▲ロスト・パラダイス

文字数 3,970文字

 太陽ピラミッドは「久しき昔」を流している。それは後に「蛍の光」という名で知られる曲だった。
アクロポリス上空を巨大なキノコ雲が陣取っている。絶え間なく繰り返される大地震の揺れの中で、マリス・ヴェスタはようやく大神殿へと到着した。その頃にはもうアマネセル姫達もヘラスの兵士たちも脱出した後だった。遅かった。アポフィスが出現した。いいや、まだ出来る事が何かあるはずだ。そこへ波がドッと押し寄せてきた。これで、今度こそ完全にマリスの人生は終わりを迎える。焔の円卓のメンバーはもちろんのこと、ヘラスの兵士達、みな全滅だろう。
 マリスは波に飲み込まれ、もがくことすら許されない荒波の中を、まるで人形のように舞っていた。このまま意識が暗くなっていくのだ。死は近い。
「焔の円卓の戦いは、あと一歩のところで、時が尽きたようだが!」
 荒波を超えて、聞きなれた海王のテレパシーが響いてくる。激しい波風の中、皮肉に満ちたそれはマリスの心に届いた。
『まるで、人事だな。彼らは』
 こんなに死を予感しながら、マリスはまだ自分にそう思考する余力がある事に驚いている。目の前に巨大な海王の顔があった。
「お前はツイているな。我々は別に助けに来たわけじゃない。この波でここまで来て、たまたま浮かんでいるお前を見かけた。その身体、いつまで持つか? さぁこうなってはもう覚悟しろ。いよいよ宇宙へ行くしかあるまい」
 海王は帝のプールから波に乗って大海へと滑り出したばかりで、本当に偶然マリスを見かけたらしい。そうして海に呑まれ、死ぬ運命しかなかったはずの瀕死のマリスは、いつかオルカの背に乗せられ海面を漂っていた。
 オルカは沖へ向かって猛烈なスピードで水面スレスレを駆った。一体どこへ連れていくつもりだ? マリスがぼんやり考えていると、巨大な鯨の群れに取り囲まれている。その巨大な体躯を持ったモノ共は、誰もカレもがマリスに「宇宙へ行け」というテレパシーを送ってくるのだった。このままでは本当に、あの茜色の空の向こうから何かがやってきてマリスを引き上げる気がする。
「待って。私を……宇宙へ連れて行かないでェ! その代わり太陽神殿に連れて行っていって欲しい。私、まだこの国でやる事があるから」
 この国(しま)で。この星(くに)で。
 自分の中に灯った円卓の火は、この津波で世界が破壊されてもまだ消えてなどいないのだ。もし時間が残されているのなら、マリスは海の支配者たちに救われて、自分一人が宇宙に脱出したなどと、円卓の騎士達の魂達に思われたくない。
「行ったってもうどうしょうもない。いつ死んでもおかしくない。またあそこへ戻ったら、本当に命の保証はない」
 たまたま通りかかったくせに海王はやけにマリスの事を気にしている。
「皆死んでしまったんだから、私がやるしかないじゃない。私はあきらめない」
「それがお前の決心か。ならやむをえん」
 マリスはにらみつけるように頷いた。
「本当に……これでよかったのか?」
 海王は津波の勢いを逆に利用して、背中に乗せたマリスを太陽神殿へと運んだ。マリスの身を案じ、本当に宇宙に連れて行きたかったのかもしれない。
「ではこれまでだ。さらば! またいつか会おう。白と黒の翼をもつ天使、マリス・ヴェスタよ!」
「その呼び方は……止めて……よね」
 半分水につかったピラミッドから、依然、「久しき昔」が流れている。普段は祭の最後に流される曲だ。あの即決裁判の夜、流星を眺めて聞いた。ツーオイ石がなぜか誤作動で流している。しかも、全アトランティスに向けて。
 ピラミッド前のがれきの中にヱクスカリバーが輝きを放って立っていた。死んだライダーが持っていたヱクスカリバーだった。聖剣は英雄から英雄へと渡り歩くという。マリスはそれを抜くと担いだ。
崩れゆく大地に建ち続けるピラミッドの中に入ると、マリスは動かない身体に鞭打って、山の様に死体が浮かぶ波間を、水をパシャパシャかき分けて半分水に沈んだ重心室に入った。どうやらまだ手も足もちゃんと動く。生きている者は何もいない。
 シャフトのクーデター以来初めて、マリスはツーオイ石の前に立っていた。やはり「久しき昔」のメロディを唄っているのはツーオイ石だった。さっそくマリスは、背中に担いでいたヱクスカリバーを抜いた。すると、ツーオイはメロディを止めて、冠石たる火石が宙に浮いた。冠石を支えていた水晶シリンダーの空洞が開いた。マリスはヱクスカリバーをシリンダーの中に入れた。火石はゆっくりとシリンダーの上部に降りていった。これが、ヱクスカリバーとツーオイ石による「剣と聖杯のタントラ」だ。マリスは、ツーオイのデータコアへのアクセスを試みた。
