ・レミュルー大陸だけだった。ムーには何の影響も及ぼさなかった。それはエネルギーを受信する装置が、山ほどあふれたこの国の宿命だった。エネルギーを受信する建築物という建築物が連鎖反応を起こして、ヴリトラが国土を満たしてゆく。ラ・レミュルー大陸は沈み始め、翌朝には大洋が全てを飲み込んでいた。
 こうしてラ・レミュルーが沈んだのは、僅か一日の出来事だった。大トーラスは世界を映し出す鏡。その意味をオーロは最後に理解した。太陽の帝国を滅ぼしたのはオーロ、マリス・ヴェスタその者だったのだ。

 悲しい。悲しい……っ!
 マリスは突っ伏し、涙がとめどなく流れている。
「何を泣いているの?」
 横に立ったプレベールが心配げに尋ねた。
「悲しい、芸術が滅んでいくのは悲しい」
 マリスはわんわんと泣き、自分がどれだけラ・レミュルーを、この芸術が、美が真理の、感性を磨き上げた文明を愛していたかを知った。泣けて泣けて仕方がない。
「自分が芸術家だから、悲しいの」
 その美が、どれだけ価値があるかということを知っているから。
「そういう時期なのかもね」

 オマエの……オ・マ・エの……せいだッ!

「私……まるでシャフトの議長そのものだ。そんな……そんな事。認められない」
 アトランティスだけの話なら、自分で自分の行動には責任が取れる。ムー、ラ・レミュルーの生は、マリスに取って不本意で、あまりに想定外な結果だった。いや、そうではない。この過去への旅路は、プレベールと契約して飛んだもので、アポフィスを追っていた。
 だがムーでは非力さを感じ、さらに過去へと遡って追跡したマリス・ヴェスタは、ラ・レミュルーで誰にも邪魔されない絶対権力を獲得し、世界を救うはずだった。それがなぜシャフトのような過ちを犯す?
「マリス・ヴェスタよ。お前は私と契約したのだ。この悲しみの星で、お前にずっと力を与えて来たのは私だ。お前は闇の子だぞ」
 アポフィスが、三日月の様に眼を細めた笑顔でマリスに語りかける。
「そうじゃない。私は、プレベールと契約したんだ。アポフィス、お前なんかじゃない!!」
「お前は過去の文明末期のラグナロックで、何度も何度も私の力を利用し、その都度闇の世界へと入ってきた。さぁこっちへ来い」
「マリス……戻って来なさぁい!」
 その声はマアト、正義の女神として知られる聖霊のものだ。ラ・レミュルーの末期に、ファントム騎士団のルージュの巫女と呼ばれた。数少ない、旧神たちとの通信者として生を受けていた。マアトはアトランティスで、アマネセル・アレクトリア王女として転生する。
「もうどうすればいいのか分からない。あたしは闇の子。だから、幾ら助けてくれても、救いなんかない!」
 いつだってマリスはアポフィスに騙されている。
「いいえ、あなたは光の子よ。あなたさえ、心を変えれば……全ては変わるはず。世界は変わる」
 アポフィスとマアトの引っ張り合いの狭間に、マリスは居た。
「私がいるから、いつもいつもレジスタンスは失敗してしまう。私がいると……。やっぱり私なんか、私なんかいない方がいいんだ!」
 マアト女神は何度も何度も、これまで彼女を救済しようとしてきた。その都度、マリスは結局アポフィスに利用された。
 絶望の渦に、マリス・ヴェスタは引きずり込まれていった。幾転生、マリスは取り囲む闇から這い出そうとして、闇に取り囲まれていったのか。
「あなたの心には光がある。早くそれに目覚めて、私の仲間になりなさい!」
 マアトの光り輝く実相は、アウローラという虹色の暁の女神に変わっていた。マリスはその言葉にひるんだ。
 自分が光の子だなんていわれても虫唾が走るだけ……どう考えても闇の子だ。マリスはそう思った。
 しかしマリスに呼びかける者は、決してマアトだけではなかった。こんなマリスを仲間が助けに来てくれる。深淵に落ちていくマリスを、あのヱメラリーダが腕を引っ張っている。
「何言ってんの? お前はもうあたし達の仲間だよ! あんたが居ないと、このドラマのパズルは完成しない。インディックがそう言ったはずだろ。私さ、……私、あんたにエラそーな事言ったけど、なんか昔、メチャクチャ悪人だったらしいんだ。その事自体はよく覚えてないんだけど、凄く前の時代の事らしい。それが嫌で嫌で、なんとか人の、姫の役に立ちたくて、いつも死んでしまうのかもしれない。でもねライダーだって……臥龍将軍はムーの最期に世界を破壊したでしょ。インディックだって札付きのウィザードハッカーだった。隊長だってオージン卿だって……円卓の連中って、皆、どこか脛に傷を持っている奴らなんだ。政府に追われてるだけじゃない。姫も、実はラ・レミュルーで何かがあったみたい。完全にまっ白い人間なんて、きっと、どこにもいやしない」
「ヱメラリーダ! 私は本当は闇の子じゃない、アポフィスの手先じゃない! 手先なんかじゃ……私は、もうこんな人生イヤだ!」
