▲アモーレ マリスとカンディヌスは宇宙へ溶け合う

文字数 5,890文字

「議長閣下はお前の言葉を信じたぞ。これで俺たちは、シャフトを牛耳れる。いよいよだな」
 カンディヌスは猫になってキー・ステーションを抜け出したマリスに言った。彼によるとハウザー長官らは、キメラと王党派残党の反乱制圧に忙殺され、マリスら「焔の円卓騎士」の活動に全く気付いていない。キメラ解放も、別の原因で生じた事態だと考えているようだ。度重なる地震で首都システムが故障した結果ではないかという。そんな中、議長だけは円卓の騎士の行動を把握していると言った。
「遂にブラックナイト衛星の座標を捕獲した。議長閣下は、デストロイヤーによるヘラス本土への気象攻撃を決定された。それはお前がもたらした情報、ツーオイの精の存在を確信しての事だぞ」
 カンディヌスにはそれが何を意味するのかよく分かっている。そしてマリス・ヴェスタはこの時を、この瞬間を待っていたのだ。シクトゥス4Dでさえ、なしえなかったツーオイ石をコントロールする姫の力の掌握。それを、レジスタンスに、アマネセル姫に協力する形を取って密かに自分達が行う。
 シャフトの中で唯一、マリス・ヴェスタはずっとツーオイ石に宿る精の存在を想定していた。太陽神殿攻略の際、マリスの中にある疑問が生じていた。なぜツーオイ石にはシャフト議長にさえ開けられない鍵がかかっていたのか。なぜツーオイは、マギルドのあらゆる魔術方程式の常識を超えているのか。無論ツーオイはアトランティス、いやこの地上で最高の魔法石である。自分達が知らない魔術方程式があったとしても驚くには値しない。だがおそらくツーオイの場合は、その次元を遥かに超えている。元老院、いやドルイド僧によるとそれはツーオイの意思だというのだが、それが分かった時点で、マリスにはツーオイ石に宿る「何か」を想定せざるをえなかった。ツーオイの中に潜在する、ある種の精霊の存在をである。
 アマネセル姫に降臨したマアト女神の話で、マリスはその実在を確信した。「ツーオイの精」が存在する完全な証拠はまだない。しかしその可能性は高い。それは決してレジスタンスの幻想などではない。その存在を仮定する事は、重大な問題をはらんでいた。クリスタルはもはや、シャフトのいう透明な機械などではなかった。つまり情熱党の遠大な計画には一片の真実がある。もちろん全てではない。それでマリスは、焔の円卓の作戦が成功に導かれるようにと、カンディヌスから直接議長へと話を着けてもらっていたのだ。
 一方カンディヌスから話を聞いたシクトゥス4Dもまた、事実上「透明な機械論」を放棄し、ツーオイの精の存在を認めるに至ったようだ。そしてこれまで二人だけで進めて来た計画に乗ってきた。それはヘラスとの戦さにおいて、及び対レジスタンス戦において手づまりを感じていた証拠だ。
 その男フレスヴェルグは、ツーオイ石同様、アマネセル姫にも拷問も洗脳も効果がないと分かっていた。たとえ姫を再度捕らえたとしても、いつまたマアト女神が降臨し、自分を攻撃するか分からない。第二神殿も無に帰すだろう。力押しではだめだと認めざるを得ない。だからこそ、一旦療養も兼ねクロノス大帝の石の離宮に移送し、次の手を考えていた訳だが、その間にアクロポリスでレジスタンスとの戦いが激化し、まんまと姫を奪われてしまったのは誤算だった。よってここは姫とレジスタンスを泳がせ、マリス達の二重スパイ作戦をバックアップする。
