▲死都ネクロポリス

文字数 7,394文字

 ヱメラリーダ・ロックバルト。
 燃えるような赤毛のショートヘアがところどころ、外側に跳ね上がっている。端正な顔立ちに、やや釣り眼ぎみの翠色をした眼。まだ若いのに強い意志を宿し、何者も彼女をとどめようとする事は不可能ではないか、という雰囲気を漂わせている。
 ノースリーブの右腕は機械製らしい。胸に翼がデザインされた服。下はショートパンツに銀色のブーツといういでたちだ。
 少女はまだ生きていた。額の傷は癒えたようだ。その横に、アルコン・ペンドラゴンが立っている。
 凶暴なシャフト保安省セクリターツの手がピラミッド神殿へと迫る中、アクロポリスの地下深くにおいて、誰にとっても予想外の出来事が起ころうとしていた。
 地下宮殿へ通じるという伝説がある迷宮の大広間・エスペランザに、「神の掟の子ら」の千人近い兵士が集結していた。そこはネクロポリス(死者の都)と呼ばれる地下都市の一角だった。
 アクロポリスの地下には、長い間迷宮が存在すると言われてきたが、地下世界の通路は、シャフトも全容を解明していないほど複雑だった。もともと帝都建設の際の環状水路の掘削中に、偶然、古代の迷宮の一部が発見されたのが地下都市の始まりだった。迷宮は、さらなる広大な地下世界・クシナイアンへとつながっていると噂される。
 アトランティス人が一部を整備したものの、迷宮の全貌はまだ明らかになっていない。自然に土砂で埋まっていたり、あえて行き止まりのままになっている個所も多かった。こうしてアクロポリスがシャフトの手に落ちた後も、ネクロポリスはそれを是としない者たちの格好の隠れ家となっていた。
 彼らは王党派の残党、すなわち自ら最前線で指揮を執る、アルコン・ペンドラゴンの反シャフト独裁政権レジスタンスだった。とはいえネクロポリスはシャフトだけでなく、レジスタンスでも解明したのはごく一部にすぎない。
 このところレジスタンスでは、連日の出現が続いているゴールデンキャットガールの話題で持ちきりだった。それは、クーデターの直後ですら出現した。その正体は依然として不明だったが、「彼女」に出来て自分たちにできないことはないはずだった。
 ワルキューレを再興する、ヱメラリーダの情熱は、まさにあのゴールデンキャットガールによって触発されたといってよかった。
 つまりマリス・ヴェスタのこっそり情熱党ごっこが、アルコンやヱメラリーダや支持者たち、さらに色々な人に目撃され、クーデター直後の希望となっていた。アルコンは、処刑されたアトラス帝や、同胞たちへの祈りから目を開くと辺りを見回した。隣の武装した赤髪の少女に声をかける。
「それでは、ヱメラリーダ参謀長、本作戦のマジカル・タクティスの概要を頼む!」
 赤いリンゴをひとかじりした小柄な十七歳のヱメラリーダは、机の上へ登ると、仁王立ちして千人の屈強な兵士たちを見渡した。
「あの悪夢の惨劇から一ヶ月と五時間と、三十四分、エート十七秒が経過した。我々の敵はシャフト評議会! 奴らは巨大な権力と軍事力、警察力を持っている強大な勢力だ。だが奴らは今、美酒に酔っている。そこに隙がある。おごりがある。そこを我々は突くのだ! 全力で! 我々は今日の反撃の為に身を隠した。陛下を、仲間達を救うこともできなかった……。戦争を阻止することもできなかった! だけど、それは負けを認めた訳じゃない。負けて勝つためだ!」
「オォーッ!」
 国民に熱狂的に迎え入れられたアトラス大帝のアガベーの教えは、アトランティスの危機を救うはずの上からの革命だったはずだ。だが、その真実を知る者たちは弾圧され、捕らえられ、殺され、遂に最後に沈黙した。
 アルコンの言った通り、合理主義者だらけのアトランティス人にとって、その内容はあまりに斬新過ぎた事も一因かもしれない。アガペーの存在は最後、感性で感じ取るしかないのだ。アトランティス人は科学文明を獲得する過程で、理知的な部分を発達させた。しかしそれは同時に感性的部分を退化させてしまう事でもあった。一方で感性を中心とした帝の上からの革命は、理論的根拠が乏しかった。結局アトランティス人、特にシャフトの官僚たちにとってあまりに異質だった。
 それで帝の革命は市民に熱烈な賛同者たちを数多く生み出すと同時に、多くの伝統的な人々の反発を買い、シャフト評議会のクーデターへの機運を醸成させた。確かに、シャフトといえどそれだけで皇帝を葬る理由にはならない。だが、皇帝の人気を強く妬む者達がいたのである。シャフトの中の伝統的魔術科学者たちは、ただその流れに乗るように行動を起こし、アトランティス社会を転覆させた。多くのアトランティス人たち、いやシャフトの大部分でさえ、本当には何が起こったのか気づいていなかった。あまりに愚かな話だが、それだけ事は秘密裏に、電撃的に行われた。この事態に発展するに至るまでには、アトランティス人特有の気質も大いに関係していた。
 アルコン達がいかに憤っても、大多数の市民はシャフトのもたらす利便性や利益に眼をくらまされ、その結果、何が起こっているのか分かる者などほとんどいないだろう。「シャフト」が危機をあおれば、すなわちその通りだと考える。多くの支持者が簡単に寝がえり、弾圧側に回った。アルコンはその凡庸さにあきれ果てる。社会の正邪はひっくり返り、事実はシャフトこそが悪魔に乗っ取られている。
 もしここで誰か、真実を告げる者が名乗り出たところで、むざむざ罪人が捕まりにいくようなものだし、何らかの方法で捕まらずに国民を説得しようとしても、荒唐無稽な陰謀論を唱える、頭のおかしい輩とみなされるのが関の山だろう。誰もシャフトを敵に回そうとは思わない。そうして昨日まで、あれほど熱狂的に皇帝を支持していたにも関わらず、皇帝を助けようとする者は誰もいなかったのだ。
 アルコンはアリーナで言った。確かに皇帝は救えない。だが二人はシャフトへの復讐を誓った。神は沈黙している。皇帝を救ってくれない。だが神が沈黙しているなら、自分たちでやるしかない。熱しやすく冷めやすい民衆たちを背に、アルコンとヱメラリーダは、すみやかにアリーナを立ち去った。アリーナでは即決裁判に続いて、その場で公開処刑が行われると発表された。それを背に脱出した二人は、振り返る事なく走った。皇帝を救いたかったが、この場で襲撃しても自分たちも捕まるだけだ。一旦引き、捲土重来するしかない。
 そうして今、死都ネクロポリスで反撃ののろしが上がった。
「諦めない。何度でも立ち上がる。私は、全滅した情熱党唯一の党員であるが、あたしは、ここに奇跡的に集まってきてくれた千人の仲間たちと共に再び決起し、太陽神殿を守り抜く戦いに身を投じるだろう。幸い、このネクロポリスの全容は、連中も把握していない。ここからアクロポリス全土を戦場とする、同時多発ゲリラ作戦を実行する!」
「……ここにいる全てを?」
 最前列の地黒な兵士が質問した。
「そうだよ」
「しかし、我々の残存兵力はこの、およそ千人ほどです。もしも、全滅したらどうするのです? 今は、必要な人数だけで戦うべきでは? そうしてある程度の兵力を、ここに温存した方がよろしいのでは」
「それで、お前は失敗したら逐次投入するつもりなのか? それこそ、全滅の道じゃないか。この作戦には、きっちり千人の人数が必要だ。逆にいえば、千人いれば勝てる作戦を私は立てている。……私には秘策がある!」
 兵力を温存したいためにケチり、試しに攻撃してみて、もし失敗したら次の兵力を投入する。そんな事を繰り返していると、いつまで経っても相手に対して優勢にはならない。そうして全滅の道を進む。戦力の逐次投入は決して、してはならないのだ。もちろんぎりぎりの勝負だったが、安全策に目を奪われば、勝機を逃すどころか死への道をまっしぐらである事を少女は知っていた。ヱメラリーダは兵士の質問を一蹴した。
「諸君……、ぬかりなく。アリーナを血で染めた、陛下処刑によりアトランティスの太陽は一度は沈んだかに見えた。あたし達はクーデターによって数多くの仲間達を失った。だが、今こそ神の掟の子らは立ちあがるべき時が来た!! 生き残った我々こそ真の精鋭だ。あたしはここに集まった君たちを『地下鉄軍団』と命名する」
 秘密結社「地下鉄軍団」。ヱメラリーダ命名のその組織名は、この時まで多くの隊員には寝耳に水だった。が、ヱメラリーダは戦いにはロマンが大事だといってアルコン隊長をねじ伏せた。
「処刑によって一度死んだ我々はこの死都から、ゾンビのように蘇るのだ!」
 水を打ったように静かになる。
「あ……あれ?」
「いや……リーダ、その表現はちょっと」
 アルコンが皆を代表して忠告した。
「と、とにかく、不死鳥のように立ち上がるであろう! そうだ。我々は諦めない。このアトランティスを」
「オォ-------!」
「これから、作戦の要となる計画を発表する。我らはまず英雄ジョシュア・ライダーを救出し、この仲間に迎える。……街中のマンホールから地上へ一気に駆け上がり、腰ぬけシャフト保安省セクリターツのどす黒いマギ共をせん滅し、シクトゥス4D議長を震え上がらせるのだッ」
「……ジョシュア・ライダーだと?」
 半数以上の兵士たちの間に不安の色が浮かんでいた。
 ジョシュア・ライダー。筋骨隆々の元兵士ライダーは、かつてアルコン達王党派とは無関係に、女士師ミラージュと手を組み、キメラの反乱を組織化した。キメラ暴動の首謀者と言われ、その際にライダーはシクトゥス暗殺をもくろみ、逮捕され収監された。その後、キメラはもちろん、皇帝も逮捕され、処刑された。暴動の真の首謀者は、あまりに危険すぎて処刑できない為に、ネクロポリスに封印されたのだった。
 処刑場と化したアリーナに引きずり出されなかったのは、おそらくシャフトの処刑を台無しにされる危険性があったからだろうう。たった一人でも危険な存在。それがライダーだ。
 情報源によると、あの二メートルを超える大男は、ネクロポリスの一角に捕らえられている。地下迷宮を把握するレジスタンスにとって、ライダーの奪還は有利な仕事だったが、実は問題はそこではない。この男はある意味で、レジスタンスにとっても、シャフトとは全く異なる意味で危険な人物だった。
「キメラ達を焚きつけた、あの男の無謀な反乱のお陰で、結果陛下を危険にさらし、死に至らしめた。そして我々は窮地に立たされている。それが事実ではないか! そんな男を、一体なぜ我々の計画に加えなければならないのだ」
 大神官・オージン卿がまっさきに異を唱えた。彼はシャフト評議会の最高意思決定機関の十二人の一員であったが、ここに列席している。
「分かってる……」
 ヱメラリーダにしてみれば、そんなことは先刻承知だった。ある程度予想のできる反応だが、他ならぬオージン卿がライダーを好んでいなかった事を、彼らは初めて知った。だが、オージンが懸念したのはそれだけではない。
 時に「破壊者」とか、「覇王」などとあだ名され、恐れられたライダーだったが、その理由が、オージン卿のような正統派の白魔術師からすると、邪道たるパワー系の赤魔術を使用する為であった。それは決して黒魔術ではなかったのだが、騒乱を好む性質だとして、一部の白魔術師たちからは嫌われていた。皇帝、王党派、情熱党と全てが白魔術の集団だった。しかし今や、その力を借りずしてレジスタンスは成功しないとヱメラリーダは睨んでいた。
 アルコンが助言した。
「今となっては数少ない、味方となってくれる可能性のある人物です。こんな時だからこそ、共に手を取って協力し合わなければいけないのでは? オージン卿」
「しかし、彼にも責任が」 
 すると、クラリーヌが言った。
「そうです。……彼に責任の一端があるのなら、彼は私たちに協力して償わなければならないのです。そうではないでしょうか。彼女のおかげで、我々は再起する機会を得た。ヱメラリーダのマジカル・タクティスを信じましょう」
 クラリーヌはアルコン隊長の妻で、世話好きの優しい性格でみんなのまとめ役になっていた。さわやかで、百七十二センチと高身長で手足の長い、戦士としての能力も一級。何せゴージャスなピンク髪の超絶美人。高級チーズに目がない事も、ヱメラリーダと趣味を同じくした。
 ただし情熱党のスターではなく、かつては近衛隊の一員だった。それゆえ、同じ近衛隊員でもあったヱメラリーダは姉のように慕っていた。クラリーヌもヱメラリーダを義理の妹のように大切にしている。一方でまだ二十七歳のクラリーヌは四十の坂を越えたアルコンに対し世話女房のようにかいがいしく、女性らしい一面を覗かせることも度々だった。
「姉さん、ありがとう」
 すらりとした長身でくせ毛の彼女を、ヱメラリーダは見上げた。自分と似たようなところがある快活な女戦士。その華々しい戦歴に、王党派は一目置いていた。クラリーヌが賛同した事で、千人近い部隊はライダーを収容する監獄の襲撃が決定した。

 迷宮の闇から突如出現した軍隊の前に、監獄は突破された。幾重にも厳重な魔術で封印されたライダーの監獄は、警備兵を突破した後もヱメラリーダたちの前に障害として立ちはだかった。その封印は厳重なタリズマンによるものだった。こんな時のためにオージン卿が同行している。大白魔術師は、それを慎重に解いていった。
 その男・ジョシュア・ライダーは腕を組み、壁にもたれかかって胡坐をかいていた。マリンブルーの瞳がこちらをじっと見つめている。年齢は三十五歳。この半年間で、ライダーに力の衰えはなかった。オージンは容易に近づこうとしない。
 ゆっくりと立ちあがると、二メートルを越える体躯でアルコンを見下ろし、にやりと笑った。だが、アルコンが声をかけようとしたとき、ライダーは無言でその場から立ち去ろうとしたのだった。これには、ヱメラリーダもクラリーヌも驚くしかなかった。
「待て! 一体どこへいくつもりだ? ジョシュア・ライダーよ。貴様には俺達と一緒に、これからやってもらわなければならない事が」
 あるというのにも、関わらず……。アルコンは止めようとする。
「アルコン・ペンドラゴン……お前は、この国に伝説の剣があるのを知っているはずだな? 破滅の剣の伝説を。俺はその剣に導かれて、死都へと赴く。お前たちがここへ来たのも、全ては剣の導きによるものだ。これは天命なのだ。俺にもお前にも、誰にも留められん。オレは今から、それを手に入れねばならん」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。破滅の剣を手に入れるだと? そんな、そんな事の為に、俺たちはお前を助けたんじゃない! 我々に協力してほしいからだ」
「もうすぐここは騒がしくなる。残念だが、貴殿たちの部隊を連れていくことはできん。あの場所へは、一人で行かねばならん。それが俺の運命だ」
「ライダー! 貴様助けてやったのに、そんな挨拶はなかろう?」
 アルコンは怒鳴って、ライダーは立ち止って振り返った。
「俺を解き放ってくれた事には感謝しよう、近衛隊長アルコン。騒々しくて檻での昼寝を邪魔されたので、仕方なく起きる事にしたがな。では、これにて。剣が俺を呼んでいる。時間が惜しい」
「ちょっと待ってよライダー、あたし等、これからシャフトと戦うんだ。あんたの力が必要なんだよッ。あんたが起こしたキメラの反乱が原因で、結局陛下が殺されてしまった事、その事、あんたは、何とも思ってないの? 罪の意識は? あたし達さ、あんたを助けることについて賛否両論だったんだ。でもあたし、あんたに期待してさ、作戦立てたんだよ。このあたしが-------」
 ヱメラリーダが声をかけた頃には、ライダーは迷宮の向こうに消えていた。赤毛の少女はがっかりして肩を落とす。クラリーヌも二の句を次げず、ヱメラリーダの肩に手を置いた。
「本当に味方なのか? ヱメラリーダ。破滅の剣を手に入れるなどと、この状況に火に油を注ぐような真似を。ヤツが若し剣を手に入れたとしたら。シャフトのみならず、アトランティスの壊滅が早まる。我々はとんだ厄介事をしょい込んだぞ」
「何なのよ? その、破滅の剣って」
「ツーオイ石と同様、このアトランティスに伝わる偉大な力を持った伝説の魔法剣だ。だが、そいつは破滅の剣と名付けられている。それがどこにあるのかは、分からん。しかしライダーは知っているらしい。もしライダーがそれを見つけしまったら、シャフトだけではない、我々にとっての脅威になる恐れがある。またキメラの反乱の様な大混乱が起こるか前触れかもな。我々にとっての破滅が。野に……解き放ってしまったのではないか? 俺たちは、……あの男を!」
 破滅の剣で何か悪いことが起こるとアルコンは予感した。
「そんな……だってさ。あ、あたしはあいつを信じてたのに! あいつに限って世界を滅ぼすなんてそんなはずが!」
「どうやら、お前の最初のマジカルタクティスは失敗だったようだ」
「くっそ!」
 ヱメラリーダとクラリーヌはあっけに取られながら、どうしてライダーが協力してくれないのか理解できないまま、男の消えた通路の闇を見やった。
 闇の向こうから、無数の足音が響いてくる。
「来るぞ……騒ぎを聞きつけやがって、敵さんが!」
 アルコンは気配を感じていた。
「こうなったら計画変更する、プランB、予定通り『ワルキューレの騎行』発動、みんな分散して地上へ出て! オージン卿、後はクラリーヌ姉さまに任せて」
「了解」
 大貴族オージン卿は、表向きはシャフトの高位に位置している。だから、彼はこの戦闘には後方支援以外では参加しなかった。彼が同行するのはネクロポリスまでだ。
 頭を切り替えて、ヱメラリーダは部隊に指令を飛ばした。ライダーなしの作戦は、クラリーヌを中心としたものとなる。アクロポリス各所のマンホールから、同時に出現した地下鉄軍団は、シャフト保安省セクリターツを足元から襲撃するのだ。
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