 マリス・ヴェスタは叫んだ。
 はっきりと拒否したものの、正義の女神マアトの言葉はマリスの魂に焼きついていたらしい。ムー大陸が崩壊した直後、マリスの魂は強烈に思った。アトランティスでは、絶対に失敗しないと。それなのに……。
 マリスを救ったヱメラリーダの意識体が、遠のいていく。
「ま、待ってヱメラリーダ。……私を置いていかないでェ!」
 ヱメラリーダなら、闇落ちした自分を救ってくれるヒントを何か持っているはずだった。
 プレベールはずっとそこにいる。マリスを、決して見捨てたりはしない。
「私とヱメラリーダは、ずっと戦いを続けて来た。そうなんでしょ」
 二人の関係は……。
 ヱメラリーダとマリスの意識体は、サンサーラ(輪廻)を繰り返し、文明末期に必ず訪れる光と闇の戦いで、同じ戦いを続けてきた。二人は永劫的に宿命のライバルだった。ヱメラリーダ自身は、生前ヱイリア・ドネこそがライバルだと思っていたらしいが、真のライバルはマリス・ヴェスタだったのだ。
 二人のように、光の子らと闇の子らの戦いは、この星でずっと続けられてきた。
 人類は、最高度の文明を築き上げ、様々な素材で出来た、ツーオイと類似した「装置」に希望を託しつつ、そこへ「プレベール」のような光の存在を召喚しようとしたが、結局は「アポフィス」に乗っ取られていった。
 闇の勢力が世界を支配してアポフィスを召喚し、ヴリトラをまき散らす最後の瞬間、ワルキューレのようなレジスタンスが立ちあがり、闇堕ちした集団と戦う運命は、いつの文明末期でも繰り返したのだ。
 マリス・ヴェスタの意識体は常に闇の側として、光の側、つまり円卓の騎士たちを攻撃した。それが、プレベールが明らかにした記憶なのだ。
 ラ・レミュルー、ムー、有史以前からガイア史上、何度も繰り返されてきた「ラグナロック」。それはマリス自身の物語でもあった。
「あなたの文明……、アトランティスでもね」
「くっ」
「ラ・レミュルーの前の文明は、ハイパーボリア大陸。ハイパーボリアは、『真夏の大陸』と呼ばれた理想郷。もう、想像がつくでしょうけど、その時、極移動が起こったの。そこであなたは、リリ・アクヤという名の悪魔と同一視されていた。ところが極移動が起こり、自然と一体となった農業大国・ハイパーボリアは、氷河期に入り、極寒の地となって滅んでいった」
「もう分かったワ! もう聴きたくない。……自分が過去、今と全く同じ事をしている事を、わざわざ聞きたいと思う? 私がどんな気持ちでそれを見ていると思う? どこまで遡っても、私は世界を滅ぼした罪人だった」
「カルマは、正反合の統合を自己の魂の中で行い、バランスを取ろうとしている事。今度こそ失敗しないようにと」
 プレベールは、変わらず澄んだ声でやさしく語る。
「だけど、ずっと私は失敗し続けている」
 それに対するプレベールの返事はない。
「また、逃したわね。……アポフィスを。いいチャンスだったのに」
「どこへ?」
「さらに過去へと遡上していったわ」
「そういえば、ヱメラリーダはどうなったんだろう? アトランティスで最後、長く苦しみに留め置かれるって、帝が言ってたけど」
「ヱメラリーダはその自死によって、魂を損傷したの。彼女の魂の中で、ヱメラリーダの部分が欠損している。その修復には長い時間が掛かる。それを救えるのは、あなたしかいない」
 わたしが……。
「だけど、いつもいつも、私は世界を救うつもりが失敗して、何よりヱメラリーダを傷つけている。今度は、世界を救えるかどうか分からない。けど、もう自分のせいで、ヱメラリーダを傷つけたくない。苦しめたくなんかない。ヱメラリーダを救いたい。彼女を。もしやり直せるんだったら、問題のきっかけになった根源の時代に、私は行きたい……」
 こんな自分じゃダメだ! オーロは、金晶は、マリス・ヴェスタは決心していた。
「最初の根源の時代に戻って。……そこに、アポフィスが居るんでしょう? ……私、どうしても諦めきれない」
「あなた達の対立の根源の時代へと遡る。アフリカのエデナに奴は行った」
「……それってヱデンの事?」
「そこも、ヱデンと言う名の文明のヴァージョンの一つ。これ以前の事を、私は『旧世界』と呼んで区別している。なぜなら、ムーやアトランティスと違って、それ以前の世界は、全面核戦争で滅んでしまったから」
 とうとう、あの海王オルカが言っていた時代だ。
「私もそこに、きっと関わってるのね」
「えぇ------。覚悟を決めて。古代核戦争は、太古に実際に起こった出来事。このアフリカのエデナという文明で、あなた達は……」

 あきらめない。私はあきらめない。たとえ世界を救えなくても、私はヱメラリーダを救う。私は……

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