 「寝返った」とイゾラから聞かされていたマリス・ヴェスタとその上司カンディヌスが、これほど大胆な計画を持っていたとは。「敵を欺くには味方から」とはいうが、トリック上等の自分をも欺いた二人の手腕に、シクトゥス4D議長という仮面をかぶった魔人は感嘆せざるを得なかった。この隠密計画は保安省に伝えない予定であったが、無論肝心なところでは決してマリス達の邪魔はさせない。その結果として、たとえ保安省のメンバーが一部レジスタンスの犠牲になったとしてもである。議長は戒厳令を半分解除させ、レジスタンスの作戦を成功させる事を許可した。
 つまり、ハウザー長官は噛ませ犬の役割に落ちていた。よって保安省部隊がレジスタンスに勝利する事はなかった。全ては自分と、黒色同胞団及び、古き者共に誓わないツーオイ石を征服するために。そしてツーオイの精を手に入れるために。ツーオイの精の能力を使用し、アポフィスとその眷族・古き者共を復活させるために。その為にもうアマネセル姫を直接必要とはしなかったのである。
「議長閣下が我々の計画を援けて下さる。それで……レジスタンス内部の雰囲気はどんな感じだ? 今でも、奴らは無謀な夢を見続けているのだろうな」
「ふと考えるんだけど。このまま何もせずに、彼らに目的を果たさせたとしたら……」
「何?」
 カンディヌスは、マリスの金色の瞳をじっと見たまま、一体何を言い出すかという顔をした。
「ただの推論です。むろん、彼らの考えている事はずさんで、安直な楽観主義に基づいているに過ぎない。彼らと話していると、本当にあのわずかな人数でシャフトを覆せると、本気で信じているのかと疑いたくなる。焔の円卓が夢見ているのは、まるで非現実的な内容で一体どういうつもりでこんな事をやっているのかとも思う。でもそれが、熱病に浮かされたように革命の成功を確信しているのだから不思議です」
「そうだろうな。熱に浮かされなきゃやってられるはずがない。たった二十五人で革命など最初から無謀な話だ。俺ならとっととやめる。冷静に考える頭があればだ。彼らの目的は単なる共同幻想にすぎん。もし仮に彼らの革命理論が正しかったと仮定しても、その目的が成功する事はない。なぜなら彼らは我々シャフトを、そして議長を甘く見ているからだ。六つのステラクォーツ発電所を開け渡したのは、自分達のハッキングが成功したからと思っている時点でな。それはお前の話を信じた議長のバックアップなしでは不可能だった。保安省を欺けたとしても。しかも奴らは、いつも精神論で何とかできると考える。情熱党も全く同じだった。だからこそ全滅した。その甘さがある以上、連中は我々には勝てない」
 カンディヌスはまるで自分がシャフトを代表する者のような顔をして言った。そういう自分達は、たった二人だけでこの世界をひっくり返そうとしている訳だが。
「そうね」
 全て議長の、いやマリスとカンディヌスの手中にあった。レジスタンスと保安省はその手のひらの上で踊っている。
「だがお前はもしかして、連中が成功する可能性を考え始めているんじゃないだろうな。本当のところはどうなんだ。連中の事をどう評価している?」
「……実は気になる事があるんです」
「何だ?」
 カンディヌスは怪訝な顔で訊いた。
「始めて言いますが、あのクーデターの日から、私は毎日世界が滅亡する夢を見る。毎日毎日。夢の中で、洪水が襲ってきて、世界が沈む。街が流され、私は沖合を漂流する。なんとか陸に戻って、がれきの中でぼうぜんとたたずむ。でもその後に、もっともっと恐ろしい事が起こる。巨大なエネルギーを生み出す発電所が爆発する。それは私達が知らないエネルギーの魔術なのよ。そのエネルギーは毒を生み出し、毒は世界中を廻り、徹底的に破壊してしまう。恐ろしくリアルな夢」
 マリスはじっと眼をつぶった。

    * * *

 何もかも津波が押し流した後、瓦礫の山が延々と続いている。そのがれきの中を歩く真帆と篠田の頭上を、雪がパラパラと降っている。真帆はよれよれになったステンカラーコートに身を縮こませる。洪水で徹底的に破壊された神江を白く包んでいく。ガイガーカウンターを見て篠田は車に乗るようにと言った。二人はジープに乗り込んだ。篠田の運転するジープが雪の上に轍を作った。

    * * *

 マリスは、いつも眼が覚めると夢だったかとほっとする。
「お前らしくないな。そんな夢の話をするとは。てっきり、論理のみに生きていると思っていたが。しかしそれは夢だ。気にしすぎだぞ。現実に起こった訳ではない。夢などこれから起こる事を確定している訳ではないのだ」
「……私の考えでは、このままでは本当にそうなってしまう可能性が高い。地中海での戦況はますます悪化している。議長がヘラス本土への気象攻撃を決定したのは、地中海連合軍がアトランティスに叢雲のように押し寄せ、追い詰められた結果。ツーオイの精の召喚が間に合おう間に合うまいが、きっと彼は使用する。その時アトランティスは滅びる。議長の決定は、とても危険な未来を選択する事よ。シャフト評議会は皆分かっていて、分からないフリをしている。どうかしてるのはレジスタンスだけじゃない。マギルド全体が、アトランティス全体が。皆どうかしてるからでしょう。このまま彼の暴走を放っておいたとしたら。いいえそういう訳にはいかない。議長に決してツーオイを明け渡してはいけないのよ、カンディヌス。アトランティスを滅ぼさせないために」
 カンディヌス自体も薄々感じている事ではあった。
「その為にお前は、本当にレジスタンスにやらせようと?」
「いいえ。……彼ら自身にも、きっとアトランティスを救う事はできないと思う。あなたの言う通り、彼らの計画には無理があるから。たとえゴールまでたどり着いたとしても、何もなかったって分かるはず。彼らは議長が考えるほど恐るべき相手じゃない。実態は素人の集団にすぎない。私がいなければ、何もできない。だから勘違いしないで欲しい。私はあの者たちの夢物語に最後まで付き合うつもりはない。……だから、二人でやるしかないのよ。カンディヌス」
 これまでマリスとカンディヌスは、シャフトにもレジスタンスにもその目的を隠し、二人だけで目的を遂行し続けて来た。二人なら両勢力をも出しぬけるはずだ。お互いの力を信じていたからだ。
「で、一体どうするつもりなんだ? お前は今何を考えている」
 マリスは思案気に頷いた。
「何か作戦でもあるというのか? 聞かせてくれ」
「これから言う事をよく聴いてカンディヌス。もし仮に、私がツーオイ石を手に入れたら、この国が滅びない方法を、現実的な方法を導き出す。まずアマネセル姫の力を利用して、このままツーオイの精をあぶり出す。その時にツーオイの精のエネルギーを検知したら、速やかにコピーを作る。そうしてシャフトの言いなりになるような偽物を作り出して、すり替える。偽の精はアマネセルの言う事を聞かずに、シクトゥス議長も本物のツーオイの精を手に入れたと思って、自分が操っていると信じる。でもそれは何もできない偽物なの。本物のツーオイの精は、シャフトのものでも円卓のものでもなく、私とあなただけのものにする」
「つまりは、白鳥を黒鳥にすり替えるという事か。だが、できるのか?」
 作業時間はほとんど残されていなかった。
「できるわ。ハッキング作業に隠れて、もうそのマギプログラムを製作している」
「お前には驚かされっぱなしだな。バックアップする議長をも欺くか。分かった。それならお前を信じよう。だが、お前ならやるだろうな。ともかくだ、ばれないように気をつけろよ」
「彼らに、私が何をしているのかなど分かるはずがありません」
「そうか」
「私、あなたと一緒なら、怖い物は何もない」
 二人のヴリルは急速に高まっていた。こんな時にとカンディヌスは思ったが、いやこんな時だからこそ。キスしながらマリスはその時、情熱党たちが話していたアトラス帝の言葉をあれこれと思い出している。
 皇帝の上からの革命とは、感性の革命、感性の復活だ。ヱメラリーダもそう言った。感性……それがいつ、誰の手で、理性に対する脅威と考えられ、遂に否定されるに至ったのか。その昔人間は、感性と理性が共存しながら車の両輪のように働いていた。おそらく、理性の部分はアトランティスの科学文明の発達と共に急速に進化した感覚器官だろう。それが進化を遂げた時、感性は低く評価された。アトランティス人は勝手に眼の敵にして自ら論理の中に閉じこもっていった。アトランティス人の原罪の一つであり、文明の恐ろしい罠というものかもしれない。だが両者あってこそ「人」というものであり、いつからか、どちらかを優先すればどちらかが抹殺されるという二者選択になった。それがシャフトと焔の円卓の戦いだった。
 この論理的帰結は一体何なのだろうか? アガペーの風で「神の国」が到来するという円卓のビジョン・ロジックは、マリスにはずっと絵空事のように聴こえていた。だがそれがヱデンの事であり、真実だったとしたら。もしアトラス帝が正しければ、シャフトは、いや自分たちは一体何のためにここまでやってきたのだろうか。
 今二人はチャクラが開き、ヴリルが交流している。これがオルゴンヴリルと呼ばれるものだ。皇帝が語った愛のエネルギーで、最初に出会うもの。二人は結ばれた。
 アトランティス人のボディは、精妙でそれゆえに人は自在に変化する。鳥に、猫に姿を変じる事ができた。それで、溶け合うヴリルが視覚化する。
 下位のチャクラから上位のチャクラへと、人体のシャフトをオルゴンエネルギーが上昇していく。二人のチャクラを出入りし、蛇のような螺旋を書きながら上昇する。それはクンダリーニエネルギーと呼ばれるもの。オルゴンヴリルのエロースの次元から、ハートチャクラのアガペー次元へと上昇する。純化されていく。ラメのような光沢で二人の身体は溶けあい、周辺と、世界と一体化する。上昇は止まらなかった。さらにクラウンチャクラへと到達したとき、頭上で翼を広げる。まさにカドゥケウスの杖の通りに。こうしてアガペーエネルギーは宇宙と一体になった。
(初めて知った。オルゴンだけじゃない。その次元は実在したんだ。これが……アガペーエネルギーか!)
 二人を今日まで突き動かしてきたもの、それは愛(アモーレ)のパワーだったのだと、マリス・ヴェスタは気付いていた。二人が今この瞬間出会っている皇帝の理論の意味。二人とも無言だった。それを口にする事は決してできない。皇帝の理論が自分たちに勝ったという事は、自分たちの自己否定につながる。マギルドに属するマギとしてのアイデンティティが崩壊する。カンディヌスもその事実に直面して、戸惑っているらしい。マリスはカンディヌスが去った後も、無言で自問を繰り返し続けている。
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