 大量のヴリトラを放出したツーオイは沈黙している。五つのステラ・クォーツ発電所のヴリル・デトックスに成功したとしても、本丸たるツーオイのヴリトラの量は全く減っていない。これ程までにヴリトラにまみれたツーオイと言葉を交わせることができるのかどうか、最高のテクノクラート・マリス・ヴェスタとて自信はない。
 だが、語りかけるしかない。たとえ機械でも、精巧であればあるほど、あたかも知能だけでなく、次第に“感情”が芽生え、“魂”が宿る。そういうものではないか。マリスにもお気に入りの機械やクリスタルが多々ある。何となく分かっていた事だ。いいや、そうではない。最初からクリスタルには「魂」が宿っていた事に気付いていた。もう王党派達の言う通り、「ツーオイ」には最初から魂が宿っていたという事実に。その事実を認める事がツーオイを解き明かす事になる。その思考のプロセスでマリスは、プレベールの存在について一つの結論を導き出していた。かつて到達した仮説に。
 ガイアは「モノ」や精巧な「機械」などではない。ガイアという一個の鉱物もまた生命なのだ。それは「モノ」ではなく、「魂」を宿している。それもまた、人間と同じ電磁波生命なのだ。あまりに巨大過ぎて、生物だとは気付かない。そして重要な事は、ツーオイがそのガイアの一部だという事だ。ガイアに宿る魂はプレベールという姿を獲ってツーオイに宿っている。プレベールは人の姿を取っている。逆に考えるとガイアに宿る魂というのは、かつての人間の魂が進化した存在だ。その証拠が、ひな型たるプレベールの存在である。
「奴隷や世界征服、権力闘争などで他者を犠牲にすべきではない」
 王党派は自己犠牲をもいとわず、シャフトに一体性の法則を伝え続けた。そうだ、生命は尊いのだ。それでもシャフトにとってキメラは、ずっと「魂のない存在」だった。「魂がない」とは、つまり機械であり物である。クリスタルももちろん、魂がなく、ただの物でしかないと考える。だから戦争で利用する。だがクリスタルが生命である以上、それを奴隷化しようとするのは愚行だ。
 それが生命であれば、クリスタルは生命維持の為に、それを操作する者に対して必ず反作用を及ぼす。生命である以上、奴隷は奴隷のままではない。生きていくために必ず反乱を起こすのだ。ましてツーオイに都市を丸々養ってもらっているアトランティスは、その反作用でどんなに恐ろしい災厄が訪れるか、もっと早く想像力を働かせるべきだった。「想定外」などでは済まされるはずがない。ツーオイというものを、いや生命というものを軽く扱ってはならない。敬意を払い、徹底的に知り尽くさねばならなかった。だがそれを怠った事で、今日のアトランティスは破滅を招いてしまっている。だが、一体どうすればツーオイの中のプレベールを目覚めさせる事が出来る?
(駄目だ、考えがまとまらない)
 焔の円卓には虚偽を伝えたが、プレベールの受肉に、マリス・ヴェスタは成功していた訳ではない。自分のブレスの中にも存在していない。まだ真のプレベールがツーオイの中には眠っているはずだ。もしそれを目覚めさせる事ができれば、最後の一縷となるかもしれない。
 インディック達はラビュリントスのホールで見たと云う六つの絵について説明してくれた。その意味を、マリス・ヴェスタは今になると分かった。
 ラビュリントスの六つの絵。アヴァロン島。アクロポリスのサーキット、アラオザル神殿、踊るアポフィスとプレベール。そう、プレベールは確かに居る。残る絵は「二つの樹」。これはヱデンの智恵の木と生命の木かもしれない。最期は爆発の絵。これは分からない。色々想像できるが終末の絵かもしれない。
だが少なくともここで終わりではない、という事だ。
 答えは一つだ。たった一つ。召還の為に、もう自分が唄うしかない。姫は無論、三姉妹の三番手のヱメラリーダですらもういなかった。歌唱力も遥かに劣っている……。情熱党は全滅し、ただの追っかけマニアでしかないゴールデン・キャットガールことマリス・ヴェスタが唄うしかない。そして舞うしかないのだ。なぜならソプラノの中に隠したプレベールを開ける方程式……その鍵は自分しか知らないのだから。アクロポリスを脱出した際と同じ状況。このアトランティスをもう一度やり直すために、マリスは地震と津波の続くピラミッド神殿の中で、マリス・ヴェスタはゴールデンキャットガールへと変貌を遂げた。ぴんと立った耳、尻尾、その光眩く輝く獣人、キメラのような姿。そうしてマリスは、ツーオイとの対話、ソプラノ・マントラを紡ぎ出していった。

 私は、ゴールデン……キャットガール。ヱメラリーダ達を焚きつけ、ワルキューレの技を復活させたのは、私……!

 汗をにじませ、うなされたような声を出して寝ている真帆を、隣の篠田が心配そうに見ている。
「私は……ゴールデン……キャットガール……」
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