▲ラムリザードの咆哮

文字数 3,079文字



「もう、大丈夫です」
 マリスは議長席の近くに座っているカンディヌスの隣に座った。
 結局、さっきの出来事をカンディヌスに伝えなかった。耳鳴りは依然、頭の中で鳴り響いていた。
「何か思い出せたか?」
「いえ、----------記憶はまだ。でも、見覚えがあるような気がします」
 きっと自分は、酷い顔をしているのだと思う。
「テロリストとの戦闘があったらしい。処刑の時間が早まった。私は容疑者の心理の計測に立ち会う。ここで待ってろ。処刑間際の心理状態のデータを採取するのだ」
「私もお手伝いします!」
 とっさに提案した。
 自分が逮捕に貢献したという、テロリスト達の姿をもっと間近に見たかった。
「何か作業していれば、私の記憶を取り戻すのに役立ちます。研究室のクリスタルと同じです」
「……やむをえんな」
 カンディヌスとマリス・ヴェスタは、アリーナに降り立ち、クリスタル計測器を使って罪人たちの身体から発するヴリルを計測した。万が一にも、処刑時に受刑者の力が復活しないように監視する為の作業だった。作業は、予想したとおり手間取ることなく、スムーズに行うことが出来た。

 ゴゴゴゴ---------------、ズゴゴゴゴゴゴォ--------------。

 耳の奥の洪水の音はいっそう酷くなった。だが……それに混じって、何か、さっきから、誰かの声がマリスの頭の中でリフレインしている。

 --------みんな、早くここから逃げるのよ!

 誰だ? 一体誰の声が聞こえるのだろう。受刑者たちの誰かではない気がした。なら、このアリーナの中に居る他の誰かなのか。なぜ自分の中にダイレクトに声が聴こえるのだろう。計測器を操作しているせいか? いいや、カンディヌスを始め、他の人は気づいていないらしい。……気が散る。もしミスでもしたら、せっかくシャフトの正式メンバーに選ばれたカンディヌスの立場を悪くする。

 --------もう時間がない、早く、早くここから逃げて!

 マリスは「声」を振り切って、クリスタル計測機に意識を集中し、眺めた。
 受刑者たちの心理状態は、深く沈んでいた。当然だった。しかし当のアトラス帝の心は処刑場の雰囲気と全く真逆な数値を示していた。帝の心はリラックスしていたのだ。マリスは驚く他はなかった。疑問に取りつかれたマリスは、彼に少しずつ近づいていった。遂にマリスはアトラス帝のすぐそばに立っていた。マリスのような下級セクリターツの人間にとって、皇帝を間近で見るのは人生で初めての経験だろう。
 この社会で、たぐいまれな霊力を持っているであろう皇帝に、心を読まれるのではないかと、マリスは一瞬警戒した。しかしその間もなく、マリスは皇帝と目が合った。深い藍色の静かな目だ。とっさにマリスは腰に下げた水筒の水をアトラス帝に差し出した。カンディヌスがあきれ顔でこっちを見ている。
 なぜそうしようと思ったのか。まさにとっさの判断だった。帝のやつれた顔に、笑顔が作られている。
「ありがとう」
 藍色の眼の奥に深い慈愛が宿っているような気がした。決して愛想笑いなどではなく、帝がマリスに愛想笑いする必要性はなかった。マリスは一瞬あっけに取られ、同時に全身に電撃が走ったような衝撃を感じる自分に戸惑いを覚えた。
 それについてゆっくり考える暇もなく、作業は終了した。マリス達研究者はヴィマナ艦に引き上げられ、その巨大な漆黒のオルカ型飛行船に搭乗して下のアリーナをうかがう事になった。
 耳鳴りは激しくなる一方で、止まらない。

 ゴゴゴゴ---------------、ドゴゴゴゴゴゴォ--------------。
 ドゴゴゴゴゴゴォ--------------。
 ゴゴゴゴゴゴゴォ--------------。

 処刑の時間が来た。
 津波の音は、重力波兵器が作動する音だった。
 処刑人たちを指揮しているラムダ・シュナイダー大佐が上空に集結させた鯨級艦隊が六芒星の陣を形作した。それだけでも圧倒的に威圧的な光景だったが、さらに恐るべきは、大量の土砂が六機の飛行船の高さまで持ちあげられ、次第にアリーナ上空に集まって浮かんでいく情景だった。つまり、宙に土砂が浮かんでいるのだ。カンディヌスは、ラムリザード号に取りつけられた重力波兵器の強力な反重力作用によって、土砂が持ち上げられているのだと説明した。次の瞬間何が起こるのか、想像しただけでマリスは戦慄した。この処刑の残忍な手法を考案したのは、セクリターツのハウザー長官らしかった。
 アリーナから、シクトゥス4D議長が右手を振りおろしてヴィマナ艦隊に合図を送ると、ラムリザードに乗ったラムダ大佐は、反重力装置を作動した。
 ラムリザード号の光線がアリーナに巨大なクレバスを造り出し、さらなる土砂を持ちあげた。何十トンと云う大量の土が、天から降る土石流のように受刑者たちを埋め立てていった。大量の土砂が物凄い勢いを伴って、皇帝たちの頭上へと落下していく。まるで天から降った山津波のように。上空から降る土砂はクレバスの中へと受刑者を飲み込んでゆく。粉塵が天高く巻き上がり、アリーナを覆い尽していった。悲鳴と怒号が飛び交い、人々は我先にとアリーナの出口に向けて殺到する。
 マリスは両耳を覆って、頭に響き渡る恐怖の悲鳴を防ごうとした。慌ててカンディヌスが駆け寄ってきた。
 下のアクロポリスの市民たちに明らかな動揺が広がった。国民はシャフトを恐れて沈黙していたが、やはり帝を愛していたらしい。その絶大な人気にシャフトは嫉妬し、神秘科学の新たな教義を語る事は越権行為だと激しく非難した……、そんな風にマリスには思えてきた。
 土砂の轟音と、悲鳴と怒号がアリーナに響き渡る。阿鼻叫喚。恐怖と絶望、悲しみと怒りが心の中にまで浸食してくる。マリスは急いで外し忘れた計測器を離した。だがその事よりも、マリスはさっきから奇妙な感覚が抜けなかった。マリスの胸には、今まで感じた事のない『温かさ』が宿って、それは去る事がなかった。確かにハートのチャクラが反応している。あの皇帝から分け与えられた暖かいヴリル。もしかしてこれが、議長が糾弾し、ヱメラリーダが叫んだアガペーなのか。
 マリスは必死でその感覚を押し殺すのに忙しく、目の前の惨状を目撃しながらそれらについて、考えを巡らす事ができなくなった。
「信じられないような映像をご覧いただいていますが、これは現実の映像です」
 メディアの報道官の声が、船内に流れている。その声も、悲哀に満ちていた。
 市民たちの悲鳴や怒号が、いつまでもアリーナに渦巻いている。シャフトのクーデターに逆らう事はできなかったが、悲しみの感情を抑える事はできなかった。怨嗟の声の中、マリスは皇帝の姿をもう一度確認しようと目を凝らした。粉塵の中に垣間見えた帝は、ひざを屈し、両眼をつぶり、両手をゆっくり天へと向けて、まるで、運命を受け入れたかのような姿だった。その帝の姿は王家の人々と共に、一瞬で土砂の中へと呑みこまれていった。
 船に同乗しているシャフトの幹部達は、異様な熱気と興奮に包まれ、戦勝パーティか何かを彷彿とさせる熱狂が支配していた。只一人、マリス・ヴェスタだけが、その浮かれた空気に同調する事なく、ずっと帝のまなざしと言葉に囚われ続けた。それから、青々とした空を見つめた。
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