▲ゴースト・イン・ザ・マシーン「邂逅」

文字数 2,328文字

紀元前八〇八七年十月二十五日

 アクロポリスを駆け抜けるクリスタルサーキットが激しく回転する間、アマネセルはソプラノ・マントラを唄い続けている。祈りの声は、宇宙からアガペー次元のヴリルを引き込んでいく。ヱメラリーダはそれを補佐するように唄っていた。
 依然として、精霊はツーオイ石から水晶球の中に出現しなかった。時間が迫る中、マリスは不眠不休でクリスタルに立ち向かっていた。インディックも同様だった。本当に「彼女」は存在するのだろうか。それを多くの者が疑い始めている。
 その最中に、さらなる巨大地震が起こった。赤・黒・白の三色のビルというビルが崩れ始めた。それは壊滅的な打撃をアクロポリスにもたらした。シャフトがまたツーオイに無理な攻撃をさせたためだ。
「遂に、ヘラス本土への攻撃が始まったようだな!」
 アルコンのいらだちは、マリスのものでもあった。議長はこちらがツーオイの精を召喚しようとしまいと攻撃を始めた。
 姫が水晶球をじっと凝視している。上部のヱメラルドが激しく光を放つ。何かが顕現しようとしていた。それは次第に人の形を取りつつあった。闇の中に深く沈殿し、胎児の恰好でうずくまっている。姫には緑の石を通して、遠くツーオイ石本体が視えていた。もしもツーオイ石を地球に見立てるならば、胎児の姿は見る見る成長を遂げ、それは今、少女が胎児のポーズで眠っている。その実在は、円卓の騎士たちの間ですら疑われた、ツーオイの精だった。
 必死で語りかけて来たアマネセルによると、それはクーデター以前より、情熱党の歌によって、宇宙のエネルギーの蓄積と共に呼び出されていたらしい。失踪したヱイリア・ドネとエストレシアと、ヱメラリーダ、それにアマネセルが唄うソプラノのエネルギーによるものだという。ツーオイの底に沈殿していたその存在が、浮き上がったのである。
 かつてマアトはツーオイに宿る女神、それはプレベールという名を持つと言った。マリス・ヴェスタは確信していたものの、目の前に出現するまで本当には信じきれなかった。ヱメラリーダさえもプレベールの存在は信じていたものの、実は確証があった訳ではなかった。自分とヱイリア・ドネとエストレシアの三人で、本当に召喚出来ていたのか。その確証を得る前にクーデターが起こってしまったからだ。円卓の中で確信しているのは、それを呼び込む計画を立てたアマネセル自身だけだった。
 インディックは収集したデータをモニターに視覚化した。プレベールはまさしく彼らの目の前に存在することが、メンバーらに観察された。純白に輝く肌、髪は薄い紫であり、うっすらと開いたその瞳は金色である。無機質なクリスタルの中に、確かに情感の籠った生命が宿っている。
 プレベールはアガペーのヴリル、すなわち愛(アモーレ)の度数が高まったことによって出現したツーオイの精なのである。プレベールがもしアマネセルのソプラノに乗って一緒に唄ってくれれば、ガイアをマカバが包み込み、次元上昇するだろう。
 マリス・ヴェスタはプレベールの出現に興奮しつつも、かつてない程追い詰められていた。もはや世界観の転換は避けて通れない。「石」が透明な機械ではなく、結論として生命を持った存在であるならば、その延長に鉱物の塊である「星」も生きている事になる。人間は、その「星」から誕生した生命の一部、星の表面で動き回る細胞である。さらに、その「星」が無数に存在する「宇宙」というものは、結局それ自体が一個の巨大な生物という事になるのだ。つまりそれは情熱党の、いや王党派の秘儀とほぼ一致する結論に至る。その時に、レジスタンスを妨害する立場の自分に、一体何の意味があるというのか?
 アトランティス人はクリスタルの神秘に気付きながら、生命であるという理解が及ばなかった。それ故に、その延長である星という生命体と自分が一体である事に気付かず、星と人間は分離した生を今日まで選択してきた。アトランティス人、シャフト評議会は半獣人と同様に石を機械と考え、奴隷化してきた。だが、一体性の法則の守護者・ドルイド教団とアトラス皇帝はそれをずっと警告してきた。アトランティスの大地が何度も沈み、その面積を縮小してきたのは、つまり星が生きているからに他ならない。
 マリスは、カンディヌスに訊かれた通り、このままレジスタンスの成す行為を邪魔しない方がいいのかもしれなかった。素人集団といえども円卓の騎士は、もしかするとやるかもしれない。それなら自分の「作戦」など、実行しない方がいいのかもしれない。マリスとカンディヌスの計画が、このまま水の泡になったとしても。
 しかしそれは懸念だった。アマネセルの予想は的中した。プレベールの性質は、ツーオイ石自身によく似ていた。彼女は人間の味方ではなく、「美しい生命」の味方だった。人間が美しい生命なら、何の問題もなかった。アトランティスの初期の時代の人間は、あたかもヱデンの住人のままに生きていて美しかった。しかし今現在の、文明末期のアトランティス人のはそうではない。顕現したプレベールは人間に幻滅していた。シャフトを通して散々に、人間に幻滅したツーオイ石の精は、人類全てに幻滅したのだった。姫でさえ、その中に含まれていた。「人間に裏切られた」。それが、プレベールの想いの全てだったのだ。
 今、アマネセルにできることは、ソプラノの歌で必死に説得を続ける事しかなかった。姫がプレベールの説得に成功するかどうかは、時間との勝負だった。しかしその声がかすれている。姫はもう唄えない。インディックは姫の体力が回復していない事に気付いていた。姫は少し休む必要があった。
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