▲ヱデンへ還れ! 海王タラッティオス・クリオス

文字数 12,792文字

紀元前八〇八七年十月二十九日

「キツネ狩りを続けるとしよう」
 ラムダのガンドック隊はダイヤウルフに変じた。怪獣時代の人類を恐れさせた巨大狼だ。彼らを率いるラムダは猟犬の異名を持つ執拗かつ残忍な隊長であり、かつては情熱党と激しい戦闘を行った保安省の主役だった。
 ラムダ大佐にとってハウザー長官の退場は痛みなどではなく、好機到来と呼ぶべきだった。ラムダは常々、ハウザーを見下していた。ハウザーのマヌケがオージン卿にペラペラしゃべった事によって、姫はまんまとレジスタンスに連れ去られ、今日のテロリストの反撃を許した。恐るべき敵より愚かな味方を警戒すべきだ。問題は議長が死んでしまった事だが、これはさすがにラムダの予想を超えた事態だった。
 しかし今ではこうも思う。これはチャンスが予想以上に早く訪れたと。議長が死に、ハウザーが退場した。現時点でのシャフト評議会の最高位のアデプトは自分自身である。ラムダはハウザーに代わりシャフト保安省セクリターツの臨時長官に就任した。このままレジスタンスを追い詰め、ハウザーの地位を奪うのである。そう遠くない未来に、この国を牛耳ることができる。
 再三、騎士たちの前に立ちはだかったラムダの追跡は苛烈を極めていた。ラムダら執拗な追手により、マリス・ヴェスタは円卓の騎士たちとはぐれた。シャフトは死んだ議長以外、依然としてマリスの正体を知らなかった。だから身を守るためには逃げるしかなかった。どこを見てもアクロポリスは街は三色の石のがれきの山だった。もう「最上の都市」の面影はどこにもない。それにしても、結果的に罠を仕掛けた格好になったヱメラリーダの最期が頭から離れなかった。あの死んだサイボーグ少女のいう事が気にかかる。
 マリスは、街中を駆け回った。ともかくレジスタンスと再度合流しなければならなかった。瓦礫の山に、杖を持った長髪の男が立っている。
「あぁ、タブリス!」
 それは間違いなく、あの男だった。アリーナの大帝公開処刑のときに突如現れ、議長の判決を遮って演説した反乱者の一味。その場で、イゾラにレーザー鞭で殴られた後、大帝もろともラムダの反重力なだれの激流に飲み込まれていったはずの男。
 アルコンが「見た」といっていたが、やっぱり生きていたのか? ならば今度こそ、逃さない。タブリスを追って、いつの間にか、マリスは王宮の大プールまで来ていた。ここは無人で、半分はがれきのようになっているが、まだ水はなみなみと残っていて、巨大なタラッティオス・クリオス、すなわちオルカたちがまだ悠々と泳いでいる。クーデター後も、最近まで飼育係が世話を続けていたらしい。
 一頭のオルカが水から顔を出してマリスと正対した。それは、十メートルを超える巨体だ。マリスが知るオルカの倍近い大きさがあった。「海の帝王」としての彼らは、こうして波打ち際まで来て巨大な顔を上げ、一瞬でアザラシを捕食するという海獣だ。マリスの中に、食われるのではないかという恐れの感情が浮かび上がった。しかし海のギャングとも呼ばれるオルカだが、人を襲うことはない。もう、タブリスの事は忘れている。
 それは只々、黒い濡れた瞳で長々とマリスの顔を見ていた。地上の大怪獣は絶滅したが、海洋の大怪獣は目の前に存在している。人間の及ばざる領域、「海」。その支配者。海において自然界に天敵が存在しない最強の生物。鯨もホオジロザメも白クマも鯱の餌である。人類以外では、水陸含めて最強の生物。それを、アトランティス人は神聖な動物タラッティオス・クリオスとして崇拝してきたのだ。囚われの身となり、一体彼らはこの人間の作ったプールの中で、海から隔絶された自分自身を、どう思っているのだろう。ふと、マリスは彼らとの心の交流を試してみたい気になった。マリスは目の前の巨大なオルカと意識をつなげ、対話を試みた。
「クーデターの三日前、お前たちの仲間が海岸に打ち上げられ、沢山死んでいた。あれは一体どういう意味だったの?」
 他にも気になる事がある。深海魚のリュウグウノツカイが各地の浅瀬に出現している。果たしてタラッティオス・クリオス……オルカはテレパシーで答えた。
「彼らはこの国の異変を感じていた。海の仲間たちは恐怖の水晶体のエネルギーから逃げまどった」
「つまり、それはヴリトラの?」
「そうだ、我々はガイアの地磁気を感じ取り、海を駆る。その闇のエネルギーは、我々の平衡感覚を失わせる。シャフトが皇帝を処刑し、クーデターを起こしてツーオイ石を奪った。つまり彼らの死は、すなわちアトランティスへの警告だったのだ」
「……でもお前はなぜそんなに平気そうなの。ここに閉じ込められているから?」
「別に閉じ込められてなどいない。彼らに比べると、我々は人間の事についてより多くの事を知っている」
「まさか」
「その違いだ。皇帝の挫折、シャフトの暴走。こうなる事は、以前からある程度予想ができていた。光が一度後退し、闇が勝利する時代が来る事を。私は闇のエネルギーに対し、シールドを張る防御法を心得ている。それはお前達が、あの『生き物』、キメラの問題を抱えたずっと以前からだ。アトランティス人たちは、今日この日を迎える運命に向かって突き進んできた。シャフトのマギ共は我らが海の人類である事を忘れ、遂には我らとも交流する心をも失った」
 オルカやイルカは、エコロケーションという超音波を使った物体の把握や、テレパシーを操っている。その能力で彼らは世界中の海とつながるネットワークを形成するのだ。テレパシー放送が可能な「歌」に、倍音で複数の情報を載せて、世界中の情報を得る事が可能なのである。こうして鯨類はテクノロジーこそ持たないが、高度な精神文明を築いた文字通り海で進化した人類なのだった。その鯨類の中でも、目の前のオルカは文字通りの「海王」だった。彼らはこの星と共にある。
「……なぜそこまで?」
 この海獣は、あまりに人間世界に通じすぎている。
「さっき街で会っただろう。私がここへお前を導いたんだ」
 マリスは一瞬何を言っているのか分からなかったが、鯱の言葉は頭の中である事と結びついた。タブリス。
「お前……人の姿になれるのね」
「そう。タブリス・ウォードは私だ」
 人が動物になれるなら、その逆も真だ。アルコンらがこのことを知ったら何と云うだろう。
「仲間を助けなかったの? ここから、海のオルカ達とも交流すればよかったじゃない」
「説得はした。だが、恐怖の水晶体のエネルギーから逃げる事で精いっぱいだった彼らは、我々の制止など聞く耳を持たなかった」
 海の王は、今日のアトランティス人のあり様を「是」とも「非」とも言わなかった。タブリスの時には帝を殺すシャフトを散々非難していたというのに。あれは、演技だったのか。仲間の死に関しても同様だ。それだのに、マリスにはアトランティス人が心そのものを失ったのだと云ったように聞こえる。自分がそう思うから、非難されているように思うのだろうか。そうして自身は、こうしてオルカと交流している一方、果たして「心を失った状態」であるのかどうか、考えあぐねている。
「それで……お前は今、将来を、何か感じている?」
「アクロポリスは沢山の動物がいた。だが今は誰もいない。この廃墟の街に相応しく。皆感じているのだ。ここは閉鎖される。間もなく我々は海へと還る」
「あなたたち、これからどうするつもりなの」
「津波が来れば、そのまま我らは海に出られるだろう。海の下は集合的無意識だ。そこへ還るという事だ」
「いつ? いつよ」
「今のままでは十月三十一日」
「嘘よ!」
「おそらくそうなるだろう」
 マリスは沈黙した。オルカが何を言わんとするか、マリスにはよく分かっていた。事故は阻止できず、アトランティスが沈むまでもう時間がないという事だ。
「事故は止められない? あたし一体どうすれば、」
 そんな問いかけを、マリスは今まで誰にだってした事がなかった。人間に対しては。だからこそ、目の前の人間ではない相手に対して純粋に聞いてみたいと思うのだろうか。
「なら答えてやろう。もしお前達アトランティス人が、今この時期に宇宙のメンバーとして星の進化に貢献することが叶わずば、ガイアの進化は、アクエリアスの春を待つより他はない。この惑星は、永い永い浄化の時に入る」
「アクエリアスって……まさか一万年後っていう事?」
 マリスは最初にツーオイをいじってからというもの、ずっと黒髪の若い女性の夢を見続けていた。それは次第に鮮明になりつつあった。彼女を他人事とは思えない。夢の中で津波の直後に見上げた時に見えた星座は、確かにアクエリアスの時代の星座だ。クーデターの時以来、ずっと見続けて来たこの夢が、近未来のアトランティスの出来事ではなくて、もしも、一万年後の自分の姿だったとしたら。しかしそのアイデアは、マリスの中で次第に確信になりつつあった。八木真帆という名を持った、異世界に属する未来の自分。つまり、一万年後の自分自身だ。
 夢の中の八木真帆は、津波に呑まれた瞬間に死を彷徨い、その瞬間、臨死体験が起こった。真帆もまた、一万年前のこのアトランティスのマリス・ヴェスタを認識している。つまり時空を超えて、二人はお互いを認識している状態が続いていた。
「もしレジスタンスがツーオイ石を奪還して事故を阻止し、浄化する事ができるなら、破滅を先送りする事ができるだろう。レオの時代の宇宙エネルギーが最大になる十二月二十一日冬至の日までに、アガペー・エネルギーを再充電する事ができたならな。その時はアセンションという大逆転が可能となる。だがレジスタンスには事故を止められず、十月三十一日で時が尽きるだろう。この文明は失敗に終わる。そうなれば、一万二千年後のアクエリアスの春まで人類は0からやり直ししだ」
 オルカ王が語った夢物語は、円卓の騎士の話と不気味な程符合していた。オルカ王が自分に向かって嘘を云う理由は見当たらなかった。この種族がレジスタンスに一方的に有利な事だけ語る理由もない。これまで、ずっとレジスタンスのたわごとだと思って聞いていた、ありとあらゆる概念、夢物語が、悉く本当だったというのか。つまり、姫のビジョン・ロジックの通りになる。マリス・ヴェスタは海王を前にして、戸惑いを隠さなかった。
「だがこれは、全て予定されていた計画だ」
「一体誰の計画よ」
「多くの星々の文明では、成長する時代、光と闇の相克、つまり最終戦争ラグナロックを最終的な試練として迎える。それは、このガイアだけではない。どの星でも二元性の戦いという運命が待ち受けている。もし今回、ガイアがラグナロックを乗り越えることができなければ、アガペー次元へのアセンションは叶わない。この星はいつまで経っても、戦争を続けるローカルな惑星のまま。アガペー次元へ移行できないとは、つまり宇宙連合への参加も許されないという事だ。それは開かれた宇宙社会への参加ができない事を意味する」
 マリスは沈黙して聞き入る。全身でテレパシーを集中させ、話を吸収する。
「この国では今や一体性の法則は失われた。キメラを差別したり、ヘラスや自分たちと考え方の違う外国と争ったりしているアトランティス人、及びシャフト評議会は、他者との違いを認め、受け入れるというワンネスを理解できないのだ。そうなれば地球は、夜明けを迎えられない。なぜなら、宇宙文明ネットワークはよりいっそうの姿かたちの違い、考え方の違いがある世界だからだ。だからもし宇宙空間へアトランティス人の常識で出て行ったら、自分たちと違う外見、違う思想によって攻撃してしまうだろう。それは宇宙文明にとって野蛮な行為、つまり野蛮星人とみなされている。その場合宇宙連合への仲間入りは出来ず、ローカルな星の中のラグナロックで自滅する運命となる。宇宙へ行くほどのテクノロジーを確立する前に、結局、自滅の方向でテクノロジーを使ってしまうからだ。そうしてまた宇宙社会に取り残され、一ローカル惑星に半永久的に閉じこもってしまう。なにせ彼らの宇宙船には、基本アセンデッドマスターでなければ搭乗できないからな」
「一体何者なのよ。『宇宙連合』って」
「宇宙連合というのは、お前達が知っている言葉で言い直せば、ラ・アンセムにある、『旧神』のことだ!」
 海王がつながっているのは、海のネットワークだけではないという。タラッティオス・クリオスの「歌」は、星を遥かに飛び越え、宇宙へと接続していた。オルカ、イルカ、鯨たちのテレパシーネットワークは、宇宙大に広がる「宇宙連合」へとつながる。
「近年、ヴィマナではない宇宙船が目撃されているはずだ。それは、アトランティス人がツーオイ石の間違った使い方をしているので、姿を現している。ツーオイ石の光波は、宇宙との通信にも使われている。そのために二千年も前に、アストロマンサー達がヴィマナの巨大衛星をガイア軌道上に打ち上げた。アセンションのために。だがそれはシャフトによってヴリル・デストロイヤーのために利用されるだろう」
 アトランティス人の衛星は、後に「ブラックナイト衛星」としてNASAに再発見されることになるが、奇妙なことにアトランティス人もブラックナイトと呼んでいた。それは世界を破壊するブラックナイトとなるか、それともホワイトナイトとなるか。今のままではおそらく前者だろう。それは、後にアマチュア無線家によって無線を発していることが発見され、一万三千年前の星座を描写し、地球からエプシロン・ボーティス星系に向けて発信していることが判明する。
「それともう一つ。宇宙中の星々からこの星に観察しに集まっているのは、もともとこの星が、宇宙中のDNAの博物館だからだ」
 マリスは感じた。あまりに詳しい。オルカたちは宇宙連合とつながっているだけではなく、「所属」しているからこそ断言する。つまり彼らもまた、「旧神」の一員なのだ。
「旧神たちは、かつてピラミッドをガイアだけでなく、月や、火星にも作った。それらのピラミッドは黄金比、神聖幾何学の結びつきによって時空を隔てて共鳴し合う。ガイアと月と火星の三つの星には関係がある。火星はガイアの約半分、月は火星の約半分の大きさだ。ガイアが二元性の争いで混乱に陥った時、月はガイアのバランスを取り戻す役割を担う。その時、三つの星のピラミッドが作用する事になっているのだ。その調整にツーオイ石が働く事になる。だが今の状況は……」
 肝心のツーオイ石がヴリトラでくすんでしまい、正しく作用していない。
「ちょっと待って、……さっき、『今回』って云ったかしら?」
「これは何度も繰り返されてきた事なのだ。シャフトは過去のクリスタル事故から学ばず、過ちを繰り返して世界を滅ぼそうとしている。アトランティスの神話の中で、人類が過去何度も滅んだ事は知られているだろう。お前達が今も必死になって戦い、手に入れようとしているエジプトという国。サハラ砂漠で、実はヱデンの痕跡も発見されていた。この石碑には『同じ過ちを繰り返してはならない』と刻まれていたはずだ。だがシャフトはその事実を秘匿し、それが真実のヱデンだとは考えなかった。かの大陸に広がる大砂漠は、太古から不毛地帯という訳ではなかった。その広大な砂漠地帯は、かつては緑の土地だった。だがそこで、超古代に戦わされたラグナロックで、二度と草木の生えない不毛な土地へ変化した。その時も宇宙船がおしよせ、人類に対して警告した。アトラス帝はそれを看破した。アトランティスのクリスタルは過去、世界を滅ぼした兵器とは違うエネルギーだが、使い方によっては同じ過ちを犯すことになる、シャフトはそれをやっていると」
「その兵器って、一体どんな魔術なの?」
「その時の兵器は、アトランティス人がまだ発見していない魔術による。その超古代文明が放った毒のエネルギーは、アトランティス人のツーオイ石がまき散らすヴリトラとよく似ていた。ガイアは長い時間をかけて浄化し、人類は長い時をかけてそこから再出発した」
「そんな神話知らないわね。それ、本当にエジプトの地下に眠るヱデンと何か関係があるのかしら」
「あるともいえるし、ないとも言える」
「何よそれ。そういう答えは気に入らないわ。タブリス、ここまで話したんだから、ちゃんと筋道立てて説明しなさい!」
 マリスは一万年後の自分である八木真帆が直面する未知エネルギーの事故と何か関連しているような気がしてならなかった。
「いいだろう。自分達がつまらない、間違った生き方を選択してきたと薄々自覚したからこそ、アトランティス人、シャフト評議会はヱデンに答えを求めて戦争を起こした。ケムの地、エジプトへと。だが、たとえアトランティス人が外へ出ていってもヱデンは見つからない。アトランティスの中でいがみ合っていた人間が、エジプトへ行ってヱデンを築けるかどうか考えてみるがいい。自分の国にヱデンを築けなかった者達に、エジプトで何が見つけられる訳がない。帝は心の中のヱデンを説いたはずだ。自分の心の中にヱデンを築けなかった者は、エジプトへ行っても、そこで新たな苦しみと戦う事になる」
「お説教なら沢山よ。そんな話が聞きたい訳じゃない。私が聞きたいのは、太古のエジプトにはその技術があったという話の続き、あなた知ってるんじゃないの? それが、ヱデンの伝説になっているのかどうか」
「砂漠でラグナロックがあったのは、今から十万年も前の事だ。それもヱデンという名だった。最初のヱデンの国は、もっともっと古い。ともかく十万年前のラグナロックの後、文明は0からの再出発になった。永い永い時を経て、人間は何度も何度も立ちあがり、再び高度な文明を発達させるに至った。だがその末期には、必ずラグナロックという破壊を巻き起した。今語った古代のラグナロックは知らなくても、アトランティスにも神話が残っているラ・レミューリアや、ムーでも繰り返されてきた事だ。そしてこのアトランティスで、再びラグナロックは戦わされている」
 確かにラ・レミューリアやムーなど、過去人類が何度も滅亡を繰り返してきた事は「ドジアンの書」に記されている。海王はその事を言っているのだ。だが、古代核戦争と云うのは聞いた事がない。しかし……。
 マリスは、腕にルチルクォーツと一緒にはめているレモングラスを見やった。高熱で生成されるレモンガラスは、自然界には存在し得ない。まさしく古代のラグナロックの残骸ではないだろうか。そういえば一つ思い出した事がある。アヴァロン島で見た夜光杯。あれは、オージンによればガラスの中にウランを閉じ込めたことで発光するものらしい。そこにはまだアトランティス人が未発見の、未知の力が秘められている。だとしたら海王が語った事は、全て本当の事なのか。それにしてもシャフト評議会がヘラスとの海戦を、「ラグナロック作戦」と命名したのは皮肉だ。
「馬鹿な……人間共だとでも言いたいの」
「これらは偶然ではなく、全てが目的を持ってそうなるように導かれているのだ。いつの時代も、その末期には、光と闇のラグナロックがあったのだ。技術は違えど、人間は同じことを繰り返してきた。アトランティスの問題だけではない。それは最終的な試練の秋(とき)。この星で繰り返され、星はいつも同じ課題の、同じ試練の時を迎え、それを乗り越えなければアガペー次元に到達できない。そういう事だ。そうして試練を乗り越えた星だけがヱデンの建設に成功し、アガペー次元へと上昇する事が出来る」
「必然……」
 人智を超えた「神の計画」か。必ずしも人間だけの意図ではない、そう海王は言っているように聞こえる。ならば一体誰の。旧神、いいや大白色同胞団か。
「重要な話を伝えよう。あの大陸を死の砂漠にした魔術は、やがて一万年後のアクエリアスの時代に再発見されるのだ」
 やはりそうだ。マリスは、再び八木真帆である未来の自身の運命を案じた。
「また、繰り返されるの?」
 海王は一瞬沈黙した。
「海へ還ったら、あなた達は人類を見捨てるつもり?」
「人類をじゃない、大切なのはガイアを守る事だ」
 オルカは人間と立場が異なる。たとえ海の人類とはいえ。
「海こそ神秘なり! ヴリトラにまみれたツーオイを清める浄化の魔法だ。ガイアが消え去ってもいいのか? 宇宙が一体であれば、反作用は時に星すら破壊する。すなわちアポフィスがな。ヱデンで人間を唆した蛇、アポフィスの黙示録ダンスは、天空の彗星を召喚する。彗星が落ちれば、少なくともアトランティス群島はすべて消滅し、お前たちの多くは洪水で死ぬだろう。そして地軸が移動し、氷河期が訪れる。大怪獣の多くの種族も滅びるが人間も一度滅びる。かつて、マルデックという星で起こったラグナロックでは全面核戦争が戦わされ、巨大彗星の衝突によって、星は粉々に砕かれた。今、その軌道には星屑の残骸が残されているのみだ」
「星が丸ごと?」
「そうだ。他の星々がアガペー次元に上がる時に、ガイア一つが足を引っ張ったなら、全体の進化に悪影響を及ぼす。宇宙の全ての星は繋がっている。一つが足を引っ張れば、宇宙全体の進化が遅れる。進化とは、連鎖反応で起こる仕組みになっている。これはもはや、ガイア一惑星だけの問題ではない。そこを宇宙連合は危惧している。もしガイアが失敗すれば、逆の連鎖反応が起こり、最悪宇宙全体が……」
「ちょっと待って、一体どうなるっていうのよ?」
「前の宇宙はそうして失敗した。つまり、宇宙が崩壊した。たった一か所が破壊された事がきっかけになった。ちょうど今、アクロポリスの恐怖の水晶体に闇のエネルギーが蓄積し、これからガイア全体にばらまかれるように」
「アポフィスって……彼らは一体、何者なのよ」
「アポフィスとその眷族の『蛇』。すなわち古き者共たちは、太古から宇宙に存在する。宇宙の鬼子だ。星と云うのは大生命だ。さらに宇宙は星々を包括するもっと大きな生命だ。その全てはつながった大生命であり、彼らもその一部なのだ。たとえ人間が滅んでも、ガイアだけは救わなければならん。それがドルイド共が伝えた一体性の法則だ。この文明が滅んだとしても、我々は海からこの星をサポートする。何としてもまき散らされた毒のヴァイブレーションを中和しなければならない。時間はかかるだろう。だが、この星の海を預かる者として、やらなければならん。我々は全世界の海とつながっている。きっと忙しくなるだろう」
 オルカたちは、人間とは異なる立場に属する。人間の事を案じているようで、どこか冷笑的だった。文明が滅ぼうがどうしようが関係ない。まるで人事だ。それはマリスとは異なっている。
「人類だってガイアの一部なんでしょ。それを見捨てるなんて、あなたの論理では間違いのはずよ。タブリス・ウォード。……アクロポリスで皇帝を初め、あなたはずっと人間達を見てきた。それなのにあなた達は、プレベールみたいに人間に絶望するしかない、とでも?」
 マリスは精いっぱいの嫌味を言うしかない。
「だからだ、マリス・ヴェスタ。今のアトランティスの出来事は、実際過去にあった事象の記憶、前宇宙の記憶なのだ。そのひな型としてアトランティスは今、試練の時を迎えている。お前はアトランティス人として、その事をよくよく自覚しなければならない」
「一体いつ、お前は私の名を知ったのよ。初めて会ったはず」
「お前は忘れているが、小さい頃両親に連れられてここへよく来ていた」
「覚えてない……。他の、レジスタンスの事も?」
「姫の事も昔から知っている。幼少のみぎりに、アマネセルはドルイド僧団の手引きによって、帝と共にプレベールと出会っていた。マリス・ヴェスタ。白と黒の羽を持つ天使よ、そろそろ、自分で自覚しているはずだ。お前は本当の黒い石じゃない。お前は完全なブラックスワンじゃない。それをあの姫は見抜いている。マアト、正義の女神と一体化した姫は、何もかも全て見抜いているぞ。マアトを欺ける悪はなく、見抜けない善もない。姫はお前のそこに期待をかけている。その事をよくよく考えてみろ。今気付かなければ、一万年後だとな」
 幼少時のマリスだけではなく、なぜか海の帝王は一万年後の八木真帆の事まで知っている。そんな事どう考えてもありえない。だが海王はアトランティスの滅亡、さらに一万年後の未来の話まで語って聞かせ、マリスの身を案じていた。それはマリスのように、この身、この肉体の自分などというちっぽけのレベルではない。一万年後のマリス・ヴェスタ……八木真帆に待ち受ける運命。海王の言葉はマリスに突き刺さった。マリスには自分が、世界を破壊しつつある典型的なアトランティス人であるという自覚がとっくに存在している。それでもアマネセル姫は、そしてこのオルカ王は自分に期待をかけているのだ。ほとんど真っ黒だと思っていた自分の魂に、まだ白い成分が残っているというのである。白い成分というのは未来の自分、八木真帆の事かもしれなかった。それならこの自分は、白と黒の中間に位置している。姫とオルカは、もしかするとマリスがこのラグナロックを超えるきっかけになると期待しているのかもしれない。
「お前こそ、一体どうするつもりだ? 早く態度を決めたらどうだ。さっき、時間がないと言ったはずだ。もう沈む。戦うのか、それとも逃げるか? 闇のエネルギーは世界中にまき散らされて、アトランティス滅亡という一国の問題だけでは済まなくなる。もうすぐアポフィスが破滅のダンスを踊って、世界中を破壊してしまう。その時、アポフィスのせいで地軸の移動が起こり、全世界で天変地異が起こる。ガイアは一度死を迎える。どこへ逃げても安全じゃない。だからもし逃げ出す気なら手を貸そう。今のうちに他の星へ行くより他はない。戦うか、逃げるか。いいか、今しかないぞ」
 オルカは宇宙への脱出を手助けしているらしい。海王はガイアの近くに、宇宙都市が建設されていると言った。そこは宇宙中から調査団が派遣され、ガイアの動向に注目している出島だ。そこから避難星への脱出が行われている。もし必要なら、海王は宇宙船に乗せる手筈をするという。海王の言葉が正しければ、忽然と消えた人々の一部は、宇宙へ行った事になる。
「そんな。あなたまさか誘拐を手筈したと? 彼らを宇宙に連れて行ったっていうの、あなた達は一体」
 このところアクロポリスで流布していた一種の都市伝説。消えた人間の数はおよそ数千人。それが宇宙へ脱出しているのだという。そこには何と、大虐殺されたはずの元情熱党員たちが数多く含まれていたらしい。
「誘拐ではない。それは同意した者だけが搭乗する、『救済』の一環だ」
「救済? そう言ったって、誘拐犯の正統化の理由でしょ。もしあなたの言う事が正しいのだとしたら」
 その是非はマリスにとって、本当のところどうでもいい話だった。逃げの算段を打つのは別に彼らだけではなかった。レジスタンスから聞いた話によると、アヴァロン島のハイランダー族は人々を地下都市テロリスへと逃がしているらしい。外国への移住組、ハイランダー族のような地下都市組、そして宇宙組。宇宙に逃げようと云う人たちがいても不思議ではない。まともな人間なら逃げるのが正しい。崩壊寸前のアトランティスで逃げ出さなかったのは自分たちくらいのものだ。ただそう反論しながら、マリスの心は瞬間瞬間迷っていた。本当に連中は居るのだろうか?
「ミラージュたち有翼人は、実はキメラではない。宇宙連合の一味だった」
「えっ。しかし」
「有翼人は、もともとアヴァランギに存在しなかった。彼らが入り込むと、最初から都市に存在したキメラだったと人々の記憶が入れ替わった」
 有翼人もまたシャフトのような時空に関する魔術を使っていた。おそらくこの国で幾多のグループによる時空魔術合戦が繰り広げられてきたのだ。
「ならそれでキメラの暴動が起きて、シャフトがクーデターを起こし、そして私達が」
「いや、有翼人は暴力を起こそうとしたのではない。そうではなく、長い歴史の中で虐げられてきたキメラの苦しみが、あの時点で頂点に達した。それで、有翼人たちは彼らを救うべくガイアに降りてきた。それに加えてシャフトと情熱党の確執の高まり。全ての衝突が、必ず暴発する。あの時、キメラの一部は有翼人と共に宇宙へ脱出した。また、情熱党のメンバーのかなりの部分も共に宇宙へと旅立った。それを事前に予想したために、宇宙連合の有翼人は入り込んだのだ」
 そこには何と、大虐殺されたはずの元情熱党員たちが数多く含まれていたというのである!
「一つ訊いていいかしら。もし宇宙連合なんていうものがあるなら、アトランティスなんていう魔術レベルじゃない魔術と科学を使って、地球はとっくに彼らのものになっているはず。でも現実はそうなっていない」
 それは、彼らが居ない証拠ではないか。
「ハハハ、それがアトランティス人の発想だということだ! 宇宙連合は見守っているだけ。彼らには宇宙憲章があるからな。それはその惑星文明に干渉してはならないという掟だ。ガイア人が滅びようが成長しようが本人たちの意思。その証拠に、彼らは有史以前からこの星で目撃されているが、一向にガイアを支配しようとはしないだろう。言うとおり、アトランティス人の魔術科学を以てしても、彼らの科学文明には敵わない。だから侵略しようと思えば、とっくに出来るはず。だがそうしていない。つまりどういう事か……。それは過干渉をせず、ただ見守っているからだ」
「だから」
「だから、もし侵略行為を働くとしたら、一体性の法則で彼らに自らのなした行為が還ってくる。彼らはそれを知っている」
 それで援助するにしても間接的な援助、すなわち部分的救済しかしないのだという。
「で? あんた達の結論は?」
「永年観察した我々の本音を言うと、レジスタンス『焔の円卓会議』は失敗する。事故は止められない。だから、宇宙へ行く方が賢明だ」
「うるさい、余計な事を、しないでくれる。私は早くレジスタンスに合流しないと。彼らだって逃げてないのに、何で私が逃げないといけないの」
 救済など、頼むつもりはなかった。
「この期に及んでレジスタンスに共感か」
 オルカ王の巨大な口が笑ったように見えた。
「そうじゃない。彼らにはできないから私がやるのよ。……私は逃げるつもりはない。必ず事故を止めてみせる」
 彼はそれきり沈黙した。
 マリスは大プールを立ち去ると、振り向かず走っていった。もう二度とここへは戻ってくるつもりはない。かつてカンディヌスは円卓の騎士を、諦めの悪い連中だと揶揄した。そうだ、わたしはあきらめない。
 眼前に広がる海に、無数の、正体不明の人工物の放つ光の軍団が乱舞している。マリスは立ち止まり、光を数える。ちょうど二十五個だ。あの夜見た流星群は不思議な動きをしていたが、その正体は流星ではなかった。目の前を乱舞する光の軍団と同じだ。近年、アトランティス各地で目撃が続いてきた。これほど融通無碍な動きはアトランティス人の飛行物体ではない。それこそが宇宙連合、「旧神」の船。
 日が暮れた。巨大な満月が顔を出す。

 スーパームーンだ